年末年始の営業予定
12月
25日 木曜日 通常営業
26日 金曜日 通常営業
27 日 土曜日 通常営業
28日 日曜日 18時まで
29日 月曜日 通常営業
30日 火曜日 18時まで
31日 水曜日 16 時まで
1月
1日〜2日 休業
3日 土曜日 18時まで
4日 日曜日 18時まで
5 日〜 通常営業
以上となります。
年内に一度でも来ていただければ常連様資格が得られますので是非ご来院ください。
ではよいクリスマスを
9ヶ月ぶりに時間ができたので再開
もう夏なので休み休み行くことにしました。
東京駅こだま号始発に乗り掛川駅へ
8時11分掛川駅北口に到着、運よく曇っています。
東海道に復帰、旧街道あるあるでシャッター商店街になっています…
どこも同じですね、地方はイオンなど大型ショッピングモールにお客さんを取られてしまい駅近はキャバクラ、スナック等がある程度で古くからの商店は廃れています。
朝なのに歩いている人がほとんどいない…
でも鉄道駅があるという事は、浜松や静岡などに通勤通学もできるという事で住宅地としての価値はあるので悪い事ばかりではないと思います。
横浜市の本牧のように地元商店街が横浜中心部にお客さんが取られないように地下鉄建設に反対し、結果廃れてしまった事を思い出しました。
まあ本牧はそれでも周りに企業も多く、中心部までの距離も遠くないので住宅地としての価値はあると思いますが…
せっかくなのでもう少し北にある掛川城を見ていきたいと思います。
中まで行く時間も体力もないので天守閣を見て満足。
確か新幹線からも見えますよね、鉄道駅からこれほど近くにあるお城も珍しいみたいです。
先日仕事で訪れた広島県の福山城ほどではありませんがこちらも結構近い。
明治2年に廃城となり平成6年に復元されたそう。
手前にある逆川沿いに歩いていきます。
高校があるのか自転車通学の高校生とすれ違います。
住宅街を抜けると
天竜浜名湖鉄道、掛川市役所前駅。 右側の丘の上にあるのが掛川市役所
旧国鉄二俣線、東海道本線が敵軍によって攻撃、寸断された時のう回路として使われ戦時中は実際にその役目を果たしたとのこと。
東海道本線が浜名湖の南側である海側を通りますが、こちらは掛川から浜名湖の北側山側を通り愛知県との境、新所原駅で再び東海道本線と接続するルートになります。
こちらもいつか乗ってみたい。
再び逆川沿いにでます、車も通らないので歩きやすい。この逆川はこの先にある袋井市との境で太田川に合流し太平洋にそそぎます。
この辺りで右の大腿前面外側が張ってきます。私のクセで右のつま先が外に向いてしまうため、ここの筋肉が無駄に発達してしまうのです。
つま先をまっすぐ、感覚的には内側に向けて歩くとこの痛みが消えました。
長く歩くと自分のエラーがわかるんですね、ビルケンのサンダルの右の小指近辺のソールが極端に減っていたので二回目の貼り替えをしました。今度はうまく使いたいです。
下が国道一号線、上が東名高速道路。
歩道を渡り、旧東海道に復帰します。
松が植えてありますね。国道一号線と併走しているので車の通りもあまりありません。
歩道があるのがありがたい。
間の宿、原川宿の入り口にある善光寺でお参り。
善光寺って全国各地にありそうな名前。
ここの松並木は美しいですね。
青々として美しい、前回は9月だったので収穫前で黄金色をしていました。
雨が少ないからなのか敢えてしているのかわかりませんがあまり水が張っていなかったのか心配になりました。
米騒動の最中なので今年は適度に雨が降り豊作になると良いですね。
歩道もなくなり住宅街を抜けると、東海道はこちらと案内版がありました。
国道一号線を再び交差するためにトンネルをくぐります。地方は車優先なので国道沿いにこういうトンネルや歩道橋が多く残ります。
周りに歩行者もいないので昼間とはいえすこし怖い。
原野谷川にかかる国道一号線の橋を渡っていると左手に、エコパスタジアムが!
東海道線でいうと愛野駅の辺りですね。
2019年ラグビーワールドカップ日本大会で当時世界ランク二位のアイルランドに日本が勝利した試合が行われた場所ですね。
ワタクシもスタジアムで観ていました。
橋を渡るとここからは袋井宿となります。
旧東海道はここを左に行きます。
ご丁寧に案内板があります。非常にわかりにくいところもあるのでこれはわかりやすい。
少し歩くとトイレがある公園が…
汗をかいているからか尿意があまりありません、ベンチで股関節のしつけ。自分でマッサージもします。
ここでちょうど2時間くらい7.61km
今朝買った飲み物はすでに飲んでしまっておりますが、旧街道沿いはコンビニがあることは稀なので自販機を探していますが見当たりません。
現代の茶屋、自販機を発見。リアルゴールドで糖質補給しスポーツドリンクを購入。
こちらも名栗の松並木があります。
ここは歩道があって松並木のおかげで日陰になっているのでありがたい。
右側は確か大和ハウスの工場もしくは倉庫でした。国道一号線沿いなので物流に便利なんでしょうね。
昔はこんな風景だったんですねぇ
一里塚を発見
袋井東小学校、この先の宿場の京側には西小学校がありそこにも同じ看板がありました。
袋井市は江戸日本橋から京都三条大橋の真ん中に位置し、それが市民の誇りでもあるようです。
実は歌川広重って東海道を歩いた事はないらしく、すべて想像だそうです。
確か、原宿、蒲原宿の雪の中を歩いている絵はあれはあり得ないそうで、あの辺りで雪が降る事はほとんど無いそうです(笑)
逆に言うと写真もない時代に想像で絵を描いてそれが現代まで親しまれているというのはある意味すごい。
街道沿いは駅に近い市街地を除くと住宅街になっているところも多く、ゴミの集積場がきれいに整頓され清掃されている事が多いです。
恐らく、古くから住む住民の方々が多く近所に誰が住んでいるという事がわかるので秩序が保たれているのだと思います。
日本は村八分などいわゆる空気を読まない人間に対して冷たい態度をとる排他的なところや、他人に気を使いすぎて自分を出さないなどネガティブに捉えられる事も多いですが…
私はそれが日本人の良いところだと思っていて、他人に迷惑をかけない、相手の気持ちを読んで相手の嫌がる事はしない、郷に入っては郷に従えが教育で行き届いているので日本人というだけで海外の人に好かれる事が多いです。
街がきれいで、安全というのはこういう国民性から来るものがあるので、誇りに思った方が良いです。
移民や他地域から不特定多数の人間がコミュニティに入ると、治安や秩序が乱れるというのは当然だと思います。
11時という事でランチタイムに入ってしまうと飲食店は混み合うので何かよいお店がないかと思い、グーグルマップで調べると高評価のラーメンショップが!
無類のラーメンショップ好きのワタクシ、以前は八潮のけやき通りにもありましたが店主が高齢の為か廃業してしまいました。
待ちはなしでしたが、待っているとどんどんお客さんがきていつの間にか10名以上の列が…
ワタクシと同じ考えの人達がいたんですね、タイミングがよかった。
追加なしでもわかめが沢山入っている珍しいスタイル。味は日本一のラーメンショップと言われる某店よりワタクシは好み。
後々考えると汗で失われた塩分を補給するのにラーメンはとても良い選択だったと思いました。
県道から住宅街に入ると、秋葉山の常夜灯が…
この辺りは秋葉山信仰が盛んであったようで各地でこのような常夜灯があります、日坂宿でもありましたね。
市役所など公的な施設があるエリアにでてくると袋井宿に到着
日本橋から27番目の宿場町です。
東海道どまん中茶屋がありました。
中には近所の方と思われるご老人達がおりました。
こういう設備って我々のような旅行者が訪れる場所なのですが、大抵あまり良い対応を受ける事がありません。
恐らく、公的な機関で商売でやっているわけではないので働いている方の意識が低いのだと思います。
小田原の休憩所はお茶をだしてくださりとても親切でしたので、全部ではないとおもいますが…
入った途端何しに来たんだのような目で見られる事も多いのでここはスルー
中にいた方は良い方で入ったら親切にしてもらえた可能性もあるのでここの評価ではなくあくまでも一般的な話です。
少し歩くと本陣跡が公園になっていました。暑いので屋根があるベンチがあったのでここでストレッチとマッサージしながら休憩。
本陣の説明にもありましたが、本陣は基本的に一般客は泊まれず殿様など参勤交代の際などの宿だったそうです。
結果、宿場の名主などが運営していたとのこと。宿泊費ではなく礼金扱いだったので、困窮している藩などがくると什器などが盗まれ運営は大変だったそうです。
キセルを50本貸すと10本返ってくれば良い方だったそうです。
見栄は張るけど、ケチ臭いって最悪ですよね。しかも身分をたてに文句が言えない町人から搾取するなんて…
参勤交代はものすごく費用がかかるので各地の大名たちは大変だったそうで、幕府が藩から藩は庶民から搾取する形というのは、反社会的組織が若い組員に若い組員は暴走族や町の不良少年から街の不良少年たちは普通の子たちからカツアゲするシステムに似てるなと思いました。
今も、天下りや怪しいNPOなどで皆から集めた税金を搾取する人たちがおりますが…いつの時代も真面目に納税している庶民が割を食うというのは形を変えても本質は変わらないんだなと思いました。
暑い中、色々腹が立って健康によくないので忘れて先を急ぎます。袋井宿西の見附
時間は12:26分
明治天皇がお休みされたところは酒屋さんの倉庫になっていました。ここもどまんなか推し
県道を歩きます、この先のローソンで凍ったお茶と普通のお茶のペットボトルを購入
県道を渡り旧道は右側です。 この日は歩いていて道にミミズの干からびた死骸が沢山あります。
雨が降ると酸欠になり慌てて土の中から出てくるそうで、アスファルトに出てきてしまったミミズたちがそこで力尽きるのでしょう。
田んぼや草むらが多い郊外ならではの光景。
2000年くらいに活躍したボディビルダーマッスル北村さんはとても心優しい方だったそうで、アスファルトにいて苦しんでいるミミズがいると死んじゃうよと言って摘まみ上げて草むらに戻してあげていたそうです。
筋肉の為に、体脂肪を限界まで削りそのまま亡くなってしまった狂気のボディービルダーとも言われていましたね。
ボディビルの為に東大と医学部を中退するなど色々とんでもない方でしたね。
この風景は今も近いものがありますね。
木原一里塚 とてもきれいに整備されています。
徳川家康公が休み、会津征伐と関ヶ原の合戦の必勝祈願をした神社
この石に腰かけたそうです。お参りをし、ベンチに腰かけているとあまりの暑さに動けなくなったのでしばらく休憩
近くでは大工さんが住宅を作っていましたが…この暑さの中本当にすごい。
ここは近くにお寺もあるので昔から集落があったのでしょうね。
またまた県道に戻りました、磐田市にはいります。
太田川を渡ります。
遠くに新幹線が… いつも新幹線から眺めている景色の中に自分がいると思うと良いですね。
橋を渡ると県道と国道一号線が合流します。グーグルマップで高評価だったなぐらさん。
タイミング合えばここでお昼食べたかったです。昼間でしかやっていない人気店のようです。
旧街道 この先はこの区間唯一の坂道があります。
江戸時代の道は通行止め、まっすぐ明治時代から使われている道に行くしかなさそうです。
反対側から見た江戸の古道、先にある倒木が原因のようです。がけ崩れがあると危ないのでとのことでしょう。
箱根峠のように厳重にフェンスなどは張られていないので行こうと思えば行けそうですが、いい大人がケガをして地域の方に迷惑をかけてはいけないのでやめておきました。
さった峠や中山峠に比べてたら大したことない坂道でしたね。
ここがピークであとは下り。
街道沿いにお茶屋さんがあります、右側のきれいな建物は磐田に工場があるヤマハ発動機の寮のようです。
お茶屋さん併設のカフェ、かき氷うまそうだなぁと思いながら時間が無いので通過。
やはり食べたくなったので入店、和風建築でとてもよい雰囲気。
抹茶金時、オプションでミルクをつけました。
かき氷って最初味がありますが、最後の方味がしなくなってとても悲しくなるのでこういう追加オプションはありがたいです。
充電もさせてもらい、体力も回復。
グーグルマップでも高評価、ただお茶を売るだけではなくこのような付加価値をつけるのはとても良いですね。
カップルで抹茶パフェを食べている若者もおりました。
お茶やさんを出るとこれより西、見附宿のサインが
再び県道へ、この右側は遠州鈴ヶ森刑場の跡が…
鈴ヶ森というと品川を思い出しますが磐田にもあるんですね。
宿場で悪さするとこうなるぞとよそ者に警告する意味もあったそうです。
実は日坂宿から駿河から遠江の国とうとうみのくに(遠州)に入っております。
県道から右の旧街道へ、ここが見附宿の東の見附っぽいですね。
下校中の小学生や中学生とすれ違います。
旧見附学校、現存する疑洋風建築では日本最古だそう。今の小学校ですかね、教育にとても力を入れていたのだとわかります。
教育県として知られる長野の松本にも似たような建築物があるそうです。
小学校から左に曲がり旧街道は南の磐田駅までまっすぐ向かいます。
途中で商工会議所が…八潮のに比べるととても近代的、建て替えたばかりなのでしょうね。
ジュビロ磐田の旗が、実はヤマハはサッカークラブだけではなくラグビーも競合、同じジュビロの名称を使っています。五郎丸さんもプレーしていましたね。
商工会のベンチで休んだ後に再び歩くと東海道線磐田駅に到着。
時間は16時30分、浜松まで行けなくもないですが暑さで消耗していたので今日は23kmで終了。
掛川駅まで戻り、こだま号で東京へ
ディズニー新幹線でした。
この日は寝不足で疲れているのに夜中まで寝つけず、不思議に思っていましたが…
脱水症状だと気づき、塩タブレットと麦茶を飲んだら乾燥していた肌に水分が戻ったので就寝することができました。
後半はお茶ばかり飲んでいたのが良くなかったみたいです。
皆様、水分だけではなく塩分ミネラルの補給も忘れずに。
休憩を沢山いれたので8時間ほどかかってしまいました。
次回は秋以降にします。
距離25.1km
一日総歩数40,809歩
次の記事 しばらくお待ちください。
前の記事 東海道を歩く⑬ 9日目 府中宿~鞠子宿~岡部宿~藤枝宿
さて、真夏を避けて三か月ぶりの東海道ウォーク。令和6年9月24日
専属契約をしてから基本的に私自身の休みは無くなったのですが、この日は急遽予定が無くなったのでこれはチャンスと思い歩いてきました。
こだま号始発に乗って静岡駅までそこから東海道線で藤枝駅に到着。時間は8時20分
改札を出て右側にプラスチック製のベンチがあったのでリュックを置いて準備をしようとしたところ、突然後ろの列に座って朝からパックの日本酒を飲んで泥酔しているご老人が「うるせえ静かにやれ!」と怒鳴りつけてきました。
朝から公共の場で飲酒をし管を巻いている人間がまともな訳がありません、関わってもしかたないのですぐに退散。
私がリュックを置いた音よりもお前の叫び声のがうるせえと思いましたが、私も良い年齢なのでそれなりの対応をします。
去り際に耳元で丁重に謝罪をしたら静かになりましたが、エスカレーターに乗り下るとまた何やら叫んでいます。
他人の人生なので好きにすればよいとは思いますが、通勤通学で駅を利用している方々の迷惑になりますし場所を選んでもらいたいものです。
ああいう方にも手厚い社会保障費が使われていると思うと何とも暗い気持ちになりました。
とても良い天気です。
藤枝駅は旧宿場町から離れた場所にあります。
静岡県ももう真ん中を過ぎたと思われます、ちなみに東海道の日本橋~京都の真ん中はこの先の袋井市だそうです。先は長い…
住宅街を抜けると
旧東海道に復帰。道は相変わらず歩道がない…現在メインに使われている県道島田岡部線は北側を併走しますが、こちらもまあまあ交通量がありますので車に注意して歩きます。
次は大井川の手前の宿場町、駿河の国の西の玄関島田宿になります。
この駐車場の向こうに見えるのが現在のメインの県道。この先で合流することになります、あちらは歩道が整備されております。
古い倉庫があります。何が入っているのか…
この辺りの家に限らず地方の家には古い蔵があったりしますね。
東海道追分 江戸時代以前は南側に流れる大井川の氾濫を避け、瀬戸の山越えというルートを使っていたそうでその道の分岐点となります。
さらにあるきます、他と同じで松並木は恐らく後年植えられたものだと思います。
染飯茶屋跡、クチナシでそめたご飯を売っていたそうです。サフランライスみたいなものだったようで旅人には好評だったそう。
関東では見かけない杏林堂という本屋のような名前のドラッグストアでトイレを拝借。マスクを忘れたのでマスクと飲み物を購入。
生鮮食料品やお弁当も売っていてとても良いお店、店員さんもかなり親切。
近所に住んでいたら通ってしまいそうな素晴らしいお店。トイレも綺麗でしたのではみ出さないように使いました。いつもはみ出さないように使ってはいますが…
酒蔵がありました。この先の島田宿にもあったのでこの辺りはお米がとれるのでしょう。
と思っていると素晴らしい稲穂。もうすぐ収穫でしょう。ほんと農家の方の努力の結晶ですね美しい。
東海道線の貨物列車が通ります。
昭和57年に発掘されたようです、それまでは忘れ去られていたんですね。
島田市との市境に到着、県道と合流します。
六合駅を通過、大津谷川雨が降っていたのか水が濁っています。この先で大井川と合流します。
左方面に向かうと大井川に架かる世界最長の木造橋、蓬莱橋がありますが今日は歩きがメインなので明日行くことにします。
街道沿いにあるクリニック、東海道を意識しているのか立派な門構え
島田宿には和菓子屋さんが多いということでこちらのお店で早速購入
島田宿は大井川を渡る旅人で賑わった宿ということで川越饅頭を購入。
島田の街道沿いにはいくつか和菓子屋さんがあるらしく、お茶の産地なので和菓子屋さんが多いのではという説もあります。
右側にあるのは本日宿泊予定のルートイン島田。今日は掛川まで行って電車で戻る予定です。
毎度おなじみのシャッター商店街。 先日栃木県の足利市に行ったスーツさんが「旧市街を町おこしをするのは無理、何故なら車を所有するようになった現代において郊外のイオンに人が集まり旧市街がさびれるのはある意味進化である」というようなことを言っていたのでなるほどと納得させられました。
ですのでこのシャッター商店街が再び栄える事はほぼないのでしょうね。
問屋場跡に小さいベンチがあったのでここで先ほど買ったお茶菓子を食べて休憩。
股関節のしつけも同時にします。時間は10:40
クリーム入りの抹茶大福は冷凍の状態なので川越まんじゅうを食べます。
おしゃれに作ってある商店街、床は木で作られていますが人が全然いません…
なかなかここに観光客が来ることはないのでしょうね…
駅近に住む人は電車で浜松や静岡に通勤通学はできそう。
街道一の名物のたい焼きや
本当にそうか確かめてみたかったですがまんじゅうをたべたのでやめておきました。
駅前通りに図書館があったのでトイレを拝借
図書館が休館日だったので4階の幼児が遊べるようなスペースの横にあるトイレを借りました。
安全な遊具が置いてあって安心して子供を遊ばせることができる立派な施設でした。
怪しまれるといけないので素早く退散、エレベーターホールからこれから越えていく牧之原台地、金谷峠、中山峠が見えます。
立派な神社を発見、いつもは大体こじんまりとした神社が多いのですが本日はこちらの立派な神社に参拝。
綺麗な参道
この石垣は人足達が大井川から運んできて作られたとのこと
色々なお宮があったので全て参拝。この辺りの方々が出兵し戦死された英霊たちを祀ったお宮もありました。
現代でも台湾有事の恐れやロシア軍機による領空侵犯、中国による領空領海侵犯、北朝鮮のミサイル発射と一歩間違えたら戦争になる可能性もありますが…
イマイチ危機感がない我々。
命をかけて日本を守った方々は現代日本をどうみているのか…
英霊達は日本の為に命を落としたのだから、これ以上日本の平和をお願いするわけにはいかないの…
ただ安らかに眠ってくださいとしか言いようがありません。
平和のためにがんばらなければいけないのは、現代に生きる我々なんだよな…何ができるのであろうか…と考えて参道に向かうと。
止まって地図を見ている高齢男性と私の間にものすごく大きい枝が落ちてきました。
当たったらケガをしていたであろうサイズの枝でとてもビックリしたので「ビックリしましたね」と高齢男性に話しかけるもこちらを見るだけで言葉を発しません。
「今この枝が上から落ちてきたんですよ」と言っても無言。
コミュニケーション苦手な人って男女問わずいるのであまり気にしないようにしてまた街道へ戻りました。
しかし、何故あそこで枝が落ちてきたのか気になります。平日にふらふら歩きに来ている普段から怠けている私を見て英霊達が怒ったのか…
あの枝が私の頭に当たっていたら恐らくケガをしていたと思うのでいつものプラス思考でお参りをしたから当たらずに済んだと考える事にしました。
話はそれましたが(笑)川越人足や役人たちが控えていた建物が保存もしくは再現されております。
これは素晴らしい。
平日にも関わらず戸が開け放たれており中を自由に見学できます、毎日開けて閉めてとしてくれている方がいるのだと思いました。
お金かかってるなぁ~
結構ダイナミックな川越えの浮世絵 一番安いのは自分で水に浸かって渡るスタイル、次が肩車、高級なのは神輿のようなもので4人以上の人足を使う物であったそう。
川越人足が待機する番宿、ここ島田は10番宿まであったらしくここは三番目の待機所
真っ黒に日焼けしてたくましい人足
川はいつでも渡れるわけではなく、雨が続いて増水しているといかにたくましい人足とはいえ向こう岸に渡る事はできなかったので旅人は川に近い宿場に足止めされることになります。
それが何日も続いてやっと渡れる日が来た場合は混雑するというのが常であったと説明されています。
大名行列がある日も忙しかったようです。
こちらは十番宿、キセルでたばこを吸ってくつろいでる人足がおります。結構リアル
草履や臼など昔の物が展示されております。
こちらは札場、旅人は川を渡る為にチケットとなる川札を買い渡る時にそれを人足に渡します。これが人足達のお給料になるわけです。
一日何往復もして集まった川札をこちらの札場にもっていき現金に換えてもらったそうです。
この方は事務員みたいな感じでしょうね、少し賢そうな感じがします。(笑)
さらに川に近い場所に川会所(かわかいしょ)があります。ここの川役人と呼ばれる人々が毎日川の深さを測り、川越しの料金を決定し、旅人に川札を販売など川越人足の運営を担っていた場所です。
川の深さによって料金が変わっていたんですね、この時代からダイナミックプライシングのようなものが導入されていたようです。
増水していると渡るのも命がけですからね、水の抵抗で時間もかかったのでしょう。MAXで一番安いプランの倍近い価格になります。
中には連台が置いてあります。これは屋根付きでブラインドまでついているかなり上等なものでしょう。しかし昔の人は小柄ですね、私は入れないでしょう。
将軍クラスになるとこのようになるみたいです、宿場総出だったのでしょう。
将軍くらいになると海路を行くのかと思いましたが、その時の状況で違ったんですかね。
ここの外のベンチでストレッチをしていると、先ほど神社で会った高齢男性がおりました。
挨拶でもしようと思いましたが、絶対にこちらを見ないようにしているのが見え見えだったので脇をすり抜け先に進みます。
こういう人割とよくいますよね、少し挨拶すればよいものを意地でも見ないようにする人。
何でも海外に倣えとは思いませんが、欧米人に比べて日本人は赤の他人とのコミュニケーションが下手な人が多い。
土手のすぐそばにある立派な博物館の駐車場わきにある人足モニュメント。
ワタクシがのって写真をとりたかったのですが、スマホを置けるような場所がなく断念…
私が乗ったら「旦那はちょっと重すぎるので酒手(チップのようなもの)をはずんでもらわないと先には進めませんぜ」と言われてしまいそう。
実際川の中ほどまで来て金をせびる悪い人足もいたそうで…仕掛人藤枝梅安でも与力(警察官のような人)が乗った際に追加料金をもらわないと増水していて先には進めないと言われ「我は京都所司代の与力であるぞ」と肩車をしている人足の頭をポカンと殴る描写がありましたね。
観光客をだます悪い奴というのは今も昔も変わらずいたようです。
私を乗せずに命拾いした人足達。空の練台を担ぐ姿は横からみるとなかなかシュール
土手の上から見たいま歩いて来た寄せ場の風景。雰囲気があって中々良い場所でした。
堤に上がると目の前に牧之原台地が、その奥に静岡空港があるようで離発着する飛行機を見る事ができます。
橋までは少し距離があるので車の往来がある脇の歩道を歩いていきます。
土手側からみた博物館
牧之原台地
以外に多い離陸着陸する飛行機を見る事ができます。
静岡空港の下には新幹線が通っており、駅があれば便利なのにという話を堀江貴文さんが言っておりました。
静岡県とJR東海はのぞみが県内に停車しない事によりあまり良くないようで…加えてリニアモーターカーは静岡県市街地に通らない事から折衝案として空港駅を作ればよいという事を言っておりましたが実現可能性は低そう。
大井川橋
この水位なら歩いても渡れそう。渡りませんが…
東海道24番目の宿場町金谷宿に到着です。駿河の国が終わりこれから遠江の国に入りました。ちなみに金谷宿は自治体で言うと島田市になるそうです。
旧街道を歩いていると踏切が…八潮近辺にはもうあまり踏切を見る事がなくなりました。
ここは機関車トーマスの機関車を走らせている有名な大井川鉄道です。
踏切を渡ると新金谷駅があります。平日なのでトーマス号は走っておらず、閑散としております。
トーマスとゆかりがあるわけではなく、2011年の東日本大震災の際に観光需要の低下や2012年の関越自動車道ツアーバス事故により高速バス規制が強化されSL利用者が激減しました。そしてトーマス走らせたらお客さん沢山くるんじゃね?ってことで始めたようで大成功でしたね。まさにピンチをチャンスに変えた出来事だったようです。よくピンチはチャンスといいますがピンチにボーっとしていたら状況は悪くなるだけなのでピンチをチャンスに変える人たちの努力なしには起こらない事だと思っております。今や大井川鉄道と言えばトーマス機関車というくらい有名になりました。
トーマスと日本の碑感謝ヒロ、トップハムハット卿がおります。
恐らく右側のシルバーの車両は東急電鉄でつかわれていたもの、その左側の青ラインが南海鉄道、黄緑色のも古い南海の車両だと思います。
ちょうどホームに入ってきたのは近鉄だと、そこまでマニアでもない私でもわかります。
大きいベンチがあったので休憩時間は13時過ぎ
秋とはいえまだ陽ざしがさんさんとしております。
旧街道をはずれて住宅街を歩いていきます。のどかでよいところ
坂道がきつい
グーグルマップで見ると平面ですが坂道がきつい、大井川鉄道の線路にでました、ここはJR東海道線と併走、この先の金谷駅で乗り換えができます。
住宅街をくだっていくと旧東海道に復帰
問屋場あと
この辺りが本陣などがあり中心だったようです。
ちょうど先ほど新金谷駅に止まっていたであろう電車が通過
旧東海道はこのトンネルをくぐります。
線路をくぐります結構古そう
金谷大橋、西入り口土橋と言ったそうで京側の宿場の入り口であったようです。
金谷坂石畳入り口 右側におしゃれなカフェのようなものがありましたが時間がないのでスルー
途中、革靴のご婦人が降りてきましたがこの石畳はせめてスニーカーじゃないときついのではないかと思います。
お地蔵様はその名もすべらず地蔵尊、昔からすべって転ぶ人が沢山いたのだと思われます。
登り切りました
武田勝頼が家臣に命じて作らせた諏訪城跡、諏訪というと長野のイメージですが場内に諏訪大明神を祀った事から諏訪城の名をつけたそう。
東海道の要衝とあり、国取りの拠点となったそうな。徳川家康に攻め落とされ牧野城として使用されましたが今はただ土台が残るのみで奥に行くと神社があるそうですが、時間が無いのでスルー
綺麗なトイレがあったので拝借
道路を渡ると再び石畳、茶畑が美しい

鬱蒼とした石畳を抜けると集落にでました。
ここは間の宿菊川、この先は小夜の中山峠、手前には今来た金谷坂と坂に挟まれた場所です。
菊川というと私は高校野球で有名な常葉菊川を思い出しますが、現在の中心はここから少し離れた海側になります。東海道線の菊川駅もそちらになります。
昔はこちらが街道筋だったので、交通機関の発展により中心が移り変わっていったのでしょう。
建設中の道路をくぐるといよいよ急坂のスタート。様々な峠を越えてきましたが勾配でいうと一番だったのではと思います。
舗装されておりますがその分、登るのがキツイ転んだら下まで行ってしまいそう。
キツイ分、景色はめちゃくちゃきれい。東海道の中でも見どころの一つではないでしょうか。観光地化されてないので穴場だと思います。
何度もシャッターを押してしまいますね。
茶畑の坂を歩いていくと、駐車場と思われる開けた場所に出ました。観光バスも止められそうな感じ、さすがにあの坂は上れないと思うので京側に向かった途中にある国道との連絡道を使ってくるのだと思われます。京側も普通の自動車もかなり厳しい坂なので…
ここが有名な久延寺。なんでも伝説があり、お石という妊婦の女性が菊川の里まで働きにでていたそうで帰りの道中おなかが痛くなり丸石の松の根本で苦しんでいたところ、通りかかった男が介抱していたそうな。ここまでは良い話なのですがお石がお金を持っている事を知ると刀で切り殺しお金を奪って逃げたそうな。胎児は奇跡的に無事でこのお寺の和尚に飴で育てられ立派な刀研ぎの職人に育ちました。
その後、刀研ぎにきたお客さんが母親を切り殺した男で復習を果たしたという。石に手を合わせてきましたが、写真を撮るのはためらわれたのでやめておきました。
並びに扇屋さんという御店がありますが、土日しか営業していないようで残念ながら昔ながらの飴を食べる事はできませんでした。
ここから北にある国道側にも夜泣き石があり、飴を売っているお店もあるようですので平日に行く方はそちらに食べに行くと良いかも。
美しい風景、峠といってもなだらかに延々と続く道を下っていきます。
途中から急坂になり民家が点々としているところを抜けると25番目の宿場町、日坂宿に到着です。ここから遠江国とおとうみのくに(遠州)
バイパスをくぐり集落に下っていきます。
バイパスの側道を渡ります。
各家の玄関に木札があり〇〇屋という屋号がついております。常夜灯、秋葉山詣での入り口だからか秋葉山の文字が…
ここの公園で股関節のしつけ、時間は16:30この辺りで切り上げたかったですが。ここは駅もなく、バスも一日何本も走っていないので仕方なく次の掛川宿まで頑張る事にしました。
日坂宿は小さい宿場ですが都市化されていないので宿場の風景が残されています。それでも小夜の中山の手前という事もありそれなりに栄えたそうです。
今やバイパスのおかげで宿場を通る人も少なくなりましたが…
ここからは県道沿いとその側道を歩くのでとても退屈です。都市化された部分はつらい
やっと掛川宿に到着、東海道26番目の宿場町です。
あちょうど写真の常夜灯があった橋だと思われます。奥は秋葉山ですね。
掛川駅は新幹線が停まる駅なので3回続いた静岡駅の利用はここで終わり。ですが今回は蓬莱橋を見学したかったのでここから東海道線で島田駅まで戻り、この度初めての宿泊をします。
電車で島田駅まで戻り、ルートインホテルにチェックイン、ここは無料の貸し出し自転車がありそれを借りて夕食へ。
静岡県民のソウルフードハンバーグのさわやか。
中が結構赤いので鉄板を温めなおしてもらいました。
おいしかったです。
翌日レンタルサイクルを使い蓬莱橋へ、ここは世界最長の木造橋。16代将軍になるはずであった徳川家達がかつての家臣達が作った茶畑に覆われた牧之原台地をみてまるで蓬莱(宝の山)のようだと褒めたたえたことによりこの名がつけられたそうな。

あその後自転車をホテルに返し帰宅しました。島田駅にあった地球上で最も緑茶を愛する街島田の文字。とても良いところなので是非おすすめです。
総距離30.89km 57,557歩
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2024年6月11日火曜日
この日もつくばエクスプレス八潮駅始発で向かいます。こだま号は6:30が始発なのでもう少し遅くても良いのですが朝1、2番目の電車は始発なのでゆったり座って行けるので早起きして向かいました。途中で朝食も食べられるので。
こだま号自由席に座る為に先頭車両へ。いつみても美しい東海道新幹線。
新幹線には何度も乗っていますが、18番19番線ホームの先頭、大阪よりのところにあるレンガ造りのレリーフを発見。
この方、第4代国鉄総裁十河信二さんというそうで、新幹線開業に尽力された方なんですね。
右下の文字は一花開天下春「いっかひらいててんかはるなり」と書いてあります。なんでも昔の中国の高僧の言葉であるそうで、新幹線という花を咲かせた事により天下(日本)に春を訪れさせたという意味だそうです。
それぞれの開業日が記載されております。日本が誇る夢の超特急、東京大阪日帰り出張も簡単にできるようになりました。
この日はA席に座り海側の景色を見ながら行きました。時間は7時55分通勤通学の方が沢山。
前回の清見寺で幼い頃捕らえられていた、竹千代君(徳川家康)と近年再評価されている今川義元。
現代の日本人て戦国時代とか好きですよね、戦乱で大変な時は英雄が生まれる訳ですが…
戦争を知らない子供たちさ~♪という昔の歌がありましたが、現代では大人でもほとんど戦争を知りません。
知らないから戦いにロマンを感じてしまうのかも…
静岡駅の北側の国道一号線には横断歩道がないため、通勤の人々にまぎれ地下道を通ります。
さくらももこさんのイラスト。静岡は本当に良いです、南海トラフ地震だけが不安点ですが。
せっかくなので家康公が大御所として過ごした駿府城公園を見たいと思い歩きます。
繁華街です、とんでもない髪の色をした若者が地面でヨレています。博多の親不孝通りみたいな感じでしょうか。
昔は岡場所だったのかなぁと想像し歩きます。生ごみのにおいが…
石垣の中に県庁があり、職員と思われる方々が吸い込まれていきます。
申し遅れましたが、府中宿は19番目の宿場町になります。
この辺りはオフィス街ですね。
とてもレトロで重厚感がある静岡銀行、昭和6年の建物で現在も本店営業部として使われているそう。
ここは小学校の校庭とつながっており、柵はなくチェーンで仕切られているのみ。
なかなか珍しい作り、不審者が入ってきたらどうするんだろうと思いましたが柵があったって入ろうと思えば入れるので防犯上は問題ないのかもと思いました。
近くの会社では外でラジオ体操をやっていました、皆さま気だるそう。お疲れ様です。
ここは弥勒という地名。みろくと読みます。
由比の宿場に生家があった由比正雪の墓碑、ここに埋葬されているわけではなくこの先の安倍川で処刑されたからここにあるのでしょう。
その碑の裏にこちらの石碑が、明治天皇はこちらでも休まれたみたいですね。
安倍川のそばということで間の宿であったと思われます。
有名な安倍川餅屋、朝だったので諦めていましたが、あと5分で開店ということで待ちます。
安倍川餅屋は見たところ二つあり、手前のお店と橋に近いお店の間にこのような碑がありました。
なんでも、安倍川は歩いて渡れる川であったのですが身分が高い人などはお金を払って肩車をしてもらったりしながら渡ったのだそう。
その人夫が、自力で渡っている旅人が落としたお財布を拾い追いかけ、宇津ノ谷峠に向かっていた旅人が財布を探しに戻ってきたところで財布を返したそうで。
感激した旅人がお礼を渡そうとするも、人のものを返すのは当たり前の事だと受け取らなかったとのこと最終的には旅人は奉行所にとりもってもらい受け取ってもらえるように頼んだが頑として受け取らず。結局奉行所はその心意気に人夫に褒美を渡したそうです。
労働者にも矜持があり、人の道に外れた事はしない、困っている人は助けるのが当たり前という素晴らしいエピソードですね。
こういう心は持ち続けたい。
安倍川餅屋が9時にオープンしたのでお店で食べさせてもらいました、寡黙な店主ですが悪い感じではなく居心地よい店内。
餅は毎日ついているらしくとてもおいしい。
次回は隣の店にも行ってみたい。
食べ終わり安倍川橋を渡ります。安倍川は水量が少ないので徒歩渡しだったそうですが、大正12年にこのトラス橋が完成。
立派な橋です。歩いて渡れるとは言えずぶぬれになって渡っていた川が濡れずに渡れるというのは当時は物凄い進歩だったのだと思います。
国道一号線の駿河大橋、東海道線、東海道新幹線の橋梁が見えます。
安倍川を渡る人々 御神輿みたいなもので渡るのは高価であったのでしょうね4人も人を使っています。 屋根付き、江戸時代のファーストクラス。
反対側から府中宿を望みます。真ん中の高い建物は恐らく県庁だと思われます。
ここで国道一号線に合流。このエリアはかみかわ陽子さんの選挙区。
県知事選の応援演説で、候補者を県知事にするという比喩表現で女性が産まずして何が女性でしょうかという発言を左翼やフェミニストたちが激怒。
炎上しました。まああまりいい表現とは言えないと思いますが(笑)
理解力があれば上川さんの真意は伝わるはずなんですね。
それを、子供を産めない女性だっているんだ!女性は出産する機械じゃないぞ!なんて事を騒いだという事が記憶に新しいです。
なんでも配慮配慮でそんなに息苦しい世の中にしたんですかね。ほんと謎。
野党は追及追及で予算委員会でも与党の足を引っ張るばかりで、肝心な予算が決められず政策が進まなくなっているという…
ただの揚げ足取りに見えてしまいますね…誰のための政治なのか。
国道一号線の側道に入り、少し進むと鞠子宿の江戸方の見附に到着。
20番目の宿場町鞠子宿(丸子宿)に到着です。
石垣があり神社があります。馬頭観音というそうです。
丸子宿は当時の物はあまり残っていないとのことで、歩道もない旧街道を避け併走する丸子川沿いの遊歩道を歩きます。とても良い雰囲気
こちらも地元の高齢者達が歩いています。
この道は海沿いの御前崎まで行けるそうで、たまにロードタイプの自転車に乗ったサイクリストが通ります。
遊歩道沿いに地元の方が作った野菜が置いてある箱がいくつかあり… じゃがいもを購入、とてもおいしかったです。
枝豆も買いたかったですが歩いているうちに熱されて腐ってしまいそうなのでやめておきました。
まだ営業時間前だったので残念ながらスルー、あと30分ほどでオープンだったんですけどね… ただこの先でとろろ汁を食べられる場所があるのでそこまで我慢。
サイクリスト達は川沿いに向いますが私は旧街道を歩きます。今思えば川沿いに行ってもよかったです。
のどかな風景から一転、バイパスに近づくにつれいくつかラブホテルがあります。
静岡市近辺の方々は地元じゃ目立ってしまうのでここで逢引きをするんでしょうね、中々地元のラブホテルは入りづらいでしょうし。
唐突ですが私は不倫てアリだと思っています、夫婦間が冷え切っているけど様々な理由で離婚できない人もいるからです。
どうせ冷え切っているなら愛してくれる人がいれば、癒されるし精神的にも安定すると思います。
もちろん家庭をかえりみず生活費も入れず不倫相手に入れ込んでしまうのは考え物ですが…
なぜ民法で禁止されているのか、チャットGPTに聞いてもきれいごとを並べるだけで私を納得させてくれません。
バレるような不倫はやめた方がよいと思いますが他人の不倫を叩く風潮は謎です。
当事者が怒るのはわかりますが…
もちろん不倫をしないで夫婦仲睦まじく人生を送るのが理想だとは思います。でもストレスで具合が悪くなるくらい仲が悪い、でも事情があって離婚できないそんな人は不倫しても仕方ないという話です。
こんな事言っても理解できない人はいると思いますが、私のように声高に言えないだけで思っている人は少なくないと思います。
夫婦といっても所詮他人ですからね。
書いても私の商売上では損しかない事を思っているとバイパスにでました。
まあ、これを理解できないで怒るような人は来てくれないでいたほうが楽なので来なくて良いです。
見えている山が宇津ノ谷峠です。
ものすごい高いところに足場がありそこをトラックが出入りしています。
なんだろうと思っていると
地すべり対策の工事をしているようです。安全な道路を保つためにものすごくお金と労力をかけているんですね。
日本のインフラはすごい。
旧東海道を歩くために歩道橋を渡り反対側に渡ります。ものすごい交通量
宇津ノ谷峠は平安時代からあるつたの細道、戦国時代に豊臣秀吉が切り開いた旧東海道、明治時代のトンネル、大正時代のトンネル、昭和時代のトンネル、平成時代のトンネルと各時代のルートが現存する珍しい場所です。
この度は基本的に江戸時代の道を歩くようにしているのですが、明治時代のトンネルを見てみたかった為、明治時代ルートを選びました。
全部で2,000円もしなかったと思います、リーズナブルだけどしっかりおいしい。藤枝側の道の駅は売店しかないので食事はこちらでとった方がよいです。
食後は隣に飲食禁止の休憩所があったので、1畳くらいの畳のような台の上でストレッチ&仮眠をさせてもらいました。
暑いからか少しフラフラしていたんですよね。
この静岡側の下り線側の道の駅に平安時代のつたの細道の入り口があります。
今度は装備を整えてこちらを歩いてみたい。
江戸時代、明治、大正ルートは歩道橋を渡って反対側にでます。
この下り側のバイパスのトンネルが平成のトンネル、とても立派。これをくぐればあっという間に宇津ノ谷峠をスルーできるのでしょう。
左の陸橋の下には自転車乗りの方々が駐車して出発していました。
平日だという事もあり人が全然いません、今は円高の影響もあり各地で外国人観光客があふれていますが…
ここはまだ知られていないのか外国人が全然いません、旅行はこういうところを選んでいくのが良いと思います。
オーバーツーリズムでうっとおしいですからね。
見た目は綺麗だけど、住むとなると結構大変そう。昔は鞠子宿と岡部宿の間の宿だったのでしょう。
右に行くと戦国時代江戸時代の旧東海道、左に行くと明治のトンネル。
今日は少し楽をします。
若い世代がどれくらいいるんでしょう?いつまでも残してほしいですが…
宇津ノ谷峠のジオラマ 近くにトイレがあったので拝借、本当に人っ子一人いません。
いよいよ明治のトンネルです。車一台くらいなら通れそうですがここは歩行者専用になります。恐らく自転車は大丈夫そう。
夕方には電気も消えてしまうそうです。
iPhoneのカメラの性能のおかげでとても明るく見えますが実際はものすごく薄暗いです。
滅茶苦茶怖い、ガタイの割に怖がりなワタクシは後ろを振り返る事もできず早歩きで歩きます。
13時ですが人がいません。
トンネルを抜けるととても清々しい
岡部宿の浮世絵ということですが正確には岡部宿はもう少し先です。
鬱蒼としています。サンダルなので枝を踏まないように進みます。
まだ車も一般的ではない時代、人力車が通ることができるトンネルができただけでもかなり便利になったんでしょうね。
さらに下るとバイパスにでました、こちらは上り線昭和のトンネル。たまたま車が写っていませんがかなりの交通量。
岡部側の道の駅に足つぼ施設が!結構荒くて痛いですがかなり疲れが取れました。
静岡側に比べると簡素な作り、お土産とパンなどが売っているだけでしたがアイスのクーリッシュを購入しベンチで食べます。
右側の山の藪の奥からドッカンドッカン大砲を打つような音がしてました。
自衛隊の演習場でもあるのかと地図で見ましたがそのようなものは見当たらず…あの音はなんだったんだろ。
山の中にある新東名道路の騒音だったのかな?
住宅街を抜け歩道が狭い県道を歩いていると枡形跡がこの辺りが江戸側の見附みたいですね。
21番目の宿場町、岡部宿に到着です。
左の県道沿いに行く方が近道ですがここは旧東海道に倣って右側に進みます。
お灸をやるお寺がありました。調べてみると1594年に開山された専称寺では、江戸時代の学僧幡随意上人から伝授された灸療法を代々の住職が受け継ぎ、「一ト火灸(ひとひきゅう)」として施術していて「お灸のお寺」としても知られています。お灸をすえると旅の疲れが和らぐとして、参勤交代の大名や武士など多くの旅人が施療に立ち寄り、評判を集めたそうです。
鍼灸は古くから人々を身体を癒していたんですね、この令和の世にも受け継がれていると思うとなかなかロマンがあります。
岡部宿は小さい宿場町ながら無事宇津ノ谷峠を越えた旅人の安息の地だったそうです。
京から江戸に向かう旅人も夕方についた人はここで宿をとったのでしょう。この辺りでまだ16kmくらいでしょうか、今日はいつもよりきつい。
お休み処になっており、中でスマホを充電させてもらいながらアイスコーヒーをいただきます。
ちょっと頭がクラクラするので20分ほど休憩。店員の方にあまり無理しないでくださいと心配していただきました。
中は芝生の広場ですが、入り口の門は再現されています。
消防小屋の横にサインが…次は藤枝宿 2009年から岡部宿は現在は藤枝市になっていますので市内には入っています。
藤枝はとても広いんですね。
小さい橋のたもとに何か書いてあります、なんでも晩年に小野小町が岡部宿に宿をとった時にこの橋から夕陽に染まる西山の風景にみとれていたところ、ふと水面に目を移すと長旅で疲れた自分の老いた姿がうつっていてそれにショックを受け嘆き悲しんだとのこと。そのエピソードから宿場の人々は小野小町の姿見の橋と名付けたそうです。
なんだかんだ平安時代もルッキズムに侵されていたんですね(笑)
形は変えているのでしょうが平安時代からあるというのはなかなかすごい。
ふと地元の神社があったので今日はまだお参りをしていなかったという事もあり参拝させていただきます。
関東平野の平地に生まれ育ったからか、斜面に作られた神社にとても惹かれるんですよね。(笑)佐護神社というそうです。
正面のにあるのが本殿かと思ったら物置らしかったので中腹にあるこちらにお参り。
賽銭箱が無かったので代わりにゴミを拾っていくことにしました。
ゴミはどこにでも落ちていますからね。
再び旧街道へ、道路が加工されております。しかし、暑いししんどい…
再び県道へ合流、交通量がある県道を歩くのは空気も悪いししんどいのでこちらの藤枝市役所岡部支所の横を抜け岡部川沿いを行くことにしました。
恐らく昔の町役場でしょう。帰宅途中の元気な小学生たちがおりました。
吊り橋のような橋があったので渡ってみましたが特に何もなかったです。
ここもサイクリングロードになっているようで、自転車乗りのおじさん達とすれ違います。
今日はほんとうにしんどい、ちょうどよい階段があったので股関節のしつけと水分補給。
この辺りから岡部川は朝比奈川と合流し朝比奈川になります。
どくだみの葉っぱがものすごく茂っています。先輩のお墓もどくだみすごかったなぁと思いだしました。
時間は15時20分
宇津ノ谷峠の平成昭和のトンネルから続く道路ですね、こちらを車でいったらあっという間なんでしょうね~
ここも下校途中の小学生たちがいます、挨拶をしてくる子としない子がいますが女の子は挨拶しないようです。
まあ、女の子はそれくらい警戒心が強い方が良いかもしれませんね。
この辺りは横内という間の宿だったのか掲示がされています。岩村領という場所だったそうです。
この先に小学校がある感じですね。
細かい文字が書いてありましたが疲れていた為、スルー
この辺りの水質はあまり良くなさそう。
ベンチがあったので股関節のしつけ、時間は16時。本当にしんどい
自転車の中学生が挨拶してくれます。
大きいスーパーもあり、新しめの家が並びこの辺りは新興住宅街な感じですね。水守中央公園というそうです。
ここにも足つぼが!もちろん二往復します。足裏がとても楽になります。
先日、27時間テレビのサバイバルマラソンのトレーナーの仕事をしてきましたが、この経験が役に立ちランナーの方の足裏のケアを重点的にやりました。
足根洞という部分を広げてあげると老廃物がながれやすいのです。
県道を渡り住宅街を歩いていくと商店街になります。さわやか通りからちとせ通りと名前を変えます。
お店にあったポスター、日本代表のキャプテンを長く勤め、最近引退しドイツでコーチをしている藤枝の英雄長谷部誠さん。
この近くに母校でもある名門藤枝東高校があります。ゴン中山さんの母校でもありますね。
さすが日本のブラジル
藤枝宿は日本橋を出て22番目の宿場町となります。
この辺りは問屋場跡 藤枝も都市化されているので昔の物はほんとんどないですね。
恐らく浮世絵の場所はこの辺り、人馬継立。ここで人馬を交換し荷物を受け渡していたとのこと。物流は飛脚もそうですがリレー形式だったんですね。
到着して荷物を降ろしているグループと出発しようとしているグループが描かれております。
綺麗な公園があったのでここでも股関節のしつけ。脚がとても痛い。
岡出山小路というそうです。
時間は17時、もうひとふんばり。
上伝馬交番、おそらく地図で見るとこの辺りが本陣だったみたいです。
橋の手前が京側の見附っぽいですね、西木戸跡と書いてあります。
その先に行くと岡野繁蔵さんという方の碑が… 明治時代にここで生まれ、インドネシアのスマトラ島でデパートや貿易で栄え南洋のデパート王の異名を誇ったそうです。
太平洋戦争で日本に引き揚げ、その後衆議院議員として地元に貢献したそうです。
「希望に起き感謝に眠れ」を信条としていたそうです。良い言葉ですね。
駅周りは、スナックやキャバクラのようなお店が多かったです。地方都市あるあるですね、その他のお店はなんだか静かでした。南口はまた違うのかもしれませんが…
時間は18時、静岡駅まで在来線で向かい駅で食事をしてこだま号で帰宅しました。
約30km暑さもありかなり疲れました、熱中症対策として9月まで休もうと思います。
ゴールは来年以降になりそうですが、ゆっくりやっていきます。
2024年6月11日火曜日 府中宿~鞠子宿~岡部宿~藤枝宿
29.76km 10時間2分
八潮-秋葉原 往復 942円
秋葉原-東京 往復 292円
東京ー静岡 5,490円
藤枝-静岡 420円
静岡-東京 6,140円
飲食 3,000円くらい
合計 16,284円
総計 89,329円
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2024年5月14日火曜日
天気は朝は曇りですが晴れてくるという事で4月2日以来の東海道ウォーク
今日はこの☆印の新蒲原駅から静岡駅を目指します。
今回の旅からは新幹線を利用します、少しでも安くする為にJR東海のアプリEX予約を使います。
前もって予約をすれば安くなり、紐づいたsuicaやpasmoで切符要らずで乗車できるのでとても便利。当日で空きがあれば別の新幹線に変更する事もできるので予定が早く終わって早い新幹線で帰りたい、逆に遅れそうなので後の新幹線に変更したいという場合にも大変便利。
東京駅でこだま701号名古屋行き6:30発に乗車。こだま号は自由席が多く東京駅は始発なので久々に自由席に乗車。
東京駅ではさほど乗車率は高くありませんでしたが…新横浜駅ではA,C,E席は埋まっていました。三列シートの真ん中のB席って座りにくいですよね、あからさまに嫌な顔されそうだし… 皆さまビジネス利用の方がほとんどだと思います。ただ道楽で歩きに行くワタクシは少々肩身が狭い…トイレに行くとデッキで立っている方もチラホラ。
7:37新富士駅に到着、一時間ほどで着いてしまうんですね~これは楽でいい。普通列車で東海道線を下ると東京駅をこだま号より30分早い5:55の電車に乗っても7:30は小田原駅くらいですのでいかに新幹線が早いのかわかります。
この新富士駅、1964年昭和39年の新幹線開業時には無い駅でした。東海道新幹線では唯一、JR在来線、私鉄にも接続していない駅の為、関東や関西から行く一般の旅行者は中々行くことはない駅だと思います。私もこのような機会がないと降り立つ事もないと思ったので初めて利用してみました。
1988年周辺の自治体や企業、住民の要望でできたいわゆる請願駅という事になります。静岡第三の人口を有し、沢山の工場もありますから地元の悲願だったのでしょう。
前回も書いたように創価学会の力も大きかったようです。
源平合戦の水鳥が羽ばたく様子などが描かれた絵画。
JR東海に勤める友人に「我が社の最新式の券売機がある」と言われていたので色々遠隔でサポートしてくれる券売機を撮影。
よほどのことが無い限りもう二度と降り立つこともないでしょうから駅を撮影。
修学旅行なのか沢山の学生たちがおりました。
ここからJR富士駅までバスで向かいます。小さいタイプの富士急バスに乗ります、190円。
15分ほどで富士駅に到着、電車が遅れていたらしくホームにはすごい人…朝8時なので学生さんが沢山、静岡駅まで行くのでしょう。
新蒲原駅まで二駅なので満員電車でも我慢できます。
新蒲原駅に到着、ここで降りる人はあまりいませんでしたね。
左足首に鈍い痛みがあったのでベンチに座って自分でアライメントを整えます。まあ温まればなんとかなるでしょう。
住宅の間を抜け
素敵な水路、奥には神社が見えます。
西本陣平岡本陣跡、写真を撮った直後に住民の方がゴミを袋を持って出てきたのでビックリ。住まれている方がいるとは存じ上げませんでした、大変失礼いたしました。
大正三年に洋館風味に建てた五十嵐歯科医院さん、今は診療していないようです。ガラスが波打っています。
宿場町の両端は鍵型に折れ曲がっており、敵が攻めてきた時に宿場を見渡せないようになっておりその名残りですね。
地方あるあるなのですが、独特のにおいがします。恐らく下水道が整備されていないので浄化槽の家が多いのだと思います。
勝手に歩かせてもらっているので文句は言えません。
再び県道にでます。桜エビを売っている魚屋さん、次の由比宿は桜エビが有名。
前回蒲原宿の手前で橋を渡って交差した東名高速道路を今度はくぐります。
東海道16番目の宿場町 由比宿に到着です。 蒲原宿と由比宿の間は短く1時間ほどで到着しました。
一里塚のそばの電柱に日本一桜えびのまち由比と書いてあります。桜えびのかき揚げなんて最高でしょうが今はまだ朝九時。
そこまで古いものではないと思いますが、街道の雰囲気を残した木造家屋が良い感じ。
由比本陣公園 本陣があったところが資料館やレストラン、歌川広重の美術館となっておりぜひとも中を見たかったですが美術館は時間の関係で断念。
とてもきれいな庭が整備されており、ベンチがあったので股関節のしつけ。これをやるのとやらないのではだいぶ違います。
本陣公園の目の前には正雪紺屋という染め物などを扱っているお店が…
由比正雪とは3代将軍家光が亡くなった時に幕府政策の批判と浪人の救済として幕府転覆を図ろうと挙兵したが、密告され捕らえられそうになったところ自刃したそうな。
出自については諸説ありますがここが生家と言われているそうです。
まあ幕府からしたらテロリストということだったのでしょう。平和に見える江戸時代も色々あったんですね。
国の登録有形文化財に登録されている清水銀行の油井支店本町特別出張所
西洋風の立派な外観
前回の反省を踏まえ新幹線で日焼け止めをつけてきました。特に首がヒリヒリ痛くなってしまうんですよね。
海側は手前から東海道本線、国道一号線富士由比バイパス、東名高速道路が通っています。
あまり車が通らない旧街道に比べてあちらはビュンビュン車が走っております。
工場があったので何気に目をやると、あの有名ないなば食品さん。
シーチキンや様々な缶詰で有名。
生の桜えびやシラスが買いたかったですが今日は道中暑くなりそうなので、天日干しにされた桜えびを購入。
これなら腐らないですみそうです。レジのおじさんに行ってらっしゃいと言われました、ここからはさった峠になりますし歩く人も多いのでしょう。
すれ違った中学生~小学校高学年くらいの集団に大きな声で挨拶されました、とっさに私もおはようございます!と挨拶。
海なし県に生まれ育つと海を見ると近くに行きたくなるのです。
住宅のすぐそばを通る東海道本線、電車来ないかと思い諦めて進もうとすると。
柵もないし撮り鉄にはたまらないスポットではなかろうか…
撮り鉄は常軌を逸した行動をとる方もいますが…どんな趣味でも行き過ぎて頭がおかしい人って一定数いますよね…
ただ撮り鉄の場合は限定列車などが走る時は一か所に数が増えてしまうので余計に異様に見えます。
コロナ禍で観光客がいないと嘆いていた京都も、今は外国人だらけでオーバーツーリズム。キャパシティを超えた数になると嫌われちゃうんですよね。
どんなものにも適度な数というのはあるので、旅行は空いている時期と場所に行くのが大事。
楽しめなくなってしまうし、地元の人にも嫌われたくないですからね。日本人は他人に迷惑をかけない素晴らしい民族だと思うので心がけたいものです。
トンネルを抜けると、港があります。
漁港に食堂があるそうですが、残念ながら火曜日は定休日。
バイパスから出ようと思ったら、歩行者自転車立ち入り禁止なので仕方なく戻ります。
戻ろうとすると小さいトンネルが…これでバイパスをくぐれそうです。
由比駅は見えているのにこちらに入り口はありません。仕方なく来た道を戻って旧東海道に復帰します。
かなり時間をロスし、ベンチがあったのでここで水分補給&股関節のしつけ。
以外にも駅に向かう方々がおります。車社会とはいえ一定数電車を使う人もいるようです。
由比駅を通過、田舎の駅あるあるで歩行者が通る歩道とロータリーの間に柵がありません。
道路をそのまま横断しても行けそうでしたがここは歩道橋を使います。
この辺りで赤いaquaが横付けしてきて窓を開けて運転席の高齢男性が何か言ってきました、そちらを見ると無言。助手席の奥さんらしい人も無言。
そのまま通り過ぎました。なんだったんだ

この先の桜えび、磯料理くらさわやさんという料理屋の前にすごい数の人。皆、高齢者。11時開店を待っているようでした。
さっきのおじさんもここに来たくて道を聞きたかったのかな?名店らしく美味しそうでしたが今回は断念。
グーグルマップの口コミも4.0、さぞやおいしい料理が食べられるのでしょう。
今日のお参りはここにしよう。
すごい急な階段。先月金毘羅山に行った時に1,368段の階段を上り奥社まで行きましたが…
苦労しないとたどり着けない神社ってご利益がありそうな気がしてしまうんですよね(笑)
見返りを求めてはいけないのですが…おかげで奥社で会ったオランダ人の学生と仲良くなり連絡先交換しました。
とても良い景色。おそらく今、東名高速やバイパス、東海道本線が通っているところは海、もしくは海岸線だったんでしょうね。
この高台にないと津波で家々も流されてしまうのでしょう。
台風の時期なんかは東名高速道路も通行止めになり、ものすごい波が道路に打ち付けられている映像をニュースで見ることができます。
古い民家が立ち並び良い雰囲気。この辺りになるとさった峠を目指す人がちらほら。
軒先に甘夏が売られているのも静岡らしい光景。
さあいよいよさった峠に入ります。さった峠は薩埵峠と漢字で書くのですが、私のPCでは変換されません。面倒だし初見の方は読めないと思うのでひらがなのまま書きます。
富士川を渡った後の坂、岩淵以来の上り坂。
周りは果樹園になっており、盗んでしまう不届きものがいる為か、盗難防止の看板が設置されています。
びわや甘夏が沢山なっており、普通に枝からもぎ取れる距離にあります。モラルがない移民が沢山入ってきたらもっとひどい事になるでしょう。
買おうとするとビワって結構高いんですよね、それもそのはず虫よけの為かひとつひとつの果実に紙製のカバーがついています。手間暇かかるんでしょうね。
下は東海道本線、国道一号線バイパス、東名高速道路が通っております。
そちらを行けばあっという間に静岡市方面に抜けられると思いますが、みてわかるように高速道路は海の上に橋脚をかけて走っています。
当時は断崖絶壁で海沿いには人が歩ける状態ではなかったのでしょう。
新潟県と富山県の県境にある親不知子不知(おやしらずこしらず)と並び称されるほどの断崖絶壁。
一緒に歩いている親や子を心配する余裕もないくらいの険しい道だったようです。
戦国時代に武田信玄軍と今川氏真、北条氏政の軍勢がこのさった峠で合戦を行ったそうな。
室町幕府の時代にも合戦があったようです。
それだけ交通の要衝であったのでしょうねぇ。こんな崖で戦ったら刀で切られて死んでしまうより落ちて死んでしまった人の方が多そう。
逆光で何が書いてあるかわからないと思いますが、さった峠を示す石碑。
手すりもないし間違って落ちたら大変な事になりますね。
峠の休憩所に到着、車やバイクで来ている人がチラホラ。ウォーキングの高齢者達も座って休憩していました。
左端に富士山、今まで歩いて来た富士市、沼津市、三島市、箱根の山が一望できます。我ながら良く歩いて来たなぁと感慨深い。
本来であればこの先は歩行者しか行けないハイキングコースがあり、展望台まで行けるのですが。
残念ながら現在は崩落してしまっており、復旧は来年の3月になる見通しだそうです。
脇を通って行けてしまいそうですが、命も惜しいですしもういい大人なので皆様に迷惑をかけるわけにもいきませんのでおとなしく引き返します。
どうやら熊がでるようです、気をつけねば。
ハイキングコースをいけないので道路を歩いていきます。新緑がまぶしい。
下りきったところにコンクリート屋さんがあり、そのそばに興津川にかかる新浦安橋があります。
新浦安というとディズニーランドの近くのJR京葉線新浦安駅を思い出します。
結構流れが強いです。昔はこの川を渡るのも大変だったんでしょうね。
上は東名高速道路。
この辺りは住宅街。興津駅に向かう道路の道幅が旧街道くらいのサイズだったので調べてみると、やはり身延道という山梨に抜ける旧街道でした。
駅前のベンチで水分補給と股関節のしつけ。
時間は12時過ぎですがあまりお腹は空いていません。朝沢山食べましたからね。
こんなに抹茶が濃いのは初めて、ハーゲンダッツの抹茶を超える抹茶アイスがこの世にあったとは!
街道沿いは空気が悪いので海沿いの公園を歩きます。塀の向こうはバイパスの一号線、その向こうには物流倉庫があり巨大なクレーンがいくつもあります。
日本有数の港町清水港はもうすぐです。
これはいいとサンダルを脱いで歩くもめちゃくちゃ痛い。手すりにつかまりながらもなんとか踏破。
その時はとても痛いのですが、そのあとはものすごく軽くなります。ビルケンのサンダルで歩くことにより足底筋をかなり使っているので疲労がたまっていたのでしょう。
地元では恥ずかしくてできませんが、周りに誰もいなかったのもあり使わせてもらいました。
トイレットペーパーを持ち帰らないでという張り紙… こういうところのトイレットペーパーって硬い質が悪いものが多いと思うのですが…
それを持って帰ってしまう人もいるんですね。わずか何百円もケチりたいという人は一定数いるようです。
無料で使える施設って質が悪い人も来てしまうので往々にしてこういう事がおこりがちです。
私もケチですが人に迷惑をかけるケチはあかんです。ケチは正しく行いましょう。
再び歩いていると再度足つぼ設備を発見、しかも前回のものより大きい。
靴下ごしでもかなり痛い…
かなりスッキリしました。
すぐそばのイオンで伊藤園が販売している静岡茶を購入。恐らく静岡限定商品、とても安く買えてうれしい。
清見寺です。敷地内に踏切があります。
奈良時代に創建され、今川方の人質となった徳川家康幼少期を過ごした場所でもある歴史ある寺院がなぜこんなことになったのかというと…
文明開化の明治時代に鉄道を作る際にルートに入ってしまった清見寺に鉄道が通されてしまいました、国からお寺に謝礼金が支払われたのですが時の住職がそれを全額「どうぞ新しい日本国の為にお使いください」と返納したそうです。
今も昼夜、人や物品が行きかう日本の大動脈を担っていることを考えると、当時の住職さんはとても立派な方だったんだなと思います。
宗教人の鏡ですね。
現代日本では宗教というとネガティブにとらえられることが多いです。
ねずみ講のように人から金品を巻き上げるカルト宗教や一昔前にメディアにも出ていた高級外車を多数所有するようなお坊さん、税制的に優遇されている宗教法人への反感があるのだと思われますが…
世のため人の為に宗教活動している方もいるんですね。
あまり時間もなかったのですが、ここは見学したかったので寄り道。
東海道線は旅客電車、貨物列車がよく走っています。
豊臣秀吉が北条氏征伐の際に陣鐘として使用した梵鐘。
もっととっても良さそうな気がします。
写真を沢山とってくださいね~と係りの女性の方に言っていただきました。
確か、明治天皇がご休息された場所だったかと…うろ覚えですみません。
本堂裏にある家康の部屋。とても狭いですね…わずか六歳の子供を人質として差し出さなければいけないってどういう感覚だったんでしょうね。
昔は10代の娘を政略結婚させたりと今では信じられない事が行われていたようですが。
時代は違えど我が子をそのようにするのはとても辛い事であったと思います。
水は淀んでいますがきれいな庭園。手入れも大変でしょうね~雑草はすぐにはえてくるでしょうし。
とてもよい香りがお寺の中に漂っています、そのお線香が売られていたので購入。買っていく人がとても多いのだとか。
二階からの眺め、物流倉庫に阻まれていますが昔は港が一望できたのだと思われます。
先ほどの梵鐘。太平洋戦争時には多くの鐘が軍に接収されたのですが、こちらは歴史的な価値も高い事からそのような事はなかったようです。
長居し過ぎてしまいました。時刻は13時36分、先に向かいます。
階段の途中にも民家があり…道路にも面していない為、宅配の人は車を降りて台車で運んでと大変だろうなと思いました。
歩行者専用の踏切を渡り、東海道に復帰。一路府中を目指します。
何気なく撮った写真なのですが、実はここは昭和の大事件の現場だったのです。
この踏切を渡った左側に、空き家があるのですが…目の前に通った時、空き家があるなと妙に印象に残っておりました。
私はその事件のことは良く知らなかったのですが、この数日後のニュースで知ることになりました。
1966年昭和41年に起こった袴田事件の現場だったんですね。
味噌工場の専務一家4人がめった刺しにされた上、放火されたという大変凄惨な事件であったそうです。
従業員であった元ボクサーの袴田さんが逮捕され、先日死刑が再求刑されニュースにされていたんですね。
現在も鹿児島県警の不祥事のもみ消し問題などありますが、当時の警察の取り調べは今と比べ物にならないくらい大変杜撰なものも多く、検察が出した証拠の衣類が袴田さんのサイズと合わないなど冤罪説が信憑性をおびてきており…
現在でも論争が続いております。
ネットで見ると、家族の中で唯一被害に巻き込まれなかった長女がたまたま帰省して祖父母の家にいたなどありますが…真相は闇の中です。
今なら防犯カメラやDNA鑑定などでわかるのかもしれませんが…
今ある空き家は事件後に生き残った長女が再び建てて住んでいたそうですね。それはそれですごい話ですが…
再び国道に復帰。
ここからは都市化していき正直つまらない道のりになり、とてもつらかったです。
静岡県知事選の前だったので選挙ポスターが貼ってありました。
リニア早く通してほしい。
健康にはり、新幹線からもよく見える建物です。
行ってみるととても静かで扉もしまっておりました。
もう一つ建物があったのでそちらに行ってみるとこちらも営業はしていない様子。
ネットで調べると、内陸に新社屋を建てたのでそちらに移転してしまっているそうです…
運が良ければ見学させてもらいサンプルやリンちゃんグッズをもらおうと思っていましたがとても残念でした。(セコイw)
いつも使われている鍼がどのように作られているのかいつか見学に行ってみたいと思いました。
路線バスのベンチを借りて股関節のしつけ。
時間は14時30分
無縁さんの碑 街道で行き倒れた方を地域の方が近くの寺院に埋葬した歴史があるそうです。ここで埋葬されたわけではなさそうです。
この辺りは松並木があったそうです。
18番目の宿場町、江尻宿になります。
こちらは港があった為か駿河の国で府中宿に次ぐ二番目の宿場町として栄えたそうです。
スマホの充電が心もとなかった為、清水駅そばのマクドナルドで1時間ほど小休止。
20時台の新幹線を予約してあるので少しゆっくりします。
16時になったのでぼちぼち出発
宿場はやはり鉤型になっており宿場の中が遠くから見渡せなくなっております。
高度経済成長期からバブル期には栄えたと思われる商店街。頑張って営業しているお店もありますが少し寂しい雰囲気。
江戸時代にここに橋を架けた時に竣工式が行われた際に宿場の長老夫婦が渡ろうとしたところ、子供が先に渡ってしまったそうでなんでもそれが河童だったのではと言われ橋の名前が稚児橋となったそうです。河童の銅像が欄干の上に置かれていますね。
恐らく、戦後高度経済成長期に入り都市部や産業が活発化したところは急速に都市化され昔ながらのものは残せなかったのだと思います。
みんな貧乏だったわけですから、豊かになるのに一生懸命だったわけで歴史的な価値があるものなど保存しようという取り組みはある程度豊かになってからでないとできないのだと思いました。
由比や蒲原のようなイマイチ都市化できなかった場所の方が昔の物が残っているのはそういう事なんでしょうね。
ちびまる子ちゃんの作者さくらももこさんの出身小学校。静岡市立清水入江小学校。
平成の大合併前では清水市だったので、さくらももこさんが通学していた昭和の時代は清水市立だったんでしょうね。
写真はとりませんでしたが清水駅でもちびまる子ちゃんのイラストが貼ってあり、清水はちびまる子ちゃん推しなんですね。
海沿いのショッピングモールにはちびまる子ちゃんランドなるものがあるそうです。
作者が亡くなってもいまだにテレビ放送されていることから、サザエさんと共に国民的アニメになりましたね。
おじさんが小学校の写真を撮っていると通報されそうなのでさっさと先に進みます。
こちらは元追分、追分ようかんという江戸時代から愛されるようかん屋さんがあったそうなのですがこの時は知らずにスルーしてしまいました。
この辺りではかなり疲労困憊でした…
JR東海道線としずてつの愛称で地元に親しまれる静岡鉄道清水線を越えていきます。
軒先にそら豆が売っていたので購入、年季が入った回収箱に200円を入れます。
これが物凄く新鮮でおいしかったです。独特の臭みも全然なかった。
イオンモールのそばにあるベンチで股関節のしつけと水分補給、近くにはしずてつ狐ヶ崎駅があり学校帰りの高校生や買い物の主婦らしい方々が沢山通ります。
この金網の裏には上原堤、宗旦池というため池があり、農業用水として使われていたそうです。昭和の初めには小さい遊園地になり平成初期まで60年も営業されていたとか。
イオンモールはその跡地に建ったんでしょうね。蚊が沢山おりました。時間は17時
片側4車線の大きい県道にぶつかります。

地元で愛されているらしきローカル回転寿司のお店があったので少し早い夕飯。
100円すしと良いお値段の回転すしの中間くらいの味と価格。コスパ良くおいしかったです。
フードトラックなどがでていたので調べてみるとプロ野球の二軍戦が行われているようでした。
なんでも静岡にくふうはやてベンチャーズという新球団が発足し、今年から独立リーグではなくプロ野球の二軍ウエスタンリーグに参戦しているとのこと。
サッカーで有名な新潟アルビレックスの野球チームもイースタンリーグに参加しているそうです。
NPBって参入障壁が高そうでしたが近年は敷居も低くなってきているんですかね、とても良い事だと思います。
この日はヤクルトの二軍と試合をしていたみたいです。
県道から外れ旧街道は鉄道に分断されてしまった場所に向かいます。
歩道がなくとても怖い、かつてはコンテナがある場所を東海道が通っていたのでしょう。
一台しか通れない幅がある為、車で侵入する場合はクラクションを鳴らしながら通行します。
途中まで入って反対側からクラクションが聞こえたのでとてもビックリして走って逃げました(笑)
こちらから車が行くタイミングを見計らいダッシュでついていきます。
中ではすれ違える退避スペースがあります。自転車も普通に通っている事から地元の人は慣れているんでしょう。
それでも夜中だったら尚怖いだろうなぁ
歩行者通行禁止なのかと思いましたが、反対側には歩行者用の階段があったので大丈夫であったようです。
ここからが意外に長い、一時間ほどかかるんですね。
タワマンが立ち並ぶ光景を見て、やっと静岡駅だーと思いそうですが…ここは東静岡駅。貨物駅があった場所を再開発した場所で埼玉で言うと大宮の手前、さいたま新都心のような感じでしょうか。
しずてつ沿いを独り言をブツブツ言いながらひたすら歩きます。(笑)
ちょっとヤバイ奴です。
地方は外灯が少なく国道沿いでもかなり暗いんですよね。闇落ちを助長させます。
やっと府中宿の案内板が!徳川家康が将軍職を退いた後、大御所として君臨した府中です。
サラリーマン時代に静岡支店があったビル、懐かしいなぁまだあるのかな?当時お世話になった方々は元気ですかね。
向かいにあるホテルアソシア。JR東海系列のホテルだったと思います。スーツさんも動画で現代の静岡の本陣と言っていたように駅至近では一番良いホテルですね。
ペーペー社員だったのにも関わらずワタクシもここが定宿でした。
静岡駅に到着、休憩も挟みましたが12時間、40kmを歩きとおしました。
一本早い新幹線に乗れそうだったのでex予約アプリで変更。
これはとても便利、空き席があれば当日であれば差額なしで変更ができます。
帰りは私が12時間かけて歩いた距離を10分弱で通過してしまう新幹線に驚きました。
文明というのは素晴らしいですね。
2024年5月15日 蒲原宿~由比宿~興津宿~江尻宿~府中宿
40.3km 11時間45分
八潮-秋葉原 往復 942円
秋葉原-東京 往復 292円
東京-新富士 4,730円
新富士-富士駅 バス 190円
富士-新蒲原 200円
静岡-東京 6,140円
交通費計 12,494円
清見寺入場料 300円
飲食 2,500円くらい
お線香 800円くらいだったような
桜えび 1,080円
合計 17,174円
総計 73,045円
次の記事 しばらくお待ちください。
前の投稿 東海道を歩く⑩ 6日目 箱根峠~三島宿~沼津宿~原宿 | 鍼灸整骨院あおてあ|八潮市大瀬 (aoteabodydesign.com)
箱根八里を踏破したので今日から再びビルケンのサンダルで歩きます。
購入してから一年半履いていたのでソールが削れてしまった為リペアに出しました。
レイクタウンアウトレットの店舗に行くとお店の名前が変わっており…クオリネストという名前になっておりました。
思わず間違えたと思い探し回ってしまいました。
店員さんに事情を聞くとビルケンシュトック本体が直営店を出す為、日本の代理店ベネクシーとのライセンス契約が無くなったとのこと。
クオリネストはベネクシーの自社ブランドとのことで、まだビルケンシュトックの商品も購入できるとのこと。
ソールの張替えやリペアに関してもビルケンシュトックが日本で職人さんを雇用するのが時間がかかる為、しばらく受付してくれるとのことです。
三陽商会とバーバリーの関係が思い出されます。
3月に新宿にコンセプトストアを出店しshinjukuというモデルを発売したことも話題になりました。
さて、こちらが古いソール外側や踵に荷重がかかってますね。これは大変ダメな例です。デブは小指側に体重がかかりがち…
新しいソール、緑は限定色の為選択できなかったので茶色にしてもらいました。
フォアフットで踵を削らないように正しい歩き方を頑張ります。
価格は7,000円ちょっと、ネットで探せば一万円以下で新しいのが買えますが…
限定の迷彩色が気に入っているのとフットベッド(靴の中敷きに相当する部分)が自分の足に馴染んでいるのでありだと個人的には思っています。
今日も始発で秋葉原までつくばエクスプレス、東京駅から沼津駅まで行きそこから静岡行の電車に乗り換えます。
三島駅で伊豆箱根鉄道のラブライブ電車を発見。
アニメ自体見た事はないのですがこういう町おこしって良いですね、いろんな層の観光客を誘致できますからね。
原駅に到着。 貨物列車が通過します、東海道線は昼夜問わず貨物列車が走ります、日本の大動脈の一翼を担っているんですね。
通路に貼ってあるJR東海、吉高由里子さんのポスター
会社員時代出張で何度も東海道新幹線に乗りましたがTOKIOさんのアンビシャスジャパンが車内チャイムの定番でした、去年の夏からUAさんの会いにいこうに変更。
少し寂しい気もしますが…会いにいこうもとても良い歌です。JR東海「会いにいこう」フルMV ~ハナレグミ ver.~ (youtube.com)
JR東海は昔から良いCMが多いです、牧瀬里穂さんや深津絵里さんのクリスマスエクスブレスのCMも良かった、大人になったらこんな恋愛ができるのだと思っておりましたが世の中そんなに甘くはありません。山下達郎さんの歌も良かったなぁ。
ジングルベルを鳴らせなかったおじさんの思い出話はこの辺にしてさっさと歩きます。原駅の駅舎
原宿の浮世絵 富士山も白いし稲も刈り取られているので冬場だと思われますがすごい薄着…昔の人は我慢強かったのでしょうね。
歩道が狭い街道を歩くのはつらいので今日も千本松原沿いを歩くことにしました。
住宅地を抜け
松林を抜け、コンクリートの堤防を上ると
今日も美しい駿河湾
挨拶をしてくださる、地元の方と思われる方々とすれ違います。割と女性の方が挨拶してくれますね。
お互い歩いているので挨拶するかどうか迷う時は会釈がおすすめです。挨拶してくれたのにとっさに返せなくて失礼な事をしてしまった、挨拶したのに無視されたというストレスを軽減できるので大変便利。
会釈を無視されても気付かなかったのかと思えば大した心のダメージがない為です。
富士マリンプール、沼津市から富士市に入ったようです。
この辺りは海はありますが泳げるようなビーチがあまりないのかもしれません、サーフィンしている方もみませんでしたし。そのためこのようなプールが必要なのかもしれませんね。
ここのベンチでSTAで学んだ股関節のしつけ。これは腰痛対策にも最適、長時間歩いてずれてしまう股関節の位置を戻してあげます。これをやるとめちゃくちゃ歩きやすくなります。
富士山が見事、富士市は製紙工場の町。紙の生産量が四国中央市に次ぐ全国二位となります。トイレットペーパーでは全国一だとか!製紙工場は水がきれいな方が良いようです。
四国中央市は井川意高さんが会長、社長をされていた大王製紙がありますね。
実は我が八潮市は第六位らしいです(笑)知らなかった。恐らく段ボールなどを作っているレンゴーさんでしょうか、良く知らないので間違っていたら申し訳ございません。
地図で見ると吉原駅に近くなっていたのでそろそろ陸側に戻ります。
丘の上から見る工場、これは日本製紙の関連会社だそうです。スコッティとかクリネックスの会社ですね。
草加市松江にも工場があります、業界二位だそうです。ちなみに一位は王子製紙だそうです。ティッシュでいうとネピアの会社ですね。
元々は細かい村が合併して加島村になりそこから富士町になり、その後田子の浦町、岩村町が合併し富士市になります。
昭和41年に吉原市、鷹岡町と合併し現在の富士市ができあがったそうで、静岡県第三の自治体となります。
これだけ富士山が見事に見えますから富士の名前を冠しても誰も文句は言わないでしょう。※山梨の方は言うかも
丘を下っていく途中に木之本神社があったので参拝、富士市立高校の生徒が作ったお札があったので一枚いただきました。
感じよい路地を抜けて旧東海道に復帰
東海道線吉原駅、地方鉄道の岳南電車の始発駅でもあります。吉原駅とありますが、江戸時代の吉原宿のはずれになります。
宿場町あるあるですね、鉄道を嫌がる住民、既に住宅がある場所には鉄道を通せず鉄道駅や国道の周辺のが発展してしまうという。
でもここ吉原駅よりも富士駅の方が現在の中心に近いので富士駅の方が栄えているようです。
沼川
この辺りは工業エリア、大型車が沢山通り流山街道を思い出しました。
国道139号線と旧街道の分岐点、上には国道一号線のバイパスと東海道新幹線が走ります。
本当はバイパスを歩くのが最短なのですが、旧街道はさらに内陸に向かいます。
これは津波等災害により宿場が内陸に移動していったという経緯があるそうです。
富士市が設置している案内柱。QRコードを読みむと街道の説明書きがあってとても親切。
小さい神社があったので通過しそうになりましたが、気になったので寄り道。
こちらは左富士神社、旧悪王子神社というそうで… 旧名がすごい名前。
一角には依田橋の一里塚跡があります、めちゃくちゃきれいにしてあります。
神社裏手に公衆トイレがあったので拝借、すごくきれいです。地域の方々の手によってきれいにされているそうです、はみ出さないように注意して使わせていただきました。
神社裏に出ると左富士※指が写りこんでしまいスミマセン…
この神社はとてもご利益がある神社らしく、古くからここにあった茶屋には沢山の旅人が訪れ、水難の際にはここに逃げ込んだ村人達が多数救われ、太平洋戦争時には戦地に行ったこの辺りの方々の生存率がとても高かったという言い伝えがあるそうです。
きれいな境内とトイレを見て、現在でもその話が受け継がれているのを納得しました。訪れることができてとても良かった。
ここのベンチでも股関節のしつけをさせてもらいました。
左富士の碑がありました。左富士が見えないのと歩道がなさそうなので裏の川沿いにむかいます。
富士山も綺麗、水も綺麗
浮世絵はこの辺りでしょう。吉原宿東海道14番目の宿場町になります。とても狭い道、東海道もこの辺りは田んぼのあぜ道のような感じだったんですね。
平家越え橋、平家軍と源氏軍が対峙した辺りと言われていますが…富士川までは結構あります。
先ほど見えた吉原駅からつながっている岳南電車の吉原本町駅。製紙輸送の為の鉄道と言われていますが、元々は戦前に敷説された日産自動車の専用鉄道だったそうです。
現在ではどちらの貨物輸送も行われておらず、地域の方の足になっており朝夕は通勤通学客がそれなりにいるようです。
電車は行ってしまったばかりだったので見ることができませんでした。ホームに入るには入場券を買ってくださいと書いてありましたが券売機も見当たらなかったのでこれ以上は入りませんでした。どこで買うのだろう?左側の扉を開ければ駅員さんがいたのかもしれません。
近くにちょうど良い地図がありました。
赤が旧東海道、オレンジがバイパス。旧街道はとても入り組んでいて遠回り。南側に新幹線、バイパスが通っているところを見るとその辺りは人があまり住んでおらず用地を確保しやすかったのでしょうね。
地方都市あるあるアーケードがあるシャッター商店街、全然人に会いません。ですがこの辺りに本陣があったのでかつての宿場の中心。
やってそうなお店はスナックやガールズバーなど夜のお店が多かったです。あとは古くからある洋品店等が営業している感じでしたね。
そろそろお昼なので富士市名物つけナポリタンを食べようと思いましたが…あまり盛り上がってないのか見つけられませんでした。
以前ダイバーシティにあったつけナポリタンはおいしかった。
新通町公園、初代0系新幹線。土日祝日は中にも入ることができ、周りにはミニSLの線路が敷いてあり月一回走るそうです。線路のメンテナンスも大変そう。
富士市にはかつて新幹線の駅が無く、地元自治体や企業等の出資要望により新幹線の開業から遅れる事24年、1988年に新富士駅が開業いわゆる請願駅ってやつですね。
この新幹線がいつから設置されているかは不明ですが、このように展示されているところをみると新幹線停車は地元の悲願だったということがわかります。
静岡名物ハンバーグのさわやか。御殿場店などは首都圏からも近くアウトレットに来るお客さんも多い事から休日は5時間待ちも当たり前という名店であります。
時間は12時絶対混んでいると思って行ってみると待っている方が沢山。
時間がもったいないので初さわやかはおあずけとなりました。
グーグルマップを見ると海鮮の良さそうなお店があったのでそちらでランチをすることにしました。
お昼時で混んでいたらやめようと思っていましたがお店も広く空き席もあったので入店。
日替わりのサービス品、中おち丼とイワシの刺身を注文。店員の方が本マグロの血合いをお勧めしていたのでそれも追加。
イワシがめちゃくちゃ新鮮、本マグロの血合いはごま油でいただきます。
全然臭みがない歯ごたえがあるレバ刺しのような味。注文してよかった。
運よく丸天さんの裏手が旧街道でした。ポカポカでよい陽気です。
どこからでも見えるきれいな富士山
間の宿でもある本市場
旧身延線の線路跡、今の身延線はもう少し西側を走ります。富士駅~甲府駅を結ぶ線で、サラリーマン時代出張で静岡から甲府までワイドビューふじかわで移動したことがあります。
風光明媚で物凄く良い車窓でした。
この線路が移設された経緯には創価学会が関連していると言われ、当時日蓮正宗に属していた創価学会は富士宮にある大石寺に行くために多くの臨時列車を走らせていたそうで…
さばききれなくなった輸送力を補うために1966年昭和44年に新しく線路を引いたとのこと。
その後、日蓮正宗と創価学会はたもとを分かった為、参拝の学会員も激減し臨時列車もほぼ無くなったとのこと。
創価学会は新幹線の新富士駅新設にも関わっていたそうですね。
物凄く巨大な宗教団体ですね。私は学会員ではありませんが、学生時代何人か友人がいたのですが皆とても良い人たちでした。
特に私は勧誘されることもなく、我々世代は親がやっていたけど大人になってから信仰しなくなったという人もいました。
今は会員数も減っているみたいですね。
ここもシャッター商店街。
左に行くとJR富士駅があります。
札ノ辻跡、高札場があったところですね。宿場のルール等が書いてあった場所です。
今は公民館になっています。
この辺りはのどかな住宅街、幹線道路やバス通りは車の通りも多く、歩道が狭いか無い事も少なくないので落ち着きます。
ここで幹線道路に合流、現在の身延線柚木駅。ここは高架化されております。
再び旧街道は住宅街になります。良い感じの土手が見えてたので登ってみると。
雁堤※かりがねつつみ
にでました。富士川の氾濫を治める為に築堤された堤防だそうです。
とても広いです、野球やサッカーのグラウンドが延々続きます。静岡は日本のブラジルとも呼ばれるくらいサッカーが盛んですよね。
桜がとてもきれい。お花見している高齢者のグループがおりました。
家の近くにこんな場所があってうらやましい。この辺りで20キロくらい、足が痛くなってきます。主に腿の外側。
堤を抜けると渡船場跡でもあるその名も水神社。富士川はよく氾濫していたのでこの名がつけられたのでしょうか?
ここでもお参りして、ベンチがあったので股関節、大腿のしつけ。
いよいよ静岡四大河川の一つ富士川を渡ります。安倍川、大井川、天竜川と広大な河川があります。
人材派遣の会社で働いていた時に静岡の方を企業に案内するときはどんなに距離が近くても川を渡ってくれないという事がありました。
全国どこでもそうなのですが川幅が広い為、橋が沢山かけられず慢性的に渋滞が起こってしまうため通勤時間がものすごくかかるんですね。
あれは大変だった。静岡は工場が沢山あるので仕事はあるのですが人を入れるのが難しいという問題がありました…
富士川橋は1924年大正13年にかけられた橋、今年で100周年になる立派な橋です。形もかっこいい
それ以前は木造の橋をかけたりもしたそうですが、基本的には渡し舟だったそうです。
橋の上からは遮るものがないので富士山を見るには良いスポットです。
信仰の対象になるのも頷けます。
橋を渡ったら右に曲がってすぐに旧東海道入り口があります、ここからは上り坂になります。
箱根から三島に下ってから久々の登り坂。
公開している日もあるそうです。
何故丘の上に東海道があるのかというと…先ほどの雁堤ができたことにより富士川東岸は安全になった反面、こちら側の西岸は水害に合う事が多くなってしまったそうです。
そのため、山の斜面に街道や住宅が建つようになったという経緯があるみたいですね。
赤の点線が旧東海道、距離でいうと下の道を行った方がはるかに近いですし、坂も上らずに済みます。
今は治水対策も進み、川岸にも人が住めるようになりました。
富士市商工会の横にある、富士市民俗資料館。中を見たかったですが時間がないので諦めました。
毎度の事ながら20キロ超えると足が辛い、中之郷道標にベンチがあったので水分補給と股関節と大腿のしつけ。
向かいのベンチに散歩中と思われる杖をついた高齢男性がこちらを見ていたので会釈。
上を通っているのは東名高速道路。この旅初めて東名高速道路と交差します。
東名高速道路をくぐって左に曲がって道なりに進むと和菓子のツル家さんがありました。名物の栗の粉餅を食べたかったですが残念ながら定休日。
当時食べられていた栗の粉餅を現代風にアレンジしたものを売っているそうです。東海道を電動自転車で走ったスーツさんも食べていました。
分かれ道、行き止まりと書いてありますがグーグルマップを見ると徒歩なら行けそうだったので右に行ってみます。
この上は東海道新幹線が走っています。東名と違い東海道新幹線は結構交差してます。
新橋→品川→小田原→三島→富士市→蒲原と6回目の交差
いい感じの住宅
登りきると東名高速道路にぶつかります。静岡市の看板、ここが富士市と静岡市の市境になる感じですね。
静岡に入り、函南町、三島市、清水町、沼津市、富士市と4つの自治体を歩いて来たんですね。
橋の上から見た東名高速道路
蒲原宿の東木戸跡 木戸とは宿場の入り口にある門ですね、品川にも高輪大木戸跡がありましたね。
15番目の宿場町になります。
浮世絵は雪で寒そう(笑)
ものすごく巨大なパイプ、地図で見ると日本軽金属の発電所につながっていたので恐らく水力発電の設備なんでしょう。
この橋を渡ると江戸資料館がありましたが…時間が無いのでここも見れず。
軒先で売っていた甘夏を一袋購入、甘酸っぱくておいしかったです。
蒲原駅まで歩きたかったですが宿場の中心は新蒲原駅の方が近い為、新蒲原駅から帰ることにしました。
品川から上野東京ライン常磐線直通列車があったので乗り換えましたがグリーン車がない車両でした(泣)
しかたなく立って乗車、今後の参考にします。
段々距離が遠くなってきたので次回からは新幹線も活用します。次回は恐らく5月になるでしょう。
2024年4月2日 原宿~吉原宿~蒲原宿
26.53㎞ 7時間48分
当日の総歩数総距離47,205歩 31.30km
八潮-秋葉原 471円
南千住ー八潮 335円
秋葉原-原 新蒲原-南千住 2,410円 青春18きっぷ利用
往復グリーン券 3,100円
昼食 丸天さん 確か2200円くらい
甘夏 300円
飲み物 390円
計6,796円
総計55,871円
前の投稿 東海道を歩く⑨ 5日目 箱根湯本~箱根宿~箱根峠 | 鍼灸整骨院あおてあ|八潮市大瀬 (aoteabodydesign.com)
2024年3月19日曇り
今日もつくばエクスプレス八潮駅の始発に乗って東海道本線三島駅に向かいます。
グリーン券を買おうとしたら1,550円の料金が表示され…一瞬慌てたのですが座席前のチラシを見て納得。
3月16日より料金改定がされたんですね。まあ今までが安すぎましたね。
朝夕のラッシュ時でない限り隣に誰か座ることもありませんし、150キロまで快適に座っていけると思うと安いもんです。
草加駅から八潮までタクシーに乗ると車で20分の距離でも3,000~4,000円かかることを考えたら…1,550円の追加でで二時間快適に座っていけるのはかなりバリュープライスです。
今までよりも往復で1,100円多くかかりますが、まあ許容範囲ですね。
当然箱根峠には駅はありませんのでどこかの駅からバスに乗らなければいけません。
前回の帰りは熱海駅までバスで行きましたが、時刻表の関係で一番効率が良かったのが三島駅からバスで行くルートだったのでそちらにしました。
8時ごろ三島駅に到着
学生さんや通勤客でホームはいっぱいでした。正直地方って車社会なので電車通勤する人は少ないのかと思っていましたが…
結構、普通にいましたね… 新幹線の駅でもあるのでスターバックスもあり中々都会、八潮はスタバ、タリーズ、ドトールもありませんからね。
バスの時間まで15分あったので駅の立ち食いそばで、かき揚げそばに三島コロッケをトッピング
三島はコロッケも有名だそうです、おいしいジャガイモが採れるんですね。
後で勉強会で知り合った沼津に住んでいる先生に聞いたら、三島は特にジャガイモが名産というわけではなくジャガイモなら名物にできるであろうと無理矢理作った名物とのこと。
味がおいしいので良いです。
元箱根港行のバスに乗ります。こちらも立ち客が出る位には混んでいます。
途中、三島スカイウォークという地元のパチンコ屋さんが経営しているつり橋で沢山人が降ります。
それ以外の方は元箱根の辺りで働いている方々だと思います。
箱根峠で降りるのは私だけでした。時間はちょうど9時
さらば、相模の国、さらば神奈川県
まあ帰りに電車で通過するのですが…
ここからは静岡県、江戸時代の国名では伊豆国になります。
グーグルマップで調べると箱根峠から静岡と愛知の県境湖西市まで東海道で180キロあります!日本橋に行くより遠いのです。
いかに静岡県が東西に広いのかわかります。
すぐに、箱根エコーパーキングという広大な休憩所があったのでトイレを拝借
この辺りは函南町という町になります。
この看板のゴルフ場方面に向かうと旧街道石畳があるのですが…
ここは確か2019年の台風の際に石畳が流されて壊れてしまい通行止めになっているそうで…ストリートビューでも確認できます。
ただ、函南町の役場のホームページでも現在の状況が見つけらず…ネットで調べたら知らずに行って引き返したという人の投稿もあったので当日復旧しているかどうかわからなかったのですが…
今回は三島側からバスで登ってきたので出口を確認したところ、通行止めになっていたので無駄足にもならずに助かりました。※これは2024年3月19日の情報です。
復旧にお金もかかりますし…函南町の町の中とはいえ、下っていくと三島市に入ってしまうためお金をかけて直しても函南町にお金を落としてくれるわけでもないので町としても復旧する経済的合理性がないのかと想像しました。
残念ですがタダで歩かせてもらっている以上文句は言えません。ということでバスで登ってきた国道一号線を下ります。
旧街道の通行止め
ネットで見ると土嚢等が積んであったのできれいな金網が設置されておりました。
接待茶屋、今は何もありませんが江戸時代ではここで軽食などを提供していたそうです。
ここから旧街道に入れます。
箱根旧街道図、現在地の上の赤い部分が通行止めだったところです。
山中一里塚、まさに山の中
かぶと石、なんでも小田原征伐の際に豊臣秀吉がここで休憩し兜を置いたとか、形が兜に似ているからと両方説があるそうです。これも前回お伝えしたとおり、後年おっさんが適当についた嘘が現在に伝わってる可能性もありますよね(笑)言い伝えとか、宗教、変な風習とかって始まりはそんなおっさんの戯言も多かったのではないかと思います。女性の可能性ももちろんありますが…今はジェンダーフリー多様性の時代なので発言には気を付けないといけません。
まあポリコレ、フェミニストが大嫌いなワタクシの本音はどうでもいいと思ってます。こんなブログ読んでる方はそう多くはないと思いますので炎上はしないと思ってます。
三島市を一望できる展望台があるというのでまだ元気なので寄り道。
途中20名くらいの高齢の方々とすれ違います。山では知らない人とでも挨拶をするのがマナーなので挨拶をします。
挨拶を返してくれない方もいますが、シャイなのかもしくは耳が遠いか挨拶をする余裕がないくらい疲労していると思いますのであまり気にしてはいけません。
曇りで残念ですが、今来たばかりでこれから向かう三島市の素晴らしい景色。
旧街道に戻ります、先ほどすれ違った方々に追いついてしまいました。
気を使わせては悪いので広いところですみませんと言いながら追い抜きます。そうしたら白髪の宮崎駿さんをシュッとさせた様なさわやかな年配のガイドさんから「東海道を歩いているんですか?どこまで行くんですか?」と聞かれたので「今日は原宿まで行きます、最終的には京都の三条大橋を目指しています」と言うと「何泊で行くんですか?」と聞かれたので「休みの度に来て再開しているので何日かかるんでしょうね~」と答えておきました。
こういうコミュニケーションて良いと私は思っています。日本人てたまたま居合わせた他人と話をするのが下手な人が多い民族だと思います。
欧米人て滅茶苦茶うまい。私がいたニュージーランド人も知らない人でも滅茶苦茶フレンドリー。
海外の方に日本人はとても親切のように言われる事がありますが、何故か外国人にはできるんですよね。相手が上手いからなのか、もしくは外面だけは良い人間が多いのか。
アメリカや欧州などは多民族国家が多いので私は敵じゃないよという意味で、街中ですれ違う際やエレベーターで一緒になって目が合うと微笑むという説もありますが…
日本人ももう少しコミュニケーションが上手くなった方が良いと思います。国際線の飛行機なんかに乗ると下手したら10時間くらい隣で過ごすのでお互いに過ごしやすいように私は必ず挨拶をするのですが、日本人にはたいてい「はぁ…」みたいな対応されることが多いです。
「別にお前と友達になりてえ訳じゃねえし、このコミュニケーション下手が!」と心の中で罵っております。※もちろん紳士的にはふるまいます。
マンションなんかでも挨拶できない人とか、車を運転していて交差点で出くわした歩行者や自転車の人とかアイコンタクトすらできない人が結構います。
コミュニケーションはいらんもめ事を減らせたり、安全に過ごすために大事だと思うんですけどね。
ご近所トラブルとか電車内のケンカとかコミュニケーション下手が起こす事が多いのだと思います。
登山道の出口には農家らしき民家があり、そこを抜け横断歩道を渡るとまた街道が続いています。
埋もれていた石橋がありました。1995年平成7年に発掘されたそうです。
この辺りは崖上が国道の為…コンビニの弁当箱やペットボトルなどが散乱しています。
恐らく上からドライバー達が谷に捨てるのだと思われます、残念なことです。
いつものようにゴミを拾いながら歩きますがさすがに全部は拾えませんでした。
立派な木々、何メートルくらいあるんだろう。
また、道路にでると山中城址跡にでました。色々堀の跡等あるらしいのですが…時間がないので少しだけ見て退散。
ここ山中城は有名な豊臣秀吉の小田原征伐、小田原攻めの舞台の一つ。
北条氏政と豊臣秀吉の関係が悪化すると小田原城の西の防衛の為に山中城を改修していたそうですが間に合わず6万8千人の軍勢に攻められ半日で落城したそうな…
3千人で対抗したそうなので北条方は2千人が討ち取られたそうです。太平な日本に生まれてよかった。
自分が北条方の将兵だったらかなり嫌ですよね、山の中に逃げてしまいそう。そんなのがバレたら一族郎党に迷惑がかかりそうですしそれも許されぬ状況なんでしょうが…
夜に来たら亡くなった将兵達の霊が出てきそうですね、成仏しているといいけど。
小さい神社があったのでお参り。
きれいに整備してあります。
この辺りはバスで登ってきた旧道になります。民家が並んでおります。
魔女の宅急便のジジのような黒猫
この先が山中城址跡の駐車場がありました。駐車場にトイレがあったので拝借。
峠は寒かったのですがこの辺りになると気温が上がってきたのでユニクロの極暖からスウェットのパンツに履き替え。
ここから先もきれいな石畳、これを保全するために沢山税金を使っているんでしょうね。ありがたいことだ
再び通りにでるとドラゴンキャッスルという巨大なアスレチックがありました。まだ午前中で平日なので閑散としております。
明日は祝日なので賑わうのでしょう。
バイパスに突き当り横断歩道をわたるとまた旧街道に入ります。
事前に色々調べたところ三島側は小田原側に比べてなだらかそうだったのと、三島から先は平地になるので登山靴は履かずにアシックスのランニングシューズゲルカヤノで挑んでおります。予想通りでしたが三島の石畳はかなり気合が入っていて良いつくり、ところどころコンクリートで固めた上に石畳が置いてあります。大変申し訳ないのですが景観はかなり良いのですがかなり歩きづらい(笑)
この辺りは無法者が訪れにくい場所なのでゴミなどは全くありません。
怠惰な人間が簡単にアクセスできる道路沿いや大きい駐車場などはゴミが沢山落ちていますね。
再び国道に架かる橋、ただ歩くだけの歩道にも手を抜かない静岡県。
リニアモーターカーも早く通してもらいたいものです。
下っていくと三島スカイウォークが見えました。写真右側にはタダで景色は見させんとばかりに塀で覆ってあります。
お金をかけてつり橋をかけたわけですから当然でしょう。
最近どこの観光地に行ってもある、その場所の地名などを模した英語のサインの前で映え写真を撮る人々。
ここまで来ると畑が沢山あります。三島側は日当たりが良いので農地が沢山ありますね。
小田原側はどうしても日陰になってしまうので苔が生えて昼間でも鬱蒼としておりますが、三島側はとても明るい。
日が当たるのはとても良い事で、緯度の関係で日に当たらない事が多い北欧の国々ではうつ病になる方も多いんだとか。
欧米人てオープンテラスのカフェなどで飲食をすることが大好きなのは短い日照時間を有効に活用する術なのでしょう。
夏が短いニューヨークでも夏の休日には沢山の人々が野外に出ていた事を思い出しました。
修善寺方面
畑の間にも石畳
ここを下ると下長坂、通称こわめし坂と呼ばれる急坂になります。
なんでも現在では12パーセントの傾斜だが、昔は20~40パーセントの急坂であったそうで背負った米も人の汗や蒸気で蒸されて強飯こわめしになった事からその名がついたとか。
幸い下りなので肺に来る辛さはありませんが、大腿四頭筋や足裏の前方に多大な負荷がかかります。
ここでのダメージが今日の旅を苦しめる事になります。
ここからは緩やかな下り坂になります、またバスで登ってきた旧道に沿って歩きます。歩道が狭いので家々から突き出ている植物が顔や体に刺さるので注意が必要です。
のどかな風景
分かれ道があったので地図を見るとやはり旧街道、地元の方々が植えたお花がきれい。
時雨坂というそうで、公民館、小学校、幼稚園がありました。
何故か振袖を来た女性たちが小学校の校庭にいました、小学校の卒業式なら親が振袖を着ることもないと思うのですが…
親というには若い感じだったので謎でした。
階段を降りていくとまた道路に出ます、そしてさらに進むとまた石畳の旧街道がありました。
でもどこも絵になる素晴らしい場所がたくさん。
静岡と言えば柑橘類、民家の軒先にも立派な実がなります。
これだけ日当たりが良いので名産になるのも頷けます。
温室などで育てられているフルーツを狩ることができるみたいです。この辺りまで来ると坂もなだらか
調べてみると沼津から修善寺の先までつながっている伊豆縦貫自動車道というそうです。小学生の時に修善寺、西伊豆を訪れた時は当然下道だったので便利になったもんだ。
ここは歩道にも石畳が敷いてあります、とても歩きにくい。
スーツさんはここに電動自転車で突っ込み断念していましたね(笑)
富士見ヶ丘というだけあって富士山が見事に見えます。関東にも富士見台とか富士見という地名はいたる所にありますね。富士山はそれだけ日本人にとって特別な山なのでしょう。
錦田一里塚など歩道はとてもお金がかかっている感じがします。三島市は財政が豊かなんでしょうね。
この辺りで小田原で別れた東海道新幹線と交差しますがトンネル区間なのか全然気が付きませんでした。鉄道は山を越えられないので、小田原から熱海の方を回って函南町などトンネルをくぐってくるんですね。
もちろん最短距離は私が歩いた箱根路になります。
ローソンとガソリンスタンドが併設されているところでトイレを拝借。
ここから旧街道は1号線と離れ再び住宅街を行きます。
住宅街を歩いていきます。山田川を渡ります、地方に来ると思うのですが河川の水が透明できれい。
東京郊外に住んでいると川は濁っているものというのが当たり前ですが、本来これだけきれいなんでしょうね。人口密度が違うんでしょうね、あとは富士山からの雪解け水が絶え間なく流れているから淀むこともないのでしょう。
ロンドンのテムズ川なんかも水道事業が民営化され経営難で浄化が間に合わず汚染が進んでいるという話がありますが…日本も同じように民営化していったら同様の事が起こるのかもしれません。
民間企業は利益を出さないといけないので民営化も良し悪しなようです。
こちらは大場川これを渡ると三島宿、東海道11番目の宿場町となります。
三島大社前、ちょうど浮世絵にも描かれていますね。似たようなアングルで取りたかったのですが道路の反対側に行く時間も体力も惜しいのでしませんでした。
せっかくなので三島大社を参拝、結構人がいます。
にも関わらず前の夫婦や中年女性の二人組がが長々と手を合わせています… どこの神社仏閣にもこういう人っていますね。何かお願いする事が沢山あるのかもしれませんが、後ろの行列を見て早く切り上げよう他人に配慮しない人にご利益なんてないと思うんですよね、と他人を蔑んでばかりいる私にもご利益は無さそうですが…
私は旅をさせてもらっている事、家族の安全に感謝祈願し秒で参拝を終わらせます。
気を取り直して、楽しみでもあった三島のうなぎを食します。
お店は門の横にあるひいらぎさん。三島には沢山のウナギ屋さんがありますが、こちらは口コミも良かったのでここにしました。
うな重上、3,800円 私はちゃんとしたウナギ屋さんでウナギを食べた事がなかったのでめちゃくちゃおいしかったです。
このお店の山椒もさわやかな辛さでとてもおいしい。お土産で買いたかったですがケチマインドが発動し何故かやめました。
伊豆箱根鉄道駿豆線の広小路駅、駿豆と書いてすんずと読みます。 駿府の駿と伊豆の豆ですかね、三島と修善寺を結んでいます。
広小路とは全国至る所にありますが、読んで字のごとく広い街路の事。こちらはモータリゼーションによって国道や高速道路の整備により広い道ではなくなりました。
アニメラブライブのラッピング電車でその界隈には有名、せっかくなので見たかったですがローカル線で頻繁に運行しているわけではないので見るのは断念。
この手前の源平川沿いに、三石神社と時の鐘という観光名所がありましたが…桜家という有名なウナギ屋さんを待つ人で溢れていた為撮影はしませんでした。
ここから先は旧街道にありがちな歩道がないのに交通量がそれなりにある道になります。
常夜灯があります、この辺りが京側の見附になるのかもしれません。
ここで少し寄り道、柿田川湧水公園。東洋一と言われる富士山の湧水ということで見ないわけにはいかないでしょう。
ランチを食べてから左足第二指の付け根が痛かったので小石でも入ったかと思い、手前の運動公園のベンチで靴を脱ぐと石は入っておらず靴下を取ってみると見事な水ぶくれが…
箱根の急な下り坂を降りるのに指先接地をしていたつもりができていなかったようです、靴だったのでいつもの五本指ソックスではなく業者さんにいただいた新品のスポーツソックスがタイトで慣れていなかったというのもあったかもしれません。初日以来の水ぶくれ、当たらないように親指に力を入れます。
公園内にある第二展望台から湧き水を見ることができます。かつて製紙会社で使われていた井戸だそうです。めちゃくちゃ美しい、ずっと見ていられます。
飲んだらおいしいんでしょうね、現在も生活用水として使用されているそうです。ここももちろん投げ銭禁止です。
小さいお孫さんを連れたおばあちゃんが手すりの上に乗って孫と一緒に井戸を撮っていましたが…落ちたらどうするんだろうと思っていると…
「お母さんやめて」と娘さんが止めていました。そりゃそうだ、婆さんが落ちて死ぬのは勝手だけど知らない所で子供が真似して転落したらどうするんだ。
そもそもこんな素敵な場所で婆さんが死んだと曰くが付いたらたまったもんじゃない。
老いては子に従えと言いますが娘さんがまともな大人に育ってよかった。
年を重ねても物事の分別が付かない人間はいるものです。
第一展望台に行くとこちらも綺麗、水底の砂地からこんこんと湧き出る清水。この辺りは駿東郡清水町と言います、まさに名は体を表す。
静岡で清水というとちびまる子ちゃんで有名ですがそちらは静岡市清水区(旧清水市)となりここからは結構離れていますので別の自治体となります。
私の写真の腕前でそれを伝えることができず残念、是非現地に行かれてください。
国道を西に進み、東海道に復帰。
護岸工事をしている黄瀬川を渡ります。
交通量が多い県道を行くと旧街道の分かれ道が…
この辺りは退屈な住宅街…奥に見えるのが狩野川のコンクリートの塀。
と思っていると一里塚が… 左側の石は玉砥石と言って玉を磨いていたそうで、玉とは恐らく宝石のようなものかと思います。大昔西暦930年頃からあるそうで大変古いものだそうです。
また県道に戻り再び旧街道への分かれ道、川廓通り。廓くるわというと遊郭などを表す隠語ですが、城壁など壁という意味が本当だそうでこの先の右側の広場が沼津城跡ということでここでは城壁という意味ですね。遊郭では売られてきた遊女が逃げ出さないように壁で囲っていたので廓と呼ばれていたんですね。勉強になった。
この北側がJR東海道本線沼津駅。お城は二度の大火に見舞われ、空襲により壊滅しお堀も埋められてしまったため現在ではその存在を留めるものはほとんどありません。
知らないうちに沼津宿にはいっていたようです、日本橋から数えて12番目の宿場町です。伊豆の国から駿河の国に入りました。
狩野川ですね、同じ場所を歩いてきていますがコンクリートの塀で遮られているため川自体はそんなに見えませんでした。水害から街を守る為には仕方ないですね。
送別会帰りなのか卒業式なのかホテルから花束を持った年配の男性とスーツ姿の女性達がでてきました。
もうそんな時期ですね。
地方都市にありがちなシャッター商店街… 広大な駐車場を完備した郊外型ショッピングモールにお客さんが流れてしまうんでしょうね、地方都市はこういう光景をよく見かけます。
京側の見附は恐らく過ぎたと思われますのでここで千本松原沿いを歩こうと思い、海側に抜けます。
これは千本どころの松ではないですね…実際は狩野川河口から田子の浦まで約10キロの間に30万本以上植えられているそうです。
飛行機から見ることができます。ここは地域の農民の方々が風や波から農地や住居を守る為に松を植えたそうです。
修善寺や深海水族館側を望む、素敵な場所です。
ここは昭和の時代からコンクリートの堤防が築かれその上がサイクリングロードになっており車は入ってこれません、散歩している方や自転車の方々がおります。
東海道は時代と共にルートを変えており海沿いを歩いている時もあったみたいです。
北条水軍と武田水軍の海戦が行われた場所でもあります。
江戸時代の人々も天気が良い日は海沿いを歩いたのではないかと思います。もうすぐ16時先を急がねば、段々肌寒くなってきました。
すごい松の数 風で松の形がリーゼントのようになっています。
駿河湾は物凄く深くなっておりとても良い漁場になっています。夕飯には少し早いですがせっかくなので沼津の海鮮を食べたくなり千本街道沿いにあったこちらの回転寿司へ。
丸ビルや羽田空港そしてなんと流山おおたかの森にも支店があるそうですが、現地でなければ食べられないネタもありそう。
とてもおいしかったです。
「沼津魚がし鮨」グループ|港直送の新鮮・でかネタの流れ鮨、宅配寿司 (uogashizushi.co.jp)
ここから原駅までは3km、足の痛みに耐えながら進みます。
13番目の宿場町原宿に到着です。 原宿はとても小さい宿場町なのでそんなに見るところもないみたいなのですが、白隠禅師という有名なお坊さんが生まれた地であります。
「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とうたわれていたそうで。千本松原といい駿河の人々は控えめで謙虚な方が多いのでしょうか、駿河はとても素敵な場所なのでもっと誇っても良いと思うのですが…
白隠禅師は江戸時代には既に廃れていた禅を江戸時代風にアレンジして広めた方だそうで、禅は今や一部の外国人にも親しまれている事を考えると禅を現代にも伝えた功績がある偉大な方だったんですね。私の大好きな沢木耕太郎さんの旅行小説、深夜特急にも外国人に禅とは何か?と聞かれた場面があり…禅とはbeing on the road途上にあるものだと思うと答えていましたね。グーグルで調べると禅とは古くからインドで行われてい精神を一つの対象に集中し真の姿を知ろうとする修行法とあります。
沢木耕太郎さんの解釈も素敵ですよね、さすが作家さん。
疲れと暗さで白隠禅師の墓所がある松蔭寺を通り過ぎてしまい戻る気力も体力もなかったので交差点を撮影、白隠生誕地前。修業が足りないワタクシ。
原駅に到着、時刻は18時ちょうど熱海まで行きそこから上野-南千住ー八潮と乗り換え21時30分過ぎに自宅に到着。
段々遠くなってきました。
2024年3月19日 箱根峠~三島宿~原宿
29.32㎞ 7時間22分
当日の総歩数総距離49,014歩 35.53km
八潮-秋葉原 471円
南千住ー八潮 335円
秋葉原-三島 原-南千住 2,410円 青春18きっぷ利用
往復グリーン券 3,100円
三島-箱根峠 バス 1,090円
立ちそば 530円
うなぎ3,800円
回転寿司 忘れました(笑)
計11,736円
総計48,985円
足のケアはシックスパッドパワーガンでも行っております。先日もお客様にご注文いただきました。
弊所でお試しいただけますのでぜひご利用ください。
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前回の記事はこちら東海道を歩く⑧ 4日目 大磯宿~小田原宿~箱根湯本駅 | 鍼灸整骨院あおてあ|八潮市大瀬 (aoteabodydesign.com)
遂に箱根峠に挑みます。靴はモンベル幕張アウトレット店で購入した登山靴!
店長さんがフィッティングしてくださり、とても親切で私の足にもピッタリでした。
モンベルは日本のブランドなので幅広靴も揃えておりありがたいです。
始発で行くつもりが二番目の電車になってしまいました。
交通費削減の為、JR線管内は青春18きっぷを使います。青春18きっぷも今後続くかわからないとネットニュースで見ましたが無くなったら残念です。
学生が鉄道を使わない春休みに夏休み冬休みの期間に発売されるんですよね。社長も務められた須田さんという方が作ったそうです。
若い頃、友人の結婚式で三重まで行くのに使ったり…仙台の同僚に会いに行くために仙台に行って朝まで飲んで始発で帰ってくるなんてこともやっていました。
新幹線や特急には乗れませんが一日当たり2,410円でJR線乗り放題という素晴らしい切符です。
若い人もこれを使って色んなところに行ってもらいたいなぁと思います。
落ち着いて座りたかったのでグリーン車で行きました、青春18きっぷ利用でも普通列車のグリーン車等にはグリーン券を払えば乗ることができます。
小田原に到着、どうする家康効果で観光客も多いんでしょうね。
駅に飾ってある浮世絵
ここからは箱根登山鉄道で箱根湯本駅まで向かいます。
朝ごはんに小田急系列の立ち食いそば箱根そばを食べようと改札に入ったら、お店は改札外にあることが判明…
しかたなく駅のホームにあったセブンイレブンでおにぎりを買ってホームで食べました。
箱根湯本までは小田急線で使われている車両と同じ車両、制服姿の女子高生がいたのがびっくり。
実は強羅駅の近くに私学の女子校があるんですね、知らなかった。
箱根というと観光地のイメージなので観光客しかいないのかと思っていましたが…朝の時間は通勤通学の方も沢山乗っていました。
箱根湯本より先はお馴染みのこちらの車両になります。
乗りたかったですが江戸時代の旧東海道は箱根駅伝で使う箱根登山鉄道に沿った方の国道一号線沿いではなく、どちらかというと箱根新道に沿った道を進みます。
ですので私はここで下車。
これから挑む箱根の山、前日までの予報では昼過ぎに雪の予報でしたが…当日の予報では11時から降り始めると変わっていました。
急がねば… 本当は三島まで歩きたかったですが時間の関係で箱根峠を目指すことにしました。
旧東海道は大きな旅館や宿泊施設は少なく、民宿やゲストハウス、住宅が並ぶのみで現在はメインストリートの趣はありません。
しばらく歩くと旧東海道の歩道入り口がありました。
石畳が敷かれており旅情を搔き立てられます。
素晴らしい石畳、箱根峠はスニーカーで踏破してしまう人もいるそうですが…
トレッキングシューズは履いた方が良いと思います、石にソールが張り付く感じがないと滑りますし足の捻挫予防になるからです。


再び国道に合流、峠道はグネグネカーブしていく車道を歩道がショートカットして登っていくのでこれを繰り返すことになります。
巨大な宿泊施設、箱根町は神奈川県の財政力ランキング一位を誇ります。
きれいなトイレの横に須雲川自然探勝歩道の入り口があります。
うっそうとしていて怖い…
暗くて怖いですがすぐ左手に有料道路箱根新道があるため結構なスピードで通り過ぎるトラックや車の音が聞こえます。
都市部ではただの騒音ですが、一人歩いていると安心します。(笑)
元箱根に行くまで誰一人としてすれ違ったりすることはありませんでした、冬の平日で雨の予報の時に歩く物好きは私くらいなのでしょう。
滝廉太郎の箱根八里の歌詞のとおりですねぇ、苔滑らか。すべらんようにしないと
箱根に来るほとんどの方が登山鉄道で強羅まで行き、ケーブルカーに乗ってロープウェイに乗ったり。バスや車で行くと思いますが…
これこそが箱根だと思いました。私も幼少期より何度も箱根には来ましたが箱根の良さを一番感じたた旅になりました。
この辺りは東京電力の敷地らしく、水力発電の施設などもあるのでしょうか?順路以外の場所には立ち入らない方が良さそうです。
再び国道に合流、この場所に似つかわしくないめちゃくちゃきれいな神社らしきものがありましたが…
グーグルマップで口コミをみると色々書かれておりました、よくわからないので言及は避けます。
再び遊歩道、ここは割石坂というそうです。
東京電力のグループ会社の小水力発電所、以前は老舗旅館が所有して自家用として使っていたそうな。すごい地産地消だ。
道路を渡って再び旧街道へ、写真だとわかりにくいですが急な下りになります。
山登りあるあるですが山って起伏があるので登っていくときも下らなければいけない所があります。
初心者の私は「後で登らすくせに下らすんじゃねえ」と心の中で思っておりました。
まあ登山も旅行も生きていく上で必ずしも必要な事ではないものなので、そもそもが無駄な事をしているのです。
自然や山道に合理性を求めてはいけないのです。
良い景色だ
大澤坂、座頭転ばし坂の異名もあるそうです。
ここも結構な傾斜があります、思ったのですが大名行列で殿様は基本安全の為もありどの籠に乗っているかわからないように複数の籠でカモフラージュしていたそうなのですが…
こんなに急な坂だと担ぐ方も大変ですし、籠の中の殿様もひっくり返ってしまうのではと思いました。
「殿、ここの坂はお歩きください」などと供の侍達が後ろから押したりしていたのかと想像しました。「足が痛くてかなわん」「もうしばらくの辛抱でございます」なんてやり取りがあったのかと想像しながら歩いていました。
山賊が出たり暗殺されるリスクもありますし、木々の間に気を配り登っていく護衛の侍たちも大変だったでしょうね。
こういう想像をしているだけで楽しいです。旅行系ユーチューバーのスーツさんの名言「教養がないと娯楽に金がかかる」を思いました。(笑)
まあ私もそんなに教養がある方ではないですが、教養的なものに興味があるとこういう歩いているだけの旅も楽しめます。
現代では旅は色んなサービスを受けるものになっており、乗り物に乗ったり、テーマパークや観光施設に入ったり宿泊施設でお金を使って楽しむというのが主流になっています。
もちろんそれはそれで楽しさはあるのですが、身体を使って歴史や文化を感じるという方が私は楽しいと思っています。
前もこんな話したかもしれないので重複していたら申し訳ありません。
間の宿、畑宿に到着。
畑宿は小田原宿と箱根宿の間の宿になります。
寄木細工の集落として有名です、体験施設もありますが平日の朝10時前ということで閉まっており静かです。
街道の石畳は道がぬかるんで膝まで浸かってしまう事もあり、幕府の命をうけ近隣の村人達が作り上げたそうです。
いわゆる公共工事みたいなものですから幕府から給料が出たりしたのでしょうか?タダ働きだったら気の毒だなぁ
石畳を歩くときは感謝の気持ちをもって歩こうと思います。
住宅の間に本陣跡があります。
また旧街道の入り口脇にきれいな公衆トイレがあったので拝借。
ここにはバス停もあるのでちょっとしたハイキングなら箱根湯本駅から旧街道経由の箱根港行のバスに乗ってここで降りても良いかもしれません。
スーツさんの動画でもここまでバスで来て歩く動画がありましたね。
ここでちょうど二時間、山登りは時間がかかりますね。地図でみてもわかるようにここからは徒歩で行く旧東海道、車が通れる旧東海道、国道一号線箱根新道がグネグネ交差しながら登っていきます。もちろん徒歩で行ける道が最短ですが、その代わり傾斜もきついです。
両サイドにこんもりした塚があります。これが畑宿の一里塚。恐らく後年作ったレプリカだそうです。
登っていくと近代的な橋があります。下には有料道路箱根新道をビュンビュントラックが通り過ぎます。
恐らく山を削っているため、旧道の為にこの橋をかけてあるのでしょう。
旧道を歩くハイカーの為にこんなしっかりした橋をかけられる、日本は経済的に豊かなのだと実感します。
車が通れる旧東海道に合流後、左手に階段があります。
ここは箱根七曲りというヘアピンカーブが連続する区間なので、そこをショートカットするように歩行者用の階段が整備されております。
ありがたいですが、階段は大腿四頭筋内側頭に負担がすごいです。このダメージは後々効いてくることになります。
樫の木坂というそうです。箱根の難所の中でも特に厳しい坂であったようで、樫の木のさかをこゆればくるしくてどんぐりほどの涙こぼれると書いてあります。
路肩には雪が積もっております。
どんぐりほどの涙はでませんでしたが結構キツイ。しっかりした階段があり、性能が良い登山靴を履いているので昔の人よりは楽だと思うのですが…
この辺りから雪交じりの雨が降り始めました…まずいなと思いつつ先を急ぎます。
猿滑坂 サルも滑るくらいの坂だそうです。現代も話を盛る人っていますが、昔の人はもっとひどかったのではと私は思います。
有名な滝廉太郎さんの箱根八里の歌詞にも「万丈の山♪」という歌詞がありますが一丈は3.3メートル1万丈の山というと3万メートル、エベレストの三倍以上になります。
昔はインターネットもありませんし、書物だって庶民にとっては貴重品。ですので嘘つきとか詐欺師とか多かったんだと思います。
確認するのが難しいですからね。
道沿いには結構ゴミが落ちていてそれらを拾いながら進みます。小さい飴とかチョコレートなんかの包み紙が落ちています。ハイキングする場合はゴミは持ち帰りましょう。
衝撃だったのがプルタブが分離式のペプシコーラの缶が落ちていたこと…1989年から缶から外れないステイオンタブに変更されたことから捨てられてから35年は確実に経過しているものと思われます。たまたまフタも落ちていたのでそれも拾いました。あとは靴のソール部のゴムが結構落ちていました、古い登山靴ハイキングシューズできて底面がはがれるということが多いそうで、久々に登山する場合は新しいものを買った方が良いかもしれません。
やっと目的地の一つ甘酒茶屋に到着。修繕中でした。
ここにはヨーロッパ系やアジア系を含めた観光客がおりました。皆さん、車やバスで来ている感じ。
自分は歩いて来たんだと勝手に優越感。
注文は入り口のカウンターで先にしてお金を払うスタイル。
両手にゴミを持っていたので「あのー道中ゴミを拾ったのですが捨てる場所ありますか?」と聞いたらお店の女性の方が「あー結構落ちてるんですよねいいですよ」と言って素手で受け取ってくださいました。とても親切にしていただき大変恐縮でした。
囲炉裏もあるし土間にはストーブも置いており大変ありがたい。テーブルの薬草茶は飲み放題。
せっかくなので甘酒とお餅二種類で1,800円
毎日ついているそうでとても滑らかでおいしいお餅、砂糖を使っていない無添加の甘酒と絶品でした。漬物もおいしい。
高いという人もいるかもしれませんが、もち米も高いですし茅葺の店舗の維持費、暖房等の光熱費で結構なお金がかかっていると思います。
物価も高騰していますし、むしろこの場所でこれが食べられるのは安いくらいだと私は思います。
甘酒茶屋の説明書き、最盛期にはこの近くには4軒あり箱根全体では9軒の甘酒茶屋があったそうです。
今はこの1軒が残るのみだそう…周りには人工物も少なく唯一無二のお店なので皆ここを目指してくるのもうなずけます。
現在は車が通る道路側が入り口ですが、昔は当然後ろにある旧東海道が入り口だったそうです。
休憩して足が冷えたのか前腿の内側は痛い、ですが気合で登ります。
ここからの道はかなり急でした。
写真が下手くそですが相当急です。
奥には芦ノ湖が見えてきます。下っていくとヨーロッパ系の方々が散策していました、雨で傘をさしながら歩いていたので見ていてハラハラしました。
あれは危ない
元箱根の街に到着
バスターミナルと港にに若者がたくさんおりました。
大学生の卒業旅行でしょうか?遊覧船もいいけど箱根を楽しむなら街道ウォークだぞと心の中でおじさんがマウント。
右側の箱根神社の鳥居の前でインスタ映えする写真を撮る人たちが行列を作っているそうです。
箱根の関所を抜けます、見学する場合は入場料が必要だそうですが通過のみの場合は必要ないそうです。
チケット売り場の小屋に近づき中にいた高齢のスタッフの方に通過しますと言おうとしたら窓も開けずに行っていいよというジェスチャーをしてもらいました。
色々、展示物がありましたがお金も払っていないのに写真を撮ったり見たりするのは図々しい気がしたので足早に通過。
ここも欧米やアジアの観光客が沢山いました。
京側の入り口
箱根駅伝の往路のゴール兼復路のスタート地点、横には箱根駅伝ミュージアムがあります。
ここから先はあまり観光客が行かないエリアだと思います。住宅街を抜けると芦川坂があります。
芦川の石仏群というのがありましたがちょい不気味だったので写真は撮らず。
あまり道にある仏像等は写真に撮らない方がよいという話もあります。
国道一号線をくぐります。
ここは赤石坂、このエリアもかなり急です。人の気配が一切しません。
箱根峠に到着、最後の挟石坂はかなりの勾配でした。
箱根新道と国道一号線の合流部
ここからバス停まで歩きます、歩道もないので歩いている人は私のみです。ドライバーの方々もなんだこいつはと思っていたことでしょう。
静岡県に突入!相模国から伊豆の国に入ります。
ご覧のように本数が少ない熱海行のバス、先ほど通過した元箱根から来るバスになります。
これを逃すと1時間待たなければいけないため、間に合って良かった。20分ほど待って乗車できました。
無事乗車 熱海市街まで乗客は私一人でした。
急で細い道を大きいバスで運転する技術はすごい。熱海でお寿司を食べて東海道線グリーン車に乗って帰宅しました。
移動距離はいつもの半分ほど、勾配を考えたら仕方ないですね。
2024年3月5日 箱根湯本~箱根宿~箱根峠
14.73km 4時間50分
当日の総歩数総距離 29,828歩 20.55km
八潮-秋葉原 471円
南千住ー八潮 335円
秋葉原ー小田原 熱海ー南千住 2,410円 青春18きっぷ利用
往復グリーン券 2,000円
小田原-箱根湯本 箱根登山鉄道 360円
箱根峠ー熱海駅 バス 1,180円
セブンイレブン朝食 514円
甘酒茶屋 1,800円
計9,070円
総計37,249円
登山靴の中でも足の指を使う事を意識していた為か、筋肉痛以外に特にトラブルはありませんでした。
いつものストレッチとトレーニングも翌日から再開、かえって動かしていた方が調子が良さそうです。
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次の記事 東海道を歩く⑩ 6日目 箱根峠~三島宿~沼津宿~原宿 | 鍼灸整骨院あおてあ|八潮市大瀬 (aoteabodydesign.com)
さて、いよいよ箱根路に挑みます。
ずいぶん遠くまで来たなぁという感じです。
年明け一発目の東海道ウォークは令和6年1月9日火曜日、八潮駅始発の5:03の電車に乗ります。
記憶があいまいなのですが、以前は八潮始発の電車は少なかったし始発ももう少し遅かったような…
3月16日より快速電車も停車するようになるそうで、恐らく八潮以東のみの列車はないと思われますのでこれによりつくばエクスプレスの全列車が停車する駅になりますとても喜ばしい。
便利な街になったもんだ。
この日は東京駅で東海道線の始発、沼津行きに乗ることができました。
下りだしグリーン車に乗らなくてもいいだろうと思っていたら、横浜を過ぎても乗ってくる方がたくさんおります。
満員というほどではないものの、これは意外でした。
藤沢や小田原等に勤めている方も沢山いるということですね。
6:44に大磯駅に到着、しばらくお世話になる東海道本線。
いつ見ても素敵な駅舎です。アニメなんかに出てきそう。
通勤客がそこそこおります、埼玉民からすると観光地ですがここに住んで都内まで通勤通学している方も沢山いるんですね。

駅前にある洋館、大磯迎賓館。 今もイタリアンレストランとして使われているそうです。
駅方面から東海道が通る海に向かっていきます、駅は高台側にあります。
小道を抜けていき、東海道に復帰。一路小田原を目指します。
すぐ右側に偉い人しか泊まれない本陣跡があります、現在は写真屋さんなんですね。
こちらは和菓子屋さん、残念ながら早朝なのでオープンしておらず… 大磯は古い建物が点在しています。
旧街道あるある、左側側道に旧街道が残っており右側のローソン手前で現在の幹線道路にすぐに復帰します。
手前に海水浴発祥の地の石碑がありました。
陸軍医であった松本良順という方がオランダの文献を読み海水浴の効能を知り明治18年1885年ここ大磯町に海水浴場を設置したとのこと。
まあ、それ以前も各地で海で遊んだり泳いだりすることはやっていたと思われますが…
漁師の方々が漁の邪魔になると一般の方に入られるのを嫌っていたという事もあり、健康の為や泳ぐ場所という意味での区分けをしたのがここが最初ということなのだと思います。
すぐに1号線に復帰。戸塚の辺りに看板があった井上かまぼこ店さんがあります、当然早朝なので買い物はできず。
電車内でおなかがすいてしまい、牛丼屋さんの朝定食を食べたかったのですがグーグルマップで調べるとこの近辺には全くそういうお店はありませんでした。
しかたないのでローソンで肉まんを購入。物価高の為、以前と比べてサイズが小さくなっています。
最近は食品の内容量を減らして価格の上昇を抑えるというステルス値上げが横行していますが…普通に値上げすればいいんじゃないかと思います。
長くデフレでいたので値上げに対して企業側も消費者側もアレルギーが強すぎるのではと。
値上げは悪ではないと思うのですが…
とはいえ私も安いものが好きですし、施術費の値上げには慎重になります。
朝食を食べ、先に進むと左側に「湘南発祥の地」という石碑があります。
なんでも中国の湖南省に流れる湘江の南側のエリアが湘南と呼ばれていたそうで、大磯がその地に似ているからつけられたとか…
相模の国の南、相にさんずいをつけたとのこと。
我々がイメージする湘南て江の島、鵠沼海岸がある藤沢市あたりをイメージしますが、それらは大磯からかなり東になります。
今や、大磯を通るバイパスは西湘バイパスと名付けられている事からそういうイメージが定着しているような気がします。
湘南と呼ばれるエリアはかなり広いんですね。
隣には京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並ぶ日本三大俳句の草庵、鴫立庵しぎたつあんがあります。
と偉そうな事を言っていますが私は俳句の素養がないので全くわかりません。
ウィキで調べただけです。
川が流れており風情があります。
海沿いを歩いていくのも退屈なので大磯町役場の横を抜け海沿いにでました。
西湘バイパス越しに見る相模湾に登る朝日、美しい。
バイパス沿いに遊歩道が設置されております。
ここの壁にもならず者が書いた落書きがあります。私、グラフィティは嫌いではないのですがこのように公共物や他人の物に勝手に落書きをするのは良くないと思っています。
スプレーで絵を描いたりあの技術は素晴らしいと思います。書いてもいい場所や自分の資産に描くならよいのですが…
まあこれは下手くそな上に公共物を汚しても平気な精神を持ったアホが書いた落書きという評価をする方がほとんどではないかと思います。
前方にはこれから超えていく箱根の山々が! ワクワクしてきます、思えば遠くに来たもんだ。
あまり街道から離れ続けているのもどうかと思い、戻ることにしました。
右側に広大な庭園が… 大隈重信さんや陸奥宗光さんの別邸跡だそうです。 今は明治記念大磯庭園となっており、庭園は公開されているようです。
千駄ヶ谷の明治記念館と関係あるのでしょうか???
街道にリカバリー 松並木が植えてありいい感じです。
少し行くと八坂神社という小さい神社があります、海のそばだからか入り口が砂地になってます。
お参りして少しゴミを拾いました、地域の神社って感じですね。
血洗川を渡り左手に時の首相吉田茂さんの邸宅跡が…右側には城山公園。
ここから国道をはずれ旧道を行きます。
セブンイレブンがあったのでトイレを拝借、何も買わないのも悪いのでアーモンドチョコを購入。
左手には大磯プリンスホテルが見えます、大磯ロングビーチがあるところですね。
昔は女だらけの水泳大会などが行われていた時ですね、昭和から平成初期にかけてやっていた番組で、必ず胸部をさらけ出すポロリ要員と呼ばれるアダルト女優がおり…
親とみているととても気まずかったのを思い出しました。ちょうどワタクシは思春期真っただ中だったのでガン見したかったのですが(笑)
それも叶わず、今はスマホで容易に見ることができてしまうので逆にありがたみを感じなくなりましたね。ただおっさんになったからなのか…
当時はテレビもセクハラパワハラなんて言葉もなく、下品のオンパレードみたいな番組も沢山ありました。
このような住宅街を歩いていきます。
ちょうど小学校の通学時間、子供たちは右側通行を守っています。
私、ずっと勘違いしていたのですが日本はすべて左側通行だと思っておりましたが…歩行者のみ右側通行が正しいそうです。
もちろん自動車や自転車は左側通行です。この場をお借りしお詫びいたします。
ただし歩道内ではどちらに寄っても問題ないそうです。
自転車に乗った時に混同してしまうので、左に統一した方がよさそうな気もするのですが…
車と対面にした方が事故が防ぎやすいというのが理由みたいなのですが、本当に効果があるのかは謎。
恐らくほとんどの国民が歩行者は右というのは知らないのではないかと思います。※私だけかもしれませんが…
日本の基本的な交通ルールを教えてください 警視庁 (tokyo.lg.jp)
再び国道に合流、ここも松並木が整備されております。一里塚跡ですね。跡形もないですが(笑)
ちゃんと右側通行している子供たち、左側を歩いているおじさん(私)
ここから二宮町、立派な松の木だ。
二宮駅に到着 東海道線は一駅が長いです。
やはり旧東海道、今は営業していなさそうな商店が並びます。通学路につき通り抜けはご遠慮くださいとの表記が…まあ私は徒歩なので問題ないと思います、恐らく車に向けた言葉ですね。
その隣にヤマニさんという醤油の蔵元がありました、なんでもお刺身に合ったしょうゆだそうです。今度見かけたら買ってみよう。
住宅街を歩いていくと、梅澤橋の石柱がありますが川がありません。
地図でみるとこの前後には川があるのでここは暗渠になっているようです。
暗渠 あんきょとは
〘名〙 道路、鉄道などの地下に埋設したり、地表にあっても水面が見えないように、ふたがしてあったりする通水路や排水溝。
の事をいいます。私はブラタモリで知りました(笑)
再び国道に合流すると、左側にまた小道が。
この辺りはお地蔵さんのところに古い正月飾りなどが置いてあります、不法投棄かと思いましたが回収するシステムがあるようです。
信心深い方が多い地域なんですね。
押切坂一里塚跡 江戸より18里の文字が、この先に本陣跡がありこの辺りは間の宿であったようです。
押切坂を下ると中村川という川をわたります。
鯉がうじゃうじゃおります、鯉って汽水でも生息できるんですね。インスタのショート動画で鯉料理店を営む方の動画をみましたが、結構おいしいみたいですね。
一瞬、小田原市に入ってまた二宮町に戻ります。飛び地でもあるんでしょうか。
そしてすぐに小田原市にまた戻ります。 この坂は車坂と言うんですね。ちょうど上の坂に車が停まっていました。
道路を歩いているのも飽きたので海岸にでます。
西湘バイパスの下に見えるきれいな相模湾。
海沿いを歩いていきます。
漁師さんの家等があるみたいですね、軒先に網や漁に使う物が置いてあります。こういうところに住んでいると車をはじめ色々なものが錆びてしまいそうです。
それはそれで苦労があるんでしょうね。
降りられるところがあったので海岸に降りてみました。
砂というより小石が多いです、台風などで削られてしまうそうで護岸工事をやっておりました。
実はビーチというのは人工のものが結構あるんですよね、有名どころではハワイのワイキキビーチも人工ビーチとなります。
そろそろ東海道に戻ります、戻って少しすると東海道線国府津駅がありました。
段々、箱根の山々が大きくなってきます。
森戸川を渡ったところに西湘バイパス国府津インターの出口があり、そこに架かっている遊歩道の上から富士山が見事に見えました。
ちょうど東海道線の列車と一緒に取ることができました。
ここに吉野家さんがあり、牛丼セットをいただきしばし休憩。
吉野家さんのすぐそばに、密柑問屋井上さんの倉庫兼直売所がありました。
色々種類があったので一番値段が高かった尾崎さんのみかんを購入。
これは品種の名前なんですか?と聞いたらどうやら農園の名前だそうです。とても親切にしていただきました。
家に持って帰って食べたらめちゃくちゃ甘くておいしかったです。この辺りは干物と同じようにみかんも名産なんですね。
小八幡の一里塚跡 この辺りの街道沿いは魚屋さんが多いです、土地柄ですね。指が入ってしまいました。
酒匂川さかうがわに到着
小学校時代の社会の授業で使う地図帳にこの辺りの事が詳しく載っており、酒匂川というと小田原に来たと実感する事ができます。
地理マニアの私は社会の授業以外でも地図帳を見ておりました。
他の勉強は全くできなかったのですが私の通っていた小学校では高学年になると全国の都道府県県庁所在地のテストが土曜日にあり、全問正解できるまで帰宅できないというルールで、私はクラスで一番早くクリアし堂々と下校したことを思い出しました。
いまだにそんなことを覚えているくらい勉強が苦手だったのです、苦手というか好きじゃなかったという方が正しいでしょうか。
親に聞くと、授業参観に行くと私はずっと窓の外を見ていたそうです。高学年の時の担任の先生の事が好きではなかったということもあり、子供時代から同じ場所にいるのがストレスでいつもどこか遠くへ行きたかった事を思い出しました。
大人になってもこんなことをしているので、人間根本的にはあまり変わらないんですね。
子供の頃の自分に会う事ができたら「大人になったらそこそこ色んな所に行けるから今は勉強しておけ」と声をかけるでしょうね。
この川は干潮なのか海への開口部に砂州ができており、海につながっていません。見えていないだけかもしれませんが…
いい景色だ
小田原宿、江戸側の見附に到着。
江戸から数えて9番目の宿場町です。
一里塚跡
途中に看板があった、どらやき屋菜の花さん。
おしゃれでかわいい感じのお店ですね、女性が好きそう。
ここから左折し、突き当りまであるくと小田原宿ふれあい交流館がありました。
ここのお座敷で休憩させていただきました。施設の女性にお茶を頂きました、とてもありがたい。
先ほど購入したどやらきもすごくおいしかったです。
他にも観光客らしき方々もおりました。トイレをお借りし出発。
建物の間から小田原城が見えましたが、もっと良いロケーションがあるだろうと思っていたらこの後はなく小田原城の写真は撮れませんでした。
東海道線、新幹線、箱根登山鉄道の高架をくぐります。今気づいたのですが、今日歩いてきたのは箱根駅伝の4区7区のコースなんですね。
実は旧東海道はこの高架ではなく写真右側に入り口があり、うっかりして通り過ぎてしまいそちらを通ることはできませんでした。
箱根登山鉄道箱根板橋駅
この辺りに制服姿の中高生らしき男の子たちがたくさん歩いていました。
この箱根登山鉄道の高架をくぐったところで右側の旧東海道と合流となります。
小田急ロマンスカーEXEが通過
1996年ちょうど私が大学一年生の時にデビューした特急です。従来のロマンスカーとカラーが違い展望座席もないことから一部のファンから批判があったそうですが…
私は高級感があるカラーが好きでした、シートもとても快適。
大学があった町田から新宿に用事があった時はお金もないのに特急料金を支払ってわざわざ乗ったこともありました。
もうすぐデビューから30周年なんですね、私も年を取るわけですね。
早川沿いに小田原用水の取水口がありました、ここから小田原城下町に上水道を流していたようです。
きれいな水ですね。ここの反対側に韓国人会館という建物があります、ロマンスカーで箱根に来ると目に付く建物です。
この辺りは韓国人の方が多く住んでいるのでしょう。
この辺りからゆるやかな坂道になっていきます、いよいよ箱根の山に挑む事になります。
こちらは箱根観光で小田急としのぎを削っている西武バス。
振り向くと東京メトロ千代田線直通のメトロはこね号がやってきました。今日は日帰り温泉に入り14時26分箱根湯本駅発のこの電車に乗ることが目標です。
現在12時22分果たして間に合うか…
これに乗れれば八潮まで北千住での乗り換え一回で帰宅することができます。
この辺りで本日21kmになります、20kmを超えると足が重くなり息が荒くなってきます。
箱根の有料道路、箱根ターンパイク。こちらを通ると混み合う箱根湯本駅等を通らず芦ノ湖の箱根港や十国峠まで一気に抜ける事ができます。
漫画イニシャルdで高橋涼介のRX7と北条凛のGTRが戦った場所ですね。あれはファンタジーなので作品として楽しむものなので、くれぐれも実際真似をしないようにしましょう。
公道でレースはしてはいけません。
当時はあの漫画の真似をして対向車線にはみ出して事故をしたり、ガードレールに突っ込む輩が事故が多発したそうです。
夜中に爆音で舞台となった峠に走りにいき地域住民に迷惑をかける輩もいたそうです。車が運転できる年齢になっても幼稚な奴等というのは一定数いるものです。
小田原厚木道路のトンネルを超えたところで旧東海道に分かれます。
この辺りの民家の軒先ではみかんをはじめ野菜などが売られています、無人でお金を置いていくスタイルですね。
箱根登山鉄道の風祭駅 鈴廣のかまぼこの工場があります。
子供が小さいときかまぼことちくわづくりの体験をしにきたことがあります、箱根駅伝の小田原中継所でもあります。
風祭の一里塚跡 ここで写真を撮っていたら車にひかれそうになりました。
私が悪いのですが、写真を撮る時には気をつけねば。この辺りは牧島かれんさんの選挙区みたいですね。
旧東海道という雰囲気が素晴らしい
踏切に差し掛かると、最新の7000系ロマンスカーと遭遇。2018年デビューなので5周年のステッカーが貼ってあります。
とてもカッコいい。
乗客の方のお顔が写ってしまったので消してあります。
展望座席はとても人気だそうですが写真に写りこんでしまうというリスクがあります。
再び国道に合流
右側の箱根登山鉄道の下に、牛四天王神社につながるトンネルがありました。
とても興味がありましたが時間もないのでスルー
この辺りでは毎度のことながらジョギングのように歩いています。今回はトランポリンのトレーニングの影響で臀部周りが張っており腰が痛いです。
やり方が下手なんですね。
ようやく箱根湯本に到着!歩いてここまで来たと思うととても感動します。
先ほど通り過ぎた7000系が駅舎に入っています。
三枚橋を渡ったところで今日の東海道ウォークは終了
13時15分とメトロはこねの出発時間まで一時間ほどあったので、駅から近い湯本富士屋ホテルさんの日帰り入浴を利用させてもらいました。
アプリをダウンロードすると2000円が1700円になるので事前に入れておきました。
節約できるところは節約します。
近くの650円の町営銭湯の弥坂湯も考えましたが町営のものは地元の方々のものだと思いますので、旅行者は多少お金を払ってもこういう施設の方が良いかと思いこちらにしました。
タオルもついてますしとても良いお湯でしたし、サンダルでリュック姿の私にも丁寧にしてくださいました。
ホテルから橋を渡るとすぐに箱根湯本駅です。
お土産物屋さんでチューブのわさびとチーズ入りちくわ、アジの干物を購入。
3つのお店に行きましたが、店員のおばさん達の私語がとても多い。その割にこちらには愛想もないです。
現金のみでキャッシュレスにも対応していませんでした。
人気の観光地なのでそれでもお客さんが来るので問題ないんでしょうね。
まあ愛想に関しては私も人の事を言えないのでこのスタイルで仕事ができるというのは地の利もあり幸運なんでしょうね、本人たちは気づいてないでしょうが。
こういう観光地では富士屋ホテルさんのような良いホテルに宿泊すれば良いサービスを受けられるのでそういう所でお金を使うのが良さそうです。
メトロはこねに無事乗車できました。流線形のフォルムがカッコいい。ネットで予約すると50円安くなります。
チーズ入りちくわを食べながら、箱根湯本駅から北千住駅まで2時間20分快適に移動することができました。
2024年1月9日 大磯宿~小田原宿~箱根湯本
25.74km 6時間36分
当日の総歩数、総距離 42,592歩 28.55km
八潮ー大磯 1,637円
箱根湯本-八潮 1,753円
メトロはこね特急券 1,360円
コンビニのお茶、軽食等 583円
みかん 300円
牛丼セット 674円
どら焼き 280円だったような…
富士屋ホテル日帰り入浴 1,700円
お土産 忘れました
計8,413円
総計28,179円
お土産入れると実質1万越えでしたね、2月はまた京都で勉強会、定期検査、確定申告等で予定が詰まっているので次回は3月になります。
脚の痛みはこちらのEU-910でケアしております。ぎっくり腰や捻挫など急性のケガにも使えるので重宝しています。
痛みがすぐにとれるので自分で使って驚いています。(笑) もちろん鍼なども使いメンテナンスは怠りません。
あと、歩いたりトレーニングの疲労をとるのにSIXPADのパワーローラーを使用しています。
一時テレビでも話題になりましたが、値段もお手頃です。
両方とも施術を受けた方はお試しいただけますので、来院の際にお問い合わせください。
SIXPAD POWER ROLLER S パワーローラーエス レビュー | 鍼灸整骨院あおてあ|八潮市大瀬 (aoteabodydesign.com)
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9kmあたりが藤沢宿、アプリを止めるのを忘れて帰りの電車に乗ってしまったので折り返しになっていますが、28kmくらいが大磯宿になります。
ふじさわ宿交流館を出て遊行寺橋を渡り右折すると商店街のようになっております。
歩いていくと橋があり下に小田急江ノ島線藤沢本町駅があります。
現在はJR小田急藤沢駅が栄えていますが、江戸時代では街道筋のこの藤沢本町駅付近の方が賑わっていたのでしょう。
信号待ちの車が多数いたため下の駅舎は撮れず。
京側の見附に到着、ここが京都寄りの宿場の入り口であったわけです。
趣がある町中華のお店がランチタイムで忙しそうでした、基本的に私はオフピークを狙ってすべての事を行うようにしているので12時台のこの時間に飲食店に入ることは事情が無い限りはしません。
お店の人にも悪いですし、その時にでないと食べることができない人たちの迷惑になるからというのもありますが…
余裕がある時間帯の方が良いサービスを受けられるのでほぼ自分の為であります。
ここからは何とも退屈な市街地を歩いていきます、歩道もありますが狭いです。県道43号線藤沢厚木線というそうですね。
右側にワインで有名なメルシャンの工場があります、今はキリンビールの傘下なんですね。
この工場のおかげで神奈川県はワイン生産量日本一なんだそうです。本社は東京ですが前身の会社は山梨県勝沼市にあるそうでそこのワイナリーは有名ですね。
国道1号線に合流、この辺りは1号線は二つありもう一つはバイパスになっておりそちらは有料道路になっている模様。
この辺りに犬のフンらしきものが落ちていました。フランスやスペインなどでは犬のフンが良く落ちています。
散歩している飼い主がフンを回収する日本人の民度の高さが誇らしかったのを思い出しました。
藤沢市辻堂に到着、左に行くとJR辻堂駅があります。
ここは伊勢原市にある大山阿夫利神社に向かう大山道の分岐点です。この交差点(辻)に不動堂があったので辻堂という地名になったそうです。
大山詣では昔からこの辺りの人にとって大切なものであったようです、千葉の成田山、埼玉の三峰神社みたいなものなのでしょうか?
埼玉育ちの私はこの年齢になるまで知りませんでしたが風光明媚で良いところだそうなので今度行ってみようと思いました。
空腹を覚えました時間は13時半、ランチタイムのピークは過ぎているはずです。
国道沿いなのでチェーン店をはじめとした飲食店が並びますが、江戸時代のファストフード蕎麦にしました。
茅ケ崎長寿庵さん、長く地域の方々に愛されているのがわかる店構え。
グーグルの口コミも悪くないのでこちらに決めました。年越しそばの予約を促すPOPが貼ってあります、暖かいですがもう年末なんですね。
これは私の持論なのですが、偶然入った飲食店がとてもおいしかったというのは宝くじとまでは言いませんがガチャガチャで好みの玩具を当てるようなものだと思っています。
大抵失敗します。
なので、今は知人友人に勧められたお店以外で自分で探して入る場合はグーグルマップの口コミを参考する事が多いです。基本的に4前後なら問題ない事が多いと思います、もちろん2でもよい店はあると思いますが、そういう店は料理はおいしいけど店主のクセが強かったりします。
漫画、ドラマの孤独のグルメのようにふらりと立ち寄って当たりを引き当てる井之頭五郎のような事はそうあることではないと思っています。
余談ですが評価つけられる方からすると悪い口コミっていうのは本当に嫌なものです、お店をやっている人と話すと「こちらはお客さんの評価ができないのに一方的に評価されるのはフェアじゃない」という話をすることがあります。
海外の配車アプリウーバーのように、運転手もお客も相互で評価できるシステムがあるといいのですが…
こちらに明確に否がある場合は納得できるのですが、認識違いや言われもない事で書かれてしまう事もあるんですよね。
一定数人間は変な人もいるので、困ったものです。ということでグーグルマップの当院の良い口コミを入れていただけると大変励みになります。
中にはいると年配のお客さんがチラホラ。
ランチ定食があったのでお蕎麦大盛りで注文、おかずが魚と肉を選べたので江戸時代は肉食はまだ一般的でなかったと思いますので魚をチョイス。
セイロかと思っていましたがツユも一緒に入ったお蕎麦、サバの味噌煮とライス付きサラダ、冷ややっこ、おしんこ、ひじきが付いているのが嬉しい。
サバの味噌煮のみそが絶品、皿を舐めまわしたいくらいおいしかったですがもちろんしていません(笑)
情緒的には相模湾で獲れたサバだと嬉しいのですが、漁獲制限が厳格な北欧産のサバもとてもおいしいのでどちらでもよいと思うことにしました。
これだけ盛りだくさんで1,100円!私はそばを大盛にしたので確か+200円でしたが大変満足しました。
店員さんもとても親切でお茶のお替りもいただき、トイレもとても清潔でした。
満腹になって30分ほどあるくと、ここにも明治天皇がお休みをされた場所の碑が立っておりました。
天皇陛下が訪れるというのは今も昔も大変な事だったのですね。
関係ないですがこの辺りは河野太郎さんのポスターが貼ってあります、このエリアが選挙区なんですね。
横浜市は元首相の菅義偉さんのポスターをよく見ました。
牡丹餅立場、茶屋や間の宿があった場所です。
近くには花王やTOTOの工場が並びます、世界に誇れる日本の公衆衛生を支える大企業です。
日本人を清潔にしてくださりありがとうございます。
特に年明けの北陸の大地震で痛感したのはトイレの大事さであります、水が流れないのでトイレが糞尿まみれになったそうです。
水洗で汚物を下水道に流し処理施設で浄化するというサイクルは疫病を防ぐ為にとても重要なんですよね。
歩いていくと段々都市の雰囲気になってきました。
相模線の橋を渡ります、相模線は茅ケ崎が始点で厚木、海老名を通って相模原市の橋本駅までワンマン運転で向かう電車です。
いつか乗ってみたいなぁ。
目の前に堀江貴文さんプロデュースのパン屋さん小麦の奴隷があり。
明日の朝食用にざっくざくカレーパンとイチゴのクロワッサンのようなものを購入。
カレーパンもおいしかったですが、イチゴのクロワッサンのようなものがすごくおいしかったです。
地方都市は焼きたてのパンを売る店が高齢化により減少しているので、粉をこねる手間がいらない冷凍生地を使ったこのパン屋のフランチャイズをはじめたとのこと。
すごいアイデアマンだし行動力だなぁといつも思います。
出店する場合は東京などの都市部よりも田舎の方が良いみたいです。確かに東京なんかはこだわったおいしいパン屋さんがたくさんありますもんね。
しばらく歩きます、トレーニングの疲れが残っているのか今日はかなりしんどいです。
市街地はみるものも特になく精神的にも辛くなります、ここまで歩きたくなくなったのはこの旅で初めてかもしれません。
東海道にいくつかある左富士、南湖の左富士に到着。
通常、東海道を西に歩いていくと右側に富士山が見えるのですがここは道路の向きにより左側に富士山が見えるんですね。
道路っ端なので風情がありません…
工場が立ち並んでいるので富士山もよく見えません。
東海道の名物でかまん、という看板が…
名物と言われたら買わないといけません。中には昔訪れたであろうテレビ番組の撮影の様子の写真が飾ってありました。
年配の男性が奥から出てきてくれました。
でかまん屋さんのすぐそばに国指定史跡 旧相模川橋脚とあります。
そばの川が小出川なのにここに昔の橋脚があるのには理由があり、昔から地震や天災などで相模川の流れは変わっているそうです、もう一つは元あった場所から橋脚を移設したのが理由だそうですね。
疲労感がものすごかったのでここのベンチで休憩。
水の中からニョキニョキ棒がでています。この見えてる橋脚跡の木はレプリカで本物はこの地中で保管されているそうです。
なんでも鎌倉時代にかけられた橋の橋脚が関東大震災の際に、もうすでに相模川の流れが変わり田んぼになっていたところの地中からニョキニョキ出てきたそうです。
地元の青年団などが保存の為、防腐剤などを塗って守ってきましたが腐食が進み現在の地中に埋める形で保管されているとのこと。
ものすごく失礼な話ですが、薄学の私からすると木なんか保管してどうするんだろうと思うのですが鎌倉時代のものなので学術的に大事だったりするのかもしれません。
15時20分、昼食を食べて1時間半ほどしか経過していないので空腹ではなかったですが糖質を補給すれば元気がでるかもと思い先ほど購入したでかまんを食べました。
ローソンでお茶を購入しひたすら歩きます。
バイク屋さんが集中している場所を通過、そういえば以前YouTubeでオランダのKTMのバイクを購入した方の動画で見た事を思い出しました。
実は私も大型二輪の免許を持っているのですが、最近は乗らなくなりました。楽しい乗り物ですが整形外科医が最も乗りたくない乗り物ナンバー1というだけあってとても危険なんですね。実はこの東海道の旅もレンタルバイクを借りていこうかと思った事もありました。
やっと相模川にかかる馬入橋に到着、馬が入れるほど浅い川だったのでしょうか?
通常市境は川の中ということが多いですが地図で見てもこちらの茅ケ崎側にも平塚市の飛び地があるようです。
川の流れが変わっているのが原因なのか、他に原因があるのかはわかりません。12月の冬至間近ということで日が短いですねもう夕暮れです。
夕日をバックに東海道線の列車が通過。
渡り切ろうかという時に全席グリーン車以上、個室席もある豪華列車サフィール踊り子号が通過。
いつか乗ってみたい。
しかし川幅がとても広いです。
京都や大阪など西へ行くもう一つのルートに中山道というルートがあります。
起点は終点は日本橋、三条大橋と一緒なのですが、日本橋を出るといきなり北へ向かいます板橋、浦和、大宮、熊谷等を抜け、高崎、軽井沢など群馬県、長野県、岐阜県の険しい山道を通っていくルートです。
なぜ、そんな遠回りのルートを選んだのか長年疑問でしたが歩いてみてわかったのは海沿いが東海道は川幅が広いので渡河が大変なんですね。
お金を払って渡し舟や人足に肩車してもらうか輦台(れんだい)という台の上にのり4人の人足に担がれていかなければなりません。
橋がある場所もあったそうですが流されたりしてしまい、作るのもお金がかかります。当然橋を渡る料金もかかっていたと思います。
それと比べると山の中を通る中山道はそんなに川幅が広いところがないので旅をしやすかったのだと思います。
他にも東海道は大名行列に出くわしやすかったり、その間足止めを食らうなど色々な理由があったそうです。
弊院がある八潮市とお隣三郷市の間、中川に架かる共和橋もかつては渡し舟があり、その後橋ができてからも通行料がかかったそうです。
その橋のたもとで料金を回収していた家の子孫の方と三郷の焼き鳥屋でお会いして話を聞かせていただいた事を思い出しました。(笑)
昔は川を渡るというのはとても大変なことだったんですね。
橋のたもとに献上銘菓処弘栄堂というなんとも味があるお店が。
しかも「力餅 本日分発売中」と書いてあり限定ものに弱い典型的な大衆の私は当然購入。
しかし誰に献上していたんだろう…調べても謎、誰か知っていたら教えてください。
自宅に帰って力餅を食べたら、とてもおいしかったです。今思い出してもまた食べたいと思える味です。
お餅にきなこと蜜をかけて食べるのですが、信玄餅のおいしいバージョンだと説明すればわかってもらえると思います。
こんなことを言うと山梨県民やお店の方に怒られてしまうのかもしれませんが…信玄餅って味自体はそんなにおいしいと思えないんですよね。
餅ってそもそも保存がきかないものなので、お土産に耐えるよう賞味期限を延ばすために物凄い企業努力をしていると思うのですがやはり餅はすぐ食べるのが一番だと思っています。
信玄餅はあのかわいい巾着のように包まれた包装と、自分できなこと蜜を混ぜ合わせるという特別なお菓子を食べているという演出がうまいのかなと。
それでも山梨の信玄餅の工場直売所に行くと観光バスが何台も停まり山梨を代表する銘菓であることには変わりありません。
あくまでも個人の感想なのでファンの方や関係者の方々には大変申し訳なく思っております。
少し行くと国道と分かれ道、左が旧東海道の宿場に向かうルートとなります。
馬入の一里塚があります、ここが江戸側の見附かと思っていたらどうやらまだ先のようです。
やっと平塚駅に到着、アーケードの商店街にベンチがあったので少し休憩。
疲労感がすごいですが、次回の事を考えて次の大磯宿まで行かないといけないので気合をいれて出発。
やっと平塚宿の江戸側の見附に到着。
江戸から出て7番目の宿場町となります。
現在の平塚駅から離れているのは理由があって旧街道沿いのかつて栄えていたエリアの方々はどこの町も鉄道が通ることを嫌ったそうです。
なので町はずれに駅ができ、現在ではそちらの方が栄えるという結果になってしまい、旧エリアは寂れてしまったという事がよくあります。
新しい事を嫌って保守的になってしまうと時代に取り残されてしまうという事なんでしょうね。
平塚にあまり古い建物がないのには理由があり、かつて軍需工場があったために太平洋戦争で米軍の空襲に遭い消失してしまったそうです。
B29がなんと132機!焼夷弾が41万本も落とされたそうです。
ネットで毎年、8月6日や9日の原爆投下された日になると「過去の過ちを反省」などと言っているが、反省しなければいけないのは市街地を焼き尽くしたり原爆を落としたアメリカの人達だと言っている人をみましたが、確かにそうですよね。
いまだに核も軍隊も持てない我々が何を反省しなければいけないのかよくわからないし、あんまり自虐的にならなくてもよい気がします。
古い建物は消失してしまっても、随所に宿場であった過去を忘れないようにレプリカ等が設置してあるのがありがたいです。
京側の見附に到着
浮世絵にも書いてある高麗山、この辺りで大磯町に入ります。
この旅初の町です、自治体レベルでいうと。中央区、港区、品川区、大田区、川崎市、横浜市、藤沢市、茅ケ崎市、平塚市ときて大磯町という感じでしょうか。
江戸時代の平塚宿の宿屋の方々は夕方になると京に向かう旅人に「あの山は山賊が出て追いはぎにあったりしてしまうのでここに泊まっていきなさいよ」と平塚宿での宿泊を勧めたそうです。実際は高麗山には登らず写真左側を避けていくので問題ないのですが…
平塚大磯間はとても短いので大磯泊まりの人も多かったのだと思います。顧客の獲得競争というのはいつの時代もあったんですね。
高麗山の上には湘南平という展望台があり、そのテレビ塔にカップルが南京錠に名前を書いて愛を誓いあうという有名な場所があります。
非モテであった私には縁がない場所であります。
南京錠なんかかけても別れる人が大半でしょうし、わざわざ別れたからって取り外しにもいかないと思いますので取るのが大変なゴミが増えるのは迷惑ではないかと。
ググってみるとテレビ神奈川の方が電動カッターで壊して捨てているそうで大変迷惑だそうです。
今は平塚市が公式にainowaという取り付けてもいい場所があるそうなのでそこにつけたら良いみたいです。
と思っていると東海道線の貨物列車が… 東海道線は夜中も貨物電車が走り続けていることで有名です。日本の物流を担っているんですねぇ
少し歩くと二股に分かれた道が、右側が旧東海道。
大磯に入ってから外灯が少ない気がします、市と町の違いでしょうか?あえて少なくしているという事はないと思いますが…
この先、さらに暗くなります。
真っ暗です(笑)
両サイドに家はあり歩いている人もいますがこれはすごい。でも旧街道風情が残っていてとても良いです、今までで最も印象的なエリアでした。
iPhoneのカメラで撮っているので明るく見えますが実際はもっと暗いです。化粧坂というそうです。
こんな暗闇をあるいていると突如、人工物が…東海道線が分断しているので地下道を通ります。人気がなく何とも不気味です。
と思っていたら子供を載せた電動ママチャリのお母さんとすれ違いました。
この辺りの人にとっては普通の光景なのでしょう、暗いですがまだ18時前ですしね。
おそらくこのトンネルを100キロ超のおっさんがのしのし歩いてきている方が怖いですよね。
トンネルをでると素晴らしい松並木、海風によって斜めになってしまったのでしょうか?
別荘地という事で海と山の違いはありますが旧軽井沢の雰囲気に似ているなあと思いました。
江戸側の見附に到着
東海道8番目の宿場町、大磯宿に到着です。
ここから先は国道1号線に合流。
やっと大磯駅に到着しました、18時前。駅舎もレトロで良い感じです。
駅前のお土産もの屋さんで釜揚げしらすを購入、その日のうちに自宅で大根おろしと食べましたがとてもおいしかったし安かったです。
雨の大磯宿ですね、駅に飾ってありました。
ここから東海道線に乗り、二時間弱で八潮に到着。
ここから先は交通費もかさみますね…
今回は靴で挑んだので以前よりは足裏の疲れは軽減されるかと思いきや結構疲れました。背中も痛かったです。
これは日々のトレーニングによるところも大きいと思います、最近はケアにも行けてないので疲れがたまっていたのだと思います。
長距離を歩くと2~3日は痛みや疲れがとれないのですが、それでも運動してあげると筋肉痛が和らぎます。
足裏は当院でも販売しているフットフィット3でトレーニングをするととても軽いのです。
運動が苦手な方はこの機械でケアできるのでおすすめです、当院ですと割引価格で購入できます。
宣伝になってしまいますが(笑)
冷え性の母親にプレゼントしたらお風呂上りにこの機械でトレーニングをして寝るととてもよく眠れるそうです。
当院でお試しもできますので是非。
2023年12月12日 戸塚宿~藤沢宿~平塚宿~大磯宿 約28km 7時間20分
総距離29.74 42,572歩
八潮-戸塚1238円
大磯-八潮1677円
往復グリーン券2000円
ベックスコーヒー190円割引券利用
セブンイレブンお茶、豆大福293円
蕎麦定食1300円
でかまん165円
ローソンお茶0円ポイント利用
力餅432円
小麦の奴隷パン440円
しらす678円
計8,413円
総計19,766円
ここからは交通費の節約が鍵となりそうです。
でも大人の趣味としてはそんなに悪くないかなと日曜日にゴルフに行ったら3万円くらいは使ってしまうので。
新幹線を使うようになったら大変かもしれませんが、何とか頑張ります。(笑)
年内はこれで終了次回は年明けになります。
この記事を書いた時点でもうすでに歩いていますが、色々忙しく更新が遅くなり申し訳ございません。
意外にも読んでくださっている方が多く大変うれしいです。
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