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テーマ: 東海道五十三次の旅

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2024年5月14日火曜日

天気は朝は曇りですが晴れてくるという事で4月2日以来の東海道ウォーク

今日はこの☆印の新蒲原駅から静岡駅を目指します。

今回の旅からは新幹線を利用します、少しでも安くする為にJR東海のアプリEX予約を使います。

前もって予約をすれば安くなり、紐づいたsuicaやpasmoで切符要らずで乗車できるのでとても便利。当日で空きがあれば別の新幹線に変更する事もできるので予定が早く終わって早い新幹線で帰りたい、逆に遅れそうなので後の新幹線に変更したいという場合にも大変便利。

東京駅でこだま701号名古屋行き6:30発に乗車。こだま号は自由席が多く東京駅は始発なので久々に自由席に乗車。

東京駅ではさほど乗車率は高くありませんでしたが…新横浜駅ではA,C,E席は埋まっていました。三列シートの真ん中のB席って座りにくいですよね、あからさまに嫌な顔されそうだし… 皆さまビジネス利用の方がほとんどだと思います。ただ道楽で歩きに行くワタクシは少々肩身が狭い…トイレに行くとデッキで立っている方もチラホラ。

7:37新富士駅に到着、一時間ほどで着いてしまうんですね~これは楽でいい。普通列車で東海道線を下ると東京駅をこだま号より30分早い5:55の電車に乗っても7:30は小田原駅くらいですのでいかに新幹線が早いのかわかります。

この新富士駅、1964年昭和39年の新幹線開業時には無い駅でした。東海道新幹線では唯一、JR在来線、私鉄にも接続していない駅の為、関東や関西から行く一般の旅行者は中々行くことはない駅だと思います。私もこのような機会がないと降り立つ事もないと思ったので初めて利用してみました。

1988年周辺の自治体や企業、住民の要望でできたいわゆる請願駅という事になります。静岡第三の人口を有し、沢山の工場もありますから地元の悲願だったのでしょう。

前回も書いたように創価学会の力も大きかったようです。

源平合戦の水鳥が羽ばたく様子などが描かれた絵画。

JR東海に勤める友人に「我が社の最新式の券売機がある」と言われていたので色々遠隔でサポートしてくれる券売機を撮影。

よほどのことが無い限りもう二度と降り立つこともないでしょうから駅を撮影。

修学旅行なのか沢山の学生たちがおりました。

ここからJR富士駅までバスで向かいます。小さいタイプの富士急バスに乗ります、190円。

15分ほどで富士駅に到着、電車が遅れていたらしくホームにはすごい人…朝8時なので学生さんが沢山、静岡駅まで行くのでしょう。

新蒲原駅まで二駅なので満員電車でも我慢できます。
新蒲原駅に到着、ここで降りる人はあまりいませんでしたね。

左足首に鈍い痛みがあったのでベンチに座って自分でアライメントを整えます。まあ温まればなんとかなるでしょう。
住宅の間を抜け

旧東海道に復帰

割と普通の住宅街

素敵な水路、奥には神社が見えます。

西本陣平岡本陣跡、写真を撮った直後に住民の方がゴミを袋を持って出てきたのでビックリ。住まれている方がいるとは存じ上げませんでした、大変失礼いたしました。

旧宿場町あるある、高札場だった場所に公民館。

大正三年に洋館風味に建てた五十嵐歯科医院さん、今は診療していないようです。ガラスが波打っています。

古い住宅が並びよい雰囲気。

宿場町の両端は鍵型に折れ曲がっており、敵が攻めてきた時に宿場を見渡せないようになっておりその名残りですね。

良い雰囲気の神社

地方あるあるなのですが、独特のにおいがします。恐らく下水道が整備されていないので浄化槽の家が多いのだと思います。

勝手に歩かせてもらっているので文句は言えません。

再び県道にでます。桜エビを売っている魚屋さん、次の由比宿は桜エビが有名。

蒲原駅を通過

前回蒲原宿の手前で橋を渡って交差した東名高速道路を今度はくぐります。

左側が旧東海道 由比宿の見附だと思われます。

東海道16番目の宿場町 由比宿に到着です。 蒲原宿と由比宿の間は短く1時間ほどで到着しました。

一里塚のそばの電柱に日本一桜えびのまち由比と書いてあります。桜えびのかき揚げなんて最高でしょうが今はまだ朝九時。

そこまで古いものではないと思いますが、街道の雰囲気を残した木造家屋が良い感じ。

由比本陣公園 本陣があったところが資料館やレストラン、歌川広重の美術館となっておりぜひとも中を見たかったですが美術館は時間の関係で断念。

資料館だけでもと思い見学、宿場のジオラマ

とてもきれいな庭が整備されており、ベンチがあったので股関節のしつけ。これをやるのとやらないのではだいぶ違います。

本陣公園の目の前には正雪紺屋という染め物などを扱っているお店が…

由比正雪とは3代将軍家光が亡くなった時に幕府政策の批判と浪人の救済として幕府転覆を図ろうと挙兵したが、密告され捕らえられそうになったところ自刃したそうな。

出自については諸説ありますがここが生家と言われているそうです。

まあ幕府からしたらテロリストということだったのでしょう。平和に見える江戸時代も色々あったんですね。

国の登録有形文化財に登録されている清水銀行の油井支店本町特別出張所

西洋風の立派な外観

由比川橋を渡ります。良い天気になったなぁ

前回の反省を踏まえ新幹線で日焼け止めをつけてきました。特に首がヒリヒリ痛くなってしまうんですよね。

海側は手前から東海道本線、国道一号線富士由比バイパス、東名高速道路が通っています。

あまり車が通らない旧街道に比べてあちらはビュンビュン車が走っております。

工場があったので何気に目をやると、あの有名ないなば食品さん。

シーチキンや様々な缶詰で有名。

せっかくなのでこちらのむつみ市場へ。

生の桜えびやシラスが買いたかったですが今日は道中暑くなりそうなので、天日干しにされた桜えびを購入。

これなら腐らないですみそうです。レジのおじさんに行ってらっしゃいと言われました、ここからはさった峠になりますし歩く人も多いのでしょう。

レトロな郵便ポスト

すれ違った中学生~小学校高学年くらいの集団に大きな声で挨拶されました、とっさに私もおはようございます!と挨拶。

漁港に抜けられるトンネルを発見。

海なし県に生まれ育つと海を見ると近くに行きたくなるのです。

住宅のすぐそばを通る東海道本線、電車来ないかと思い諦めて進もうとすると。

列車が通過、浜松行きですね。

柵もないし撮り鉄にはたまらないスポットではなかろうか…

撮り鉄は常軌を逸した行動をとる方もいますが…どんな趣味でも行き過ぎて頭がおかしい人って一定数いますよね…

ただ撮り鉄の場合は限定列車などが走る時は一か所に数が増えてしまうので余計に異様に見えます。

コロナ禍で観光客がいないと嘆いていた京都も、今は外国人だらけでオーバーツーリズム。キャパシティを超えた数になると嫌われちゃうんですよね。

どんなものにも適度な数というのはあるので、旅行は空いている時期と場所に行くのが大事。

楽しめなくなってしまうし、地元の人にも嫌われたくないですからね。日本人は他人に迷惑をかけない素晴らしい民族だと思うので心がけたいものです。

トンネルを抜けると、港があります。

漁港に食堂があるそうですが、残念ながら火曜日は定休日。

バイパスから出ようと思ったら、歩行者自転車立ち入り禁止なので仕方なく戻ります。

戻ろうとすると小さいトンネルが…これでバイパスをくぐれそうです。

バイパスをくぐって線路沿いを歩いていくとまたも行き止まり…

由比駅は見えているのにこちらに入り口はありません。仕方なく来た道を戻って旧東海道に復帰します。

かなり時間をロスし、ベンチがあったのでここで水分補給&股関節のしつけ。

以外にも駅に向かう方々がおります。車社会とはいえ一定数電車を使う人もいるようです。

時間は10:30先を急がねば

由比駅を通過、田舎の駅あるあるで歩行者が通る歩道とロータリーの間に柵がありません。

県道を渡る歩道橋、さった峠はこちらと案内があります。

道路をそのまま横断しても行けそうでしたがここは歩道橋を使います。

これから越えていくさった峠。これぞ旧街道の道幅

この辺りで赤いaquaが横付けしてきて窓を開けて運転席の高齢男性が何か言ってきました、そちらを見ると無言。助手席の奥さんらしい人も無言。

そのまま通り過ぎました。なんだったんだ

この先の桜えび、磯料理くらさわやさんという料理屋の前にすごい数の人。皆、高齢者。11時開店を待っているようでした。

さっきのおじさんもここに来たくて道を聞きたかったのかな?名店らしく美味しそうでしたが今回は断念。

グーグルマップの口コミも4.0、さぞやおいしい料理が食べられるのでしょう。

山側に味がある神社が…

今日のお参りはここにしよう。

すごい急な階段。先月金毘羅山に行った時に1,368段の階段を上り奥社まで行きましたが…

苦労しないとたどり着けない神社ってご利益がありそうな気がしてしまうんですよね(笑)

見返りを求めてはいけないのですが…おかげで奥社で会ったオランダ人の学生と仲良くなり連絡先交換しました。

とても良い景色。おそらく今、東名高速やバイパス、東海道本線が通っているところは海、もしくは海岸線だったんでしょうね。

この高台にないと津波で家々も流されてしまうのでしょう。

台風の時期なんかは東名高速道路も通行止めになり、ものすごい波が道路に打ち付けられている映像をニュースで見ることができます。

古い民家が立ち並び良い雰囲気。この辺りになるとさった峠を目指す人がちらほら。

軒先に甘夏が売られているのも静岡らしい光景。

さあいよいよさった峠に入ります。さった峠は薩埵峠と漢字で書くのですが、私のPCでは変換されません。面倒だし初見の方は読めないと思うのでひらがなのまま書きます。

富士川を渡った後の坂、岩淵以来の上り坂。

一里塚もあったようです。

周りは果樹園になっており、盗んでしまう不届きものがいる為か、盗難防止の看板が設置されています。

びわや甘夏が沢山なっており、普通に枝からもぎ取れる距離にあります。モラルがない移民が沢山入ってきたらもっとひどい事になるでしょう。

買おうとするとビワって結構高いんですよね、それもそのはず虫よけの為かひとつひとつの果実に紙製のカバーがついています。手間暇かかるんでしょうね。

下は東海道本線、国道一号線バイパス、東名高速道路が通っております。

そちらを行けばあっという間に静岡市方面に抜けられると思いますが、みてわかるように高速道路は海の上に橋脚をかけて走っています。

当時は断崖絶壁で海沿いには人が歩ける状態ではなかったのでしょう。

新潟県と富山県の県境にある親不知子不知(おやしらずこしらず)と並び称されるほどの断崖絶壁。

一緒に歩いている親や子を心配する余裕もないくらいの険しい道だったようです。

戦国時代に武田信玄軍と今川氏真、北条氏政の軍勢がこのさった峠で合戦を行ったそうな。

室町幕府の時代にも合戦があったようです。

それだけ交通の要衝であったのでしょうねぇ。こんな崖で戦ったら刀で切られて死んでしまうより落ちて死んでしまった人の方が多そう。

逆光で何が書いてあるかわからないと思いますが、さった峠を示す石碑。

手すりもないし間違って落ちたら大変な事になりますね。

峠の休憩所に到着、車やバイクで来ている人がチラホラ。ウォーキングの高齢者達も座って休憩していました。

左端に富士山、今まで歩いて来た富士市、沼津市、三島市、箱根の山が一望できます。我ながら良く歩いて来たなぁと感慨深い。

本来であればこの先は歩行者しか行けないハイキングコースがあり、展望台まで行けるのですが。

残念ながら現在は崩落してしまっており、復旧は来年の3月になる見通しだそうです。

脇を通って行けてしまいそうですが、命も惜しいですしもういい大人なので皆様に迷惑をかけるわけにもいきませんのでおとなしく引き返します。

比較的きれいなトイレ

どうやら熊がでるようです、気をつけねば。

素晴らしい景色

由比宿の浮世絵はこの辺りからの眺めですね。

ハイキングコースをいけないので道路を歩いていきます。新緑がまぶしい。

徐々に民家が多くなってきます。

下りきったところにコンクリート屋さんがあり、そのそばに興津川にかかる新浦安橋があります。

新浦安というとディズニーランドの近くのJR京葉線新浦安駅を思い出します。

興津宿までもう少し

結構流れが強いです。昔はこの川を渡るのも大変だったんでしょうね。

旧東海道からは外れてしまったので、海沿いに戻ります。

上は東名高速道路。

この辺りは住宅街。興津駅に向かう道路の道幅が旧街道くらいのサイズだったので調べてみると、やはり身延道という山梨に抜ける旧街道でした。

再びJR東海道線を渡ります。

JR興津駅に到着。興津宿は17番目の宿場町になります。

駅前のベンチで水分補給と股関節のしつけ。

時間は12時過ぎですがあまりお腹は空いていません。朝沢山食べましたからね。

駅近くのお茶やさんにソフトクリームが売っていたので購入。

抹茶が濃厚でとてもおいしいソフトクリーム

こんなに抹茶が濃いのは初めて、ハーゲンダッツの抹茶を超える抹茶アイスがこの世にあったとは!

街道沿いは空気が悪いので海沿いの公園を歩きます。塀の向こうはバイパスの一号線、その向こうには物流倉庫があり巨大なクレーンがいくつもあります。

日本有数の港町清水港はもうすぐです。

歩いていると足つぼを刺激する設備が…

これはいいとサンダルを脱いで歩くもめちゃくちゃ痛い。手すりにつかまりながらもなんとか踏破。

その時はとても痛いのですが、そのあとはものすごく軽くなります。ビルケンのサンダルで歩くことにより足底筋をかなり使っているので疲労がたまっていたのでしょう。

地元では恥ずかしくてできませんが、周りに誰もいなかったのもあり使わせてもらいました。

興津生涯文化交流館という施設があったのでトイレを拝借。

トイレットペーパーを持ち帰らないでという張り紙… こういうところのトイレットペーパーって硬い質が悪いものが多いと思うのですが…

それを持って帰ってしまう人もいるんですね。わずか何百円もケチりたいという人は一定数いるようです。

無料で使える施設って質が悪い人も来てしまうので往々にしてこういう事がおこりがちです。

私もケチですが人に迷惑をかけるケチはあかんです。ケチは正しく行いましょう。

再び歩いていると再度足つぼ設備を発見、しかも前回のものより大きい。

靴下ごしでもかなり痛い…

手すりにつかまりながらなんとかゴール

かなりスッキリしました。

すぐそばのイオンで伊藤園が販売している静岡茶を購入。恐らく静岡限定商品、とても安く買えてうれしい。

陽ざしがジリジリしてきます。

今回の行程でさった峠と並ぶ見どころの一つ。

清見寺です。敷地内に踏切があります。

立派なお寺、中にJR東海道線が走っています。

奈良時代に創建され、今川方の人質となった徳川家康幼少期を過ごした場所でもある歴史ある寺院がなぜこんなことになったのかというと…

文明開化の明治時代に鉄道を作る際にルートに入ってしまった清見寺に鉄道が通されてしまいました、国からお寺に謝礼金が支払われたのですが時の住職がそれを全額「どうぞ新しい日本国の為にお使いください」と返納したそうです。

今も昼夜、人や物品が行きかう日本の大動脈を担っていることを考えると、当時の住職さんはとても立派な方だったんだなと思います。

宗教人の鏡ですね。

現代日本では宗教というとネガティブにとらえられることが多いです。

ねずみ講のように人から金品を巻き上げるカルト宗教や一昔前にメディアにも出ていた高級外車を多数所有するようなお坊さん、税制的に優遇されている宗教法人への反感があるのだと思われますが…

世のため人の為に宗教活動している方もいるんですね。

あまり時間もなかったのですが、ここは見学したかったので寄り道。

東海道線は旅客電車、貨物列車がよく走っています。

踏切ではなく橋を渡りました。

豊臣秀吉が北条氏征伐の際に陣鐘として使用した梵鐘。

ここからは入館料がかかります。300円

もっととっても良さそうな気がします。

写真を沢山とってくださいね~と係りの女性の方に言っていただきました。

確か、明治天皇がご休息された場所だったかと…うろ覚えですみません。

本堂裏にある家康の部屋。とても狭いですね…わずか六歳の子供を人質として差し出さなければいけないってどういう感覚だったんでしょうね。

昔は10代の娘を政略結婚させたりと今では信じられない事が行われていたようですが。

時代は違えど我が子をそのようにするのはとても辛い事であったと思います。

水は淀んでいますがきれいな庭園。手入れも大変でしょうね~雑草はすぐにはえてくるでしょうし。

とてもよい香りがお寺の中に漂っています、そのお線香が売られていたので購入。買っていく人がとても多いのだとか。

徳川家の家紋

二階からの眺め、物流倉庫に阻まれていますが昔は港が一望できたのだと思われます。

先ほどの梵鐘。太平洋戦争時には多くの鐘が軍に接収されたのですが、こちらは歴史的な価値も高い事からそのような事はなかったようです。

長居し過ぎてしまいました。時刻は13時36分、先に向かいます。

帰りは先ほどの橋ではなく横の小道を抜けていきます。

階段の途中にも民家があり…道路にも面していない為、宅配の人は車を降りて台車で運んでと大変だろうなと思いました。

歩行者専用の踏切を渡り、東海道に復帰。一路府中を目指します。

港に見える豪華客船、いよいよ清水です。

旧道の住宅街を抜けます。

再びJR東海道線を渡ります。

何気なく撮った写真なのですが、実はここは昭和の大事件の現場だったのです。

この踏切を渡った左側に、空き家があるのですが…目の前に通った時、空き家があるなと妙に印象に残っておりました。

私はその事件のことは良く知らなかったのですが、この数日後のニュースで知ることになりました。

1966年昭和41年に起こった袴田事件の現場だったんですね。

味噌工場の専務一家4人がめった刺しにされた上、放火されたという大変凄惨な事件であったそうです。

従業員であった元ボクサーの袴田さんが逮捕され、先日死刑が再求刑されニュースにされていたんですね。

現在も鹿児島県警の不祥事のもみ消し問題などありますが、当時の警察の取り調べは今と比べ物にならないくらい大変杜撰なものも多く、検察が出した証拠の衣類が袴田さんのサイズと合わないなど冤罪説が信憑性をおびてきており…

現在でも論争が続いております。

ネットで見ると、家族の中で唯一被害に巻き込まれなかった長女がたまたま帰省して祖父母の家にいたなどありますが…真相は闇の中です。

今なら防犯カメラやDNA鑑定などでわかるのかもしれませんが…

今ある空き家は事件後に生き残った長女が再び建てて住んでいたそうですね。それはそれですごい話ですが…

再び国道に復帰。

ここからは都市化していき正直つまらない道のりになり、とてもつらかったです。

静岡県知事選の前だったので選挙ポスターが貼ってありました。

リニア早く通してほしい。

当院でも使用しているセイリンさんの工場もしくは倉庫を発見。

健康にはり、新幹線からもよく見える建物です。

行ってみるととても静かで扉もしまっておりました。

もう一つ建物があったのでそちらに行ってみるとこちらも営業はしていない様子。

ネットで調べると、内陸に新社屋を建てたのでそちらに移転してしまっているそうです…

運が良ければ見学させてもらいサンプルやリンちゃんグッズをもらおうと思っていましたがとても残念でした。(セコイw)

いつも使われている鍼がどのように作られているのかいつか見学に行ってみたいと思いました。

浜松まで89kmまだまだ先は長そう…

路線バスのベンチを借りて股関節のしつけ。

時間は14時30分

国道から右の旧街道へ入ります。

無縁さんの碑 街道で行き倒れた方を地域の方が近くの寺院に埋葬した歴史があるそうです。ここで埋葬されたわけではなさそうです。

この辺りは松並木があったそうです。

立派な蔵

18番目の宿場町、江尻宿になります。

こちらは港があった為か駿河の国で府中宿に次ぐ二番目の宿場町として栄えたそうです。

スマホの充電が心もとなかった為、清水駅そばのマクドナルドで1時間ほど小休止。

20時台の新幹線を予約してあるので少しゆっくりします。

16時になったのでぼちぼち出発

宿場はやはり鉤型になっており宿場の中が遠くから見渡せなくなっております。

高度経済成長期からバブル期には栄えたと思われる商店街。頑張って営業しているお店もありますが少し寂しい雰囲気。

本陣跡は駐車場になっております。

本陣跡から少し進んで交差点を左に曲がると稚児橋

江戸時代にここに橋を架けた時に竣工式が行われた際に宿場の長老夫婦が渡ろうとしたところ、子供が先に渡ってしまったそうでなんでもそれが河童だったのではと言われ橋の名前が稚児橋となったそうです。河童の銅像が欄干の上に置かれていますね。

清水~静岡間はとても退屈な道のり。

恐らく、戦後高度経済成長期に入り都市部や産業が活発化したところは急速に都市化され昔ながらのものは残せなかったのだと思います。

みんな貧乏だったわけですから、豊かになるのに一生懸命だったわけで歴史的な価値があるものなど保存しようという取り組みはある程度豊かになってからでないとできないのだと思いました。

由比や蒲原のようなイマイチ都市化できなかった場所の方が昔の物が残っているのはそういう事なんでしょうね。

ちびまる子ちゃんの作者さくらももこさんの出身小学校。静岡市立清水入江小学校。

平成の大合併前では清水市だったので、さくらももこさんが通学していた昭和の時代は清水市立だったんでしょうね。

写真はとりませんでしたが清水駅でもちびまる子ちゃんのイラストが貼ってあり、清水はちびまる子ちゃん推しなんですね。

海沿いのショッピングモールにはちびまる子ちゃんランドなるものがあるそうです。

作者が亡くなってもいまだにテレビ放送されていることから、サザエさんと共に国民的アニメになりましたね。

おじさんが小学校の写真を撮っていると通報されそうなのでさっさと先に進みます。

こちらは元追分、追分ようかんという江戸時代から愛されるようかん屋さんがあったそうなのですがこの時は知らずにスルーしてしまいました。

この辺りではかなり疲労困憊でした…

追分という地名なので何か街道が交差していたのだと思います。

JR東海道線としずてつの愛称で地元に親しまれる静岡鉄道清水線を越えていきます。

軒先にそら豆が売っていたので購入、年季が入った回収箱に200円を入れます。

これが物凄く新鮮でおいしかったです。独特の臭みも全然なかった。

イオンモールのそばにあるベンチで股関節のしつけと水分補給、近くにはしずてつ狐ヶ崎駅があり学校帰りの高校生や買い物の主婦らしい方々が沢山通ります。

この金網の裏には上原堤、宗旦池というため池があり、農業用水として使われていたそうです。昭和の初めには小さい遊園地になり平成初期まで60年も営業されていたとか。

イオンモールはその跡地に建ったんでしょうね。蚊が沢山おりました。時間は17時

片側4車線の大きい県道にぶつかります。

地元で愛されているらしきローカル回転寿司のお店があったので少し早い夕飯。

100円すしと良いお値段の回転すしの中間くらいの味と価格。コスパ良くおいしかったです。

高校野球ファンにはお馴染み、静岡県大会が行われる草薙球場。

フードトラックなどがでていたので調べてみるとプロ野球の二軍戦が行われているようでした。

なんでも静岡にくふうはやてベンチャーズという新球団が発足し、今年から独立リーグではなくプロ野球の二軍ウエスタンリーグに参戦しているとのこと。

サッカーで有名な新潟アルビレックスの野球チームもイースタンリーグに参加しているそうです。

NPBって参入障壁が高そうでしたが近年は敷居も低くなってきているんですかね、とても良い事だと思います。

この日はヤクルトの二軍と試合をしていたみたいです。

県道から外れ旧街道は鉄道に分断されてしまった場所に向かいます。

旧東海道記念碑がある右側のトンネルをいくのですが…

歩道がなくとても怖い、かつてはコンテナがある場所を東海道が通っていたのでしょう。

一台しか通れない幅がある為、車で侵入する場合はクラクションを鳴らしながら通行します。

途中まで入って反対側からクラクションが聞こえたのでとてもビックリして走って逃げました(笑)

こちらから車が行くタイミングを見計らいダッシュでついていきます。

中ではすれ違える退避スペースがあります。自転車も普通に通っている事から地元の人は慣れているんでしょう。

それでも夜中だったら尚怖いだろうなぁ

歩行者通行禁止なのかと思いましたが、反対側には歩行者用の階段があったので大丈夫であったようです。

貨物ターミナル、東海道線、東海道新幹線が並走する区間。

国道一号線にぶつかります。本当にしんどい…時間は19時前。

ここからが意外に長い、一時間ほどかかるんですね。

タワマンが立ち並ぶ光景を見て、やっと静岡駅だーと思いそうですが…ここは東静岡駅。貨物駅があった場所を再開発した場所で埼玉で言うと大宮の手前、さいたま新都心のような感じでしょうか。

しずてつ沿いを独り言をブツブツ言いながらひたすら歩きます。(笑)

ちょっとヤバイ奴です。

地方は外灯が少なく国道沿いでもかなり暗いんですよね。闇落ちを助長させます。

やっと府中宿の案内板が!徳川家康が将軍職を退いた後、大御所として君臨した府中です。

サラリーマン時代に静岡支店があったビル、懐かしいなぁまだあるのかな?当時お世話になった方々は元気ですかね。

向かいにあるホテルアソシア。JR東海系列のホテルだったと思います。スーツさんも動画で現代の静岡の本陣と言っていたように駅至近では一番良いホテルですね。

ペーペー社員だったのにも関わらずワタクシもここが定宿でした。

静岡駅に到着、休憩も挟みましたが12時間、40kmを歩きとおしました。

一本早い新幹線に乗れそうだったのでex予約アプリで変更。

これはとても便利、空き席があれば当日であれば差額なしで変更ができます。

帰りは私が12時間かけて歩いた距離を10分弱で通過してしまう新幹線に驚きました。

文明というのは素晴らしいですね。

 

2024年5月15日 蒲原宿~由比宿~興津宿~江尻宿~府中宿

40.3km 11時間45分

八潮-秋葉原 往復 942円

秋葉原-東京 往復 292円

東京-新富士 4,730円

新富士-富士駅 バス 190円

富士-新蒲原 200円

静岡-東京 6,140円

交通費計 12,494円

清見寺入場料 300円

飲食 2,500円くらい

お線香 800円くらいだったような

桜えび 1,080円

合計 17,174円

総計 73,045円

 

次の記事 しばらくお待ちください。


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箱根八里を踏破したので今日から再びビルケンのサンダルで歩きます。

購入してから一年半履いていたのでソールが削れてしまった為リペアに出しました。

レイクタウンアウトレットの店舗に行くとお店の名前が変わっており…クオリネストという名前になっておりました。

思わず間違えたと思い探し回ってしまいました。

店員さんに事情を聞くとビルケンシュトック本体が直営店を出す為、日本の代理店ベネクシーとのライセンス契約が無くなったとのこと。

クオリネストはベネクシーの自社ブランドとのことで、まだビルケンシュトックの商品も購入できるとのこと。

ソールの張替えやリペアに関してもビルケンシュトックが日本で職人さんを雇用するのが時間がかかる為、しばらく受付してくれるとのことです。

三陽商会とバーバリーの関係が思い出されます。

3月に新宿にコンセプトストアを出店しshinjukuというモデルを発売したことも話題になりました。

さて、こちらが古いソール外側や踵に荷重がかかってますね。これは大変ダメな例です。デブは小指側に体重がかかりがち…

新しいソール、緑は限定色の為選択できなかったので茶色にしてもらいました。

フォアフットで踵を削らないように正しい歩き方を頑張ります。

価格は7,000円ちょっと、ネットで探せば一万円以下で新しいのが買えますが…

限定の迷彩色が気に入っているのとフットベッド(靴の中敷きに相当する部分)が自分の足に馴染んでいるのでありだと個人的には思っています。

今日も始発で秋葉原までつくばエクスプレス、東京駅から沼津駅まで行きそこから静岡行の電車に乗り換えます。

三島駅で伊豆箱根鉄道のラブライブ電車を発見。

アニメ自体見た事はないのですがこういう町おこしって良いですね、いろんな層の観光客を誘致できますからね。

原駅に到着。 貨物列車が通過します、東海道線は昼夜問わず貨物列車が走ります、日本の大動脈の一翼を担っているんですね。

通路に貼ってあるJR東海、吉高由里子さんのポスター

会社員時代出張で何度も東海道新幹線に乗りましたがTOKIOさんのアンビシャスジャパンが車内チャイムの定番でした、去年の夏からUAさんの会いにいこうに変更。

少し寂しい気もしますが…会いにいこうもとても良い歌です。JR東海「会いにいこう」フルMV ~ハナレグミ ver.~ (youtube.com)

JR東海は昔から良いCMが多いです、牧瀬里穂さんや深津絵里さんのクリスマスエクスブレスのCMも良かった、大人になったらこんな恋愛ができるのだと思っておりましたが世の中そんなに甘くはありません。山下達郎さんの歌も良かったなぁ。

ジングルベルを鳴らせなかったおじさんの思い出話はこの辺にしてさっさと歩きます。原駅の駅舎

原宿の浮世絵 富士山も白いし稲も刈り取られているので冬場だと思われますがすごい薄着…昔の人は我慢強かったのでしょうね。

歩道が狭い街道を歩くのはつらいので今日も千本松原沿いを歩くことにしました。

住宅地を抜け

松林を抜け、コンクリートの堤防を上ると

今日も美しい駿河湾

挨拶をしてくださる、地元の方と思われる方々とすれ違います。割と女性の方が挨拶してくれますね。

お互い歩いているので挨拶するかどうか迷う時は会釈がおすすめです。挨拶してくれたのにとっさに返せなくて失礼な事をしてしまった、挨拶したのに無視されたというストレスを軽減できるので大変便利。

会釈を無視されても気付かなかったのかと思えば大した心のダメージがない為です。

富士マリンプール、沼津市から富士市に入ったようです。

この辺りは海はありますが泳げるようなビーチがあまりないのかもしれません、サーフィンしている方もみませんでしたし。そのためこのようなプールが必要なのかもしれませんね。

ここのベンチでSTAで学んだ股関節のしつけ。これは腰痛対策にも最適、長時間歩いてずれてしまう股関節の位置を戻してあげます。これをやるとめちゃくちゃ歩きやすくなります。

富士山が見事、富士市は製紙工場の町。紙の生産量が四国中央市に次ぐ全国二位となります。トイレットペーパーでは全国一だとか!製紙工場は水がきれいな方が良いようです。

四国中央市は井川意高さんが会長、社長をされていた大王製紙がありますね。

実は我が八潮市は第六位らしいです(笑)知らなかった。恐らく段ボールなどを作っているレンゴーさんでしょうか、良く知らないので間違っていたら申し訳ございません。

地図で見ると吉原駅に近くなっていたのでそろそろ陸側に戻ります。

ここのところの気温上昇で桜ももうすぐ満開

丘の上から見る工場、これは日本製紙の関連会社だそうです。スコッティとかクリネックスの会社ですね。

草加市松江にも工場があります、業界二位だそうです。ちなみに一位は王子製紙だそうです。ティッシュでいうとネピアの会社ですね。

元々は細かい村が合併して加島村になりそこから富士町になり、その後田子の浦町、岩村町が合併し富士市になります。

昭和41年に吉原市、鷹岡町と合併し現在の富士市ができあがったそうで、静岡県第三の自治体となります。

これだけ富士山が見事に見えますから富士の名前を冠しても誰も文句は言わないでしょう。※山梨の方は言うかも

丘を下っていく途中に木之本神社があったので参拝、富士市立高校の生徒が作ったお札があったので一枚いただきました。

感じよい路地を抜けて旧東海道に復帰

東海道線吉原駅、地方鉄道の岳南電車の始発駅でもあります。吉原駅とありますが、江戸時代の吉原宿のはずれになります。

宿場町あるあるですね、鉄道を嫌がる住民、既に住宅がある場所には鉄道を通せず鉄道駅や国道の周辺のが発展してしまうという。

でもここ吉原駅よりも富士駅の方が現在の中心に近いので富士駅の方が栄えているようです。

沼川

この辺りは工業エリア、大型車が沢山通り流山街道を思い出しました。

国道139号線と旧街道の分岐点、上には国道一号線のバイパスと東海道新幹線が走ります。

本当はバイパスを歩くのが最短なのですが、旧街道はさらに内陸に向かいます。

これは津波等災害により宿場が内陸に移動していったという経緯があるそうです。

 

富士市が設置している案内柱。QRコードを読みむと街道の説明書きがあってとても親切。

小さい神社があったので通過しそうになりましたが、気になったので寄り道。

こちらは左富士神社、旧悪王子神社というそうで… 旧名がすごい名前。

一角には依田橋の一里塚跡があります、めちゃくちゃきれいにしてあります。

神社裏手に公衆トイレがあったので拝借、すごくきれいです。地域の方々の手によってきれいにされているそうです、はみ出さないように注意して使わせていただきました。

神社裏に出ると左富士※指が写りこんでしまいスミマセン…

この神社はとてもご利益がある神社らしく、古くからここにあった茶屋には沢山の旅人が訪れ、水難の際にはここに逃げ込んだ村人達が多数救われ、太平洋戦争時には戦地に行ったこの辺りの方々の生存率がとても高かったという言い伝えがあるそうです。

きれいな境内とトイレを見て、現在でもその話が受け継がれているのを納得しました。訪れることができてとても良かった。

ここのベンチでも股関節のしつけをさせてもらいました。

左富士の碑がありました。左富士が見えないのと歩道がなさそうなので裏の川沿いにむかいます。

富士山も綺麗、水も綺麗

浮世絵はこの辺りでしょう。吉原宿東海道14番目の宿場町になります。とても狭い道、東海道もこの辺りは田んぼのあぜ道のような感じだったんですね。

平家越え橋、平家軍と源氏軍が対峙した辺りと言われていますが…富士川までは結構あります。

先ほど見えた吉原駅からつながっている岳南電車の吉原本町駅。製紙輸送の為の鉄道と言われていますが、元々は戦前に敷説された日産自動車の専用鉄道だったそうです。

現在ではどちらの貨物輸送も行われておらず、地域の方の足になっており朝夕は通勤通学客がそれなりにいるようです。

電車は行ってしまったばかりだったので見ることができませんでした。ホームに入るには入場券を買ってくださいと書いてありましたが券売機も見当たらなかったのでこれ以上は入りませんでした。どこで買うのだろう?左側の扉を開ければ駅員さんがいたのかもしれません。

近くにちょうど良い地図がありました。

赤が旧東海道、オレンジがバイパス。旧街道はとても入り組んでいて遠回り。南側に新幹線、バイパスが通っているところを見るとその辺りは人があまり住んでおらず用地を確保しやすかったのでしょうね。

 

地方都市あるあるアーケードがあるシャッター商店街、全然人に会いません。ですがこの辺りに本陣があったのでかつての宿場の中心。

やってそうなお店はスナックやガールズバーなど夜のお店が多かったです。あとは古くからある洋品店等が営業している感じでしたね。

そろそろお昼なので富士市名物つけナポリタンを食べようと思いましたが…あまり盛り上がってないのか見つけられませんでした。

以前ダイバーシティにあったつけナポリタンはおいしかった。

新通町公園、初代0系新幹線。土日祝日は中にも入ることができ、周りにはミニSLの線路が敷いてあり月一回走るそうです。線路のメンテナンスも大変そう。

富士市にはかつて新幹線の駅が無く、地元自治体や企業等の出資要望により新幹線の開業から遅れる事24年、1988年に新富士駅が開業いわゆる請願駅ってやつですね。

この新幹線がいつから設置されているかは不明ですが、このように展示されているところをみると新幹線停車は地元の悲願だったということがわかります。

静岡名物ハンバーグのさわやか。御殿場店などは首都圏からも近くアウトレットに来るお客さんも多い事から休日は5時間待ちも当たり前という名店であります。

時間は12時絶対混んでいると思って行ってみると待っている方が沢山。

時間がもったいないので初さわやかはおあずけとなりました。

グーグルマップを見ると海鮮の良さそうなお店があったのでそちらでランチをすることにしました。

お昼時で混んでいたらやめようと思っていましたがお店も広く空き席もあったので入店。

日替わりのサービス品、中おち丼とイワシの刺身を注文。店員の方が本マグロの血合いをお勧めしていたのでそれも追加。

イワシがめちゃくちゃ新鮮、本マグロの血合いはごま油でいただきます。

全然臭みがない歯ごたえがあるレバ刺しのような味。注文してよかった。

運よく丸天さんの裏手が旧街道でした。ポカポカでよい陽気です。

どこからでも見えるきれいな富士山

間の宿でもある本市場

旧身延線の線路跡、今の身延線はもう少し西側を走ります。富士駅~甲府駅を結ぶ線で、サラリーマン時代出張で静岡から甲府までワイドビューふじかわで移動したことがあります。

風光明媚で物凄く良い車窓でした。

この線路が移設された経緯には創価学会が関連していると言われ、当時日蓮正宗に属していた創価学会は富士宮にある大石寺に行くために多くの臨時列車を走らせていたそうで…

さばききれなくなった輸送力を補うために1966年昭和44年に新しく線路を引いたとのこと。

その後、日蓮正宗と創価学会はたもとを分かった為、参拝の学会員も激減し臨時列車もほぼ無くなったとのこと。

創価学会は新幹線の新富士駅新設にも関わっていたそうですね。

物凄く巨大な宗教団体ですね。私は学会員ではありませんが、学生時代何人か友人がいたのですが皆とても良い人たちでした。

特に私は勧誘されることもなく、我々世代は親がやっていたけど大人になってから信仰しなくなったという人もいました。

今は会員数も減っているみたいですね。

ここもシャッター商店街。

左に行くとJR富士駅があります。

札ノ辻跡、高札場があったところですね。宿場のルール等が書いてあった場所です。

今は公民館になっています。

この辺りはのどかな住宅街、幹線道路やバス通りは車の通りも多く、歩道が狭いか無い事も少なくないので落ち着きます。

ここで幹線道路に合流、現在の身延線柚木駅。ここは高架化されております。

再び旧街道は住宅街になります。良い感じの土手が見えてたので登ってみると。

雁堤※かりがねつつみ

にでました。富士川の氾濫を治める為に築堤された堤防だそうです。

とても広いです、野球やサッカーのグラウンドが延々続きます。静岡は日本のブラジルとも呼ばれるくらいサッカーが盛んですよね。

桜がとてもきれい。お花見している高齢者のグループがおりました。

家の近くにこんな場所があってうらやましい。この辺りで20キロくらい、足が痛くなってきます。主に腿の外側。

堤を抜けると渡船場跡でもあるその名も水神社。富士川はよく氾濫していたのでこの名がつけられたのでしょうか?

ここでもお参りして、ベンチがあったので股関節、大腿のしつけ。

いよいよ静岡四大河川の一つ富士川を渡ります。安倍川、大井川、天竜川と広大な河川があります。

人材派遣の会社で働いていた時に静岡の方を企業に案内するときはどんなに距離が近くても川を渡ってくれないという事がありました。

全国どこでもそうなのですが川幅が広い為、橋が沢山かけられず慢性的に渋滞が起こってしまうため通勤時間がものすごくかかるんですね。

あれは大変だった。静岡は工場が沢山あるので仕事はあるのですが人を入れるのが難しいという問題がありました…

富士川橋は1924年大正13年にかけられた橋、今年で100周年になる立派な橋です。形もかっこいい

それ以前は木造の橋をかけたりもしたそうですが、基本的には渡し舟だったそうです。

水量が多く流れもキツイです、ここは歩いて渡るのは厳しそう。

橋の上からは遮るものがないので富士山を見るには良いスポットです。

信仰の対象になるのも頷けます。

橋を渡ったら右に曲がってすぐに旧東海道入り口があります、ここからは上り坂になります。

箱根から三島に下ってから久々の登り坂。

上から見た富士川橋

ちゃんと案内が記されております。

岩淵小休本陣 間の宿だったのでしょうか、いい感じの壁。

公開している日もあるそうです。

何故丘の上に東海道があるのかというと…先ほどの雁堤ができたことにより富士川東岸は安全になった反面、こちら側の西岸は水害に合う事が多くなってしまったそうです。

そのため、山の斜面に街道や住宅が建つようになったという経緯があるみたいですね。

赤の点線が旧東海道、距離でいうと下の道を行った方がはるかに近いですし、坂も上らずに済みます。

今は治水対策も進み、川岸にも人が住めるようになりました。

今日歩いて来た製紙工場群があんなに遠くにみえます。

富士市商工会の横にある、富士市民俗資料館。中を見たかったですが時間がないので諦めました。

岩淵の一里塚、両側に残っているのは嬉しい。

毎度の事ながら20キロ超えると足が辛い、中之郷道標にベンチがあったので水分補給と股関節と大腿のしつけ。

向かいのベンチに散歩中と思われる杖をついた高齢男性がこちらを見ていたので会釈。

上を通っているのは東名高速道路。この旅初めて東名高速道路と交差します。

東名高速道路をくぐって左に曲がって道なりに進むと和菓子のツル家さんがありました。名物の栗の粉餅を食べたかったですが残念ながら定休日。

当時食べられていた栗の粉餅を現代風にアレンジしたものを売っているそうです。東海道を電動自転車で走ったスーツさんも食べていました。

分かれ道、行き止まりと書いてありますがグーグルマップを見ると徒歩なら行けそうだったので右に行ってみます。

やはり行けました、思いのほか狭く自転車は行けないですね。

この上は東海道新幹線が走っています。東名と違い東海道新幹線は結構交差してます。

新橋→品川→小田原→三島→富士市→蒲原と6回目の交差

いい感じの住宅

また坂道が続きます。

登りきると東名高速道路にぶつかります。静岡市の看板、ここが富士市と静岡市の市境になる感じですね。

静岡に入り、函南町、三島市、清水町、沼津市、富士市と4つの自治体を歩いて来たんですね。

橋の上から見た東名高速道路

ここからは下り坂になります。

アルミの工場が海側に見えてきました。

蒲原宿の東木戸跡 木戸とは宿場の入り口にある門ですね、品川にも高輪大木戸跡がありましたね。

15番目の宿場町になります。


浮世絵は雪で寒そう(笑)

ものすごく巨大なパイプ、地図で見ると日本軽金属の発電所につながっていたので恐らく水力発電の設備なんでしょう。

この橋を渡ると江戸資料館がありましたが…時間が無いのでここも見れず。

軒先で売っていた甘夏を一袋購入、甘酸っぱくておいしかったです。

蒲原駅まで歩きたかったですが宿場の中心は新蒲原駅の方が近い為、新蒲原駅から帰ることにしました。

品川から上野東京ライン常磐線直通列車があったので乗り換えましたがグリーン車がない車両でした(泣)

しかたなく立って乗車、今後の参考にします。

段々距離が遠くなってきたので次回からは新幹線も活用します。次回は恐らく5月になるでしょう。

2024年4月2日 原宿~吉原宿~蒲原宿

26.53㎞ 7時間48分

当日の総歩数総距離47,205歩 31.30km

八潮-秋葉原 471円

南千住ー八潮 335円

秋葉原-原 新蒲原-南千住 2,410円 青春18きっぷ利用

往復グリーン券 3,100円

昼食 丸天さん 確か2200円くらい

甘夏 300円

飲み物 390円

計6,796円

総計55,871円

 

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テーマ: 東海道五十三次の旅

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2024年3月19日曇り

今日もつくばエクスプレス八潮駅の始発に乗って東海道本線三島駅に向かいます。

グリーン券を買おうとしたら1,550円の料金が表示され…一瞬慌てたのですが座席前のチラシを見て納得。

3月16日より料金改定がされたんですね。まあ今までが安すぎましたね。

朝夕のラッシュ時でない限り隣に誰か座ることもありませんし、150キロまで快適に座っていけると思うと安いもんです。

草加駅から八潮までタクシーに乗ると車で20分の距離でも3,000~4,000円かかることを考えたら…1,550円の追加でで二時間快適に座っていけるのはかなりバリュープライスです。

今までよりも往復で1,100円多くかかりますが、まあ許容範囲ですね。

当然箱根峠には駅はありませんのでどこかの駅からバスに乗らなければいけません。

前回の帰りは熱海駅までバスで行きましたが、時刻表の関係で一番効率が良かったのが三島駅からバスで行くルートだったのでそちらにしました。

8時ごろ三島駅に到着

学生さんや通勤客でホームはいっぱいでした。正直地方って車社会なので電車通勤する人は少ないのかと思っていましたが…

結構、普通にいましたね… 新幹線の駅でもあるのでスターバックスもあり中々都会、八潮はスタバ、タリーズ、ドトールもありませんからね。

バスの時間まで15分あったので駅の立ち食いそばで、かき揚げそばに三島コロッケをトッピング

三島はコロッケも有名だそうです、おいしいジャガイモが採れるんですね。

後で勉強会で知り合った沼津に住んでいる先生に聞いたら、三島は特にジャガイモが名産というわけではなくジャガイモなら名物にできるであろうと無理矢理作った名物とのこと。

味がおいしいので良いです。

元箱根港行のバスに乗ります。こちらも立ち客が出る位には混んでいます。

途中、三島スカイウォークという地元のパチンコ屋さんが経営しているつり橋で沢山人が降ります。

それ以外の方は元箱根の辺りで働いている方々だと思います。

箱根峠で降りるのは私だけでした。時間はちょうど9時

さらば、相模の国、さらば神奈川県

まあ帰りに電車で通過するのですが…

ここからは静岡県、江戸時代の国名では伊豆国になります。

グーグルマップで調べると箱根峠から静岡と愛知の県境湖西市まで東海道で180キロあります!日本橋に行くより遠いのです。

いかに静岡県が東西に広いのかわかります。

すぐに、箱根エコーパーキングという広大な休憩所があったのでトイレを拝借

この辺りは函南町という町になります。

この看板のゴルフ場方面に向かうと旧街道石畳があるのですが…

ここは確か2019年の台風の際に石畳が流されて壊れてしまい通行止めになっているそうで…ストリートビューでも確認できます。

ただ、函南町の役場のホームページでも現在の状況が見つけらず…ネットで調べたら知らずに行って引き返したという人の投稿もあったので当日復旧しているかどうかわからなかったのですが…

今回は三島側からバスで登ってきたので出口を確認したところ、通行止めになっていたので無駄足にもならずに助かりました。※これは2024年3月19日の情報です。

復旧にお金もかかりますし…函南町の町の中とはいえ、下っていくと三島市に入ってしまうためお金をかけて直しても函南町にお金を落としてくれるわけでもないので町としても復旧する経済的合理性がないのかと想像しました。

残念ですがタダで歩かせてもらっている以上文句は言えません。ということでバスで登ってきた国道一号線を下ります。

旧街道の通行止め

ネットで見ると土嚢等が積んであったのできれいな金網が設置されておりました。

接待茶屋、今は何もありませんが江戸時代ではここで軽食などを提供していたそうです。

ここから旧街道に入れます。

箱根旧街道図、現在地の上の赤い部分が通行止めだったところです。

山中一里塚、まさに山の中

かぶと石、なんでも小田原征伐の際に豊臣秀吉がここで休憩し兜を置いたとか、形が兜に似ているからと両方説があるそうです。これも前回お伝えしたとおり、後年おっさんが適当についた嘘が現在に伝わってる可能性もありますよね(笑)言い伝えとか、宗教、変な風習とかって始まりはそんなおっさんの戯言も多かったのではないかと思います。女性の可能性ももちろんありますが…今はジェンダーフリー多様性の時代なので発言には気を付けないといけません。

まあポリコレ、フェミニストが大嫌いなワタクシの本音はどうでもいいと思ってます。こんなブログ読んでる方はそう多くはないと思いますので炎上はしないと思ってます。

三島市を一望できる展望台があるというのでまだ元気なので寄り道。

途中20名くらいの高齢の方々とすれ違います。山では知らない人とでも挨拶をするのがマナーなので挨拶をします。

挨拶を返してくれない方もいますが、シャイなのかもしくは耳が遠いか挨拶をする余裕がないくらい疲労していると思いますのであまり気にしてはいけません。

曇りで残念ですが、今来たばかりでこれから向かう三島市の素晴らしい景色。

旧街道に戻ります、先ほどすれ違った方々に追いついてしまいました。

気を使わせては悪いので広いところですみませんと言いながら追い抜きます。そうしたら白髪の宮崎駿さんをシュッとさせた様なさわやかな年配のガイドさんから「東海道を歩いているんですか?どこまで行くんですか?」と聞かれたので「今日は原宿まで行きます、最終的には京都の三条大橋を目指しています」と言うと「何泊で行くんですか?」と聞かれたので「休みの度に来て再開しているので何日かかるんでしょうね~」と答えておきました。

こういうコミュニケーションて良いと私は思っています。日本人てたまたま居合わせた他人と話をするのが下手な人が多い民族だと思います。

欧米人て滅茶苦茶うまい。私がいたニュージーランド人も知らない人でも滅茶苦茶フレンドリー。

海外の方に日本人はとても親切のように言われる事がありますが、何故か外国人にはできるんですよね。相手が上手いからなのか、もしくは外面だけは良い人間が多いのか。

アメリカや欧州などは多民族国家が多いので私は敵じゃないよという意味で、街中ですれ違う際やエレベーターで一緒になって目が合うと微笑むという説もありますが…

日本人ももう少しコミュニケーションが上手くなった方が良いと思います。国際線の飛行機なんかに乗ると下手したら10時間くらい隣で過ごすのでお互いに過ごしやすいように私は必ず挨拶をするのですが、日本人にはたいてい「はぁ…」みたいな対応されることが多いです。

「別にお前と友達になりてえ訳じゃねえし、このコミュニケーション下手が!」と心の中で罵っております。※もちろん紳士的にはふるまいます。

マンションなんかでも挨拶できない人とか、車を運転していて交差点で出くわした歩行者や自転車の人とかアイコンタクトすらできない人が結構います。

コミュニケーションはいらんもめ事を減らせたり、安全に過ごすために大事だと思うんですけどね。

ご近所トラブルとか電車内のケンカとかコミュニケーション下手が起こす事が多いのだと思います。

登山道の出口には農家らしき民家があり、そこを抜け横断歩道を渡るとまた街道が続いています。

埋もれていた石橋がありました。1995年平成7年に発掘されたそうです。

この辺りは崖上が国道の為…コンビニの弁当箱やペットボトルなどが散乱しています。

恐らく上からドライバー達が谷に捨てるのだと思われます、残念なことです。

いつものようにゴミを拾いながら歩きますがさすがに全部は拾えませんでした。

立派な木々、何メートルくらいあるんだろう。

また、道路にでると山中城址跡にでました。色々堀の跡等あるらしいのですが…時間がないので少しだけ見て退散。

ここ山中城は有名な豊臣秀吉の小田原征伐、小田原攻めの舞台の一つ。

北条氏政と豊臣秀吉の関係が悪化すると小田原城の西の防衛の為に山中城を改修していたそうですが間に合わず6万8千人の軍勢に攻められ半日で落城したそうな…

3千人で対抗したそうなので北条方は2千人が討ち取られたそうです。太平な日本に生まれてよかった。

自分が北条方の将兵だったらかなり嫌ですよね、山の中に逃げてしまいそう。そんなのがバレたら一族郎党に迷惑がかかりそうですしそれも許されぬ状況なんでしょうが…

夜に来たら亡くなった将兵達の霊が出てきそうですね、成仏しているといいけど。

小さい神社があったのでお参り。

きれいに整備してあります。

 

この辺りはバスで登ってきた旧道になります。民家が並んでおります。

魔女の宅急便のジジのような黒猫

この先が山中城址跡の駐車場がありました。駐車場にトイレがあったので拝借。

峠は寒かったのですがこの辺りになると気温が上がってきたのでユニクロの極暖からスウェットのパンツに履き替え。

お蕎麦屋さんも併設しておりました。

ここから先もきれいな石畳、これを保全するために沢山税金を使っているんでしょうね。ありがたいことだ

再び通りにでるとドラゴンキャッスルという巨大なアスレチックがありました。まだ午前中で平日なので閑散としております。

明日は祝日なので賑わうのでしょう。

バイパスに突き当り横断歩道をわたるとまた旧街道に入ります。

事前に色々調べたところ三島側は小田原側に比べてなだらかそうだったのと、三島から先は平地になるので登山靴は履かずにアシックスのランニングシューズゲルカヤノで挑んでおります。予想通りでしたが三島の石畳はかなり気合が入っていて良いつくり、ところどころコンクリートで固めた上に石畳が置いてあります。大変申し訳ないのですが景観はかなり良いのですがかなり歩きづらい(笑)

バイパスの上に架かる橋にも石畳、非常に歩きにくい。

この辺りは無法者が訪れにくい場所なのでゴミなどは全くありません。

怠惰な人間が簡単にアクセスできる道路沿いや大きい駐車場などはゴミが沢山落ちていますね。

残念ながら終日富士山には雲がかかっておりました。

再び国道に架かる橋、ただ歩くだけの歩道にも手を抜かない静岡県。

リニアモーターカーも早く通してもらいたいものです。

下っていくと三島スカイウォークが見えました。写真右側にはタダで景色は見させんとばかりに塀で覆ってあります。

お金をかけてつり橋をかけたわけですから当然でしょう。

最近どこの観光地に行ってもある、その場所の地名などを模した英語のサインの前で映え写真を撮る人々。

ここまで来ると畑が沢山あります。三島側は日当たりが良いので農地が沢山ありますね。

小田原側はどうしても日陰になってしまうので苔が生えて昼間でも鬱蒼としておりますが、三島側はとても明るい。

日が当たるのはとても良い事で、緯度の関係で日に当たらない事が多い北欧の国々ではうつ病になる方も多いんだとか。

欧米人てオープンテラスのカフェなどで飲食をすることが大好きなのは短い日照時間を有効に活用する術なのでしょう。

夏が短いニューヨークでも夏の休日には沢山の人々が野外に出ていた事を思い出しました。

修善寺方面

畑の間にも石畳

ここを下ると下長坂、通称こわめし坂と呼ばれる急坂になります。

なんでも現在では12パーセントの傾斜だが、昔は20~40パーセントの急坂であったそうで背負った米も人の汗や蒸気で蒸されて強飯こわめしになった事からその名がついたとか。

幸い下りなので肺に来る辛さはありませんが、大腿四頭筋や足裏の前方に多大な負荷がかかります。

ここでのダメージが今日の旅を苦しめる事になります。

こわめし坂をしたから臨む、すごい坂だった。

ここからは緩やかな下り坂になります、またバスで登ってきた旧道に沿って歩きます。歩道が狭いので家々から突き出ている植物が顔や体に刺さるので注意が必要です。

のどかな風景

分かれ道があったので地図を見るとやはり旧街道、地元の方々が植えたお花がきれい。

時雨坂というそうで、公民館、小学校、幼稚園がありました。

何故か振袖を来た女性たちが小学校の校庭にいました、小学校の卒業式なら親が振袖を着ることもないと思うのですが…

親というには若い感じだったので謎でした。

 

階段を降りていくとまた道路に出ます、そしてさらに進むとまた石畳の旧街道がありました。

今見てみると似たような写真ばかりです(笑)

でもどこも絵になる素晴らしい場所がたくさん。

静岡と言えば柑橘類、民家の軒先にも立派な実がなります。

これだけ日当たりが良いので名産になるのも頷けます。

伊豆フルーツパークまで戻ってきました。

温室などで育てられているフルーツを狩ることができるみたいです。この辺りまで来ると坂もなだらか

歩いていくと新しめの高速道路が… 三島塚原インターチェンジ

調べてみると沼津から修善寺の先までつながっている伊豆縦貫自動車道というそうです。小学生の時に修善寺、西伊豆を訪れた時は当然下道だったので便利になったもんだ。

立派な松並木

ここは歩道にも石畳が敷いてあります、とても歩きにくい。

スーツさんはここに電動自転車で突っ込み断念していましたね(笑)

富士見ヶ丘というだけあって富士山が見事に見えます。関東にも富士見台とか富士見という地名はいたる所にありますね。富士山はそれだけ日本人にとって特別な山なのでしょう。

錦田一里塚など歩道はとてもお金がかかっている感じがします。三島市は財政が豊かなんでしょうね。

この辺りで小田原で別れた東海道新幹線と交差しますがトンネル区間なのか全然気が付きませんでした。鉄道は山を越えられないので、小田原から熱海の方を回って函南町などトンネルをくぐってくるんですね。

もちろん最短距離は私が歩いた箱根路になります。

ローソンとガソリンスタンドが併設されているところでトイレを拝借。

ここから旧街道は1号線と離れ再び住宅街を行きます。

旧東海道踏切、行きと帰りにもお世話になるJR東海道線。

住宅街を歩いていきます。山田川を渡ります、地方に来ると思うのですが河川の水が透明できれい。

東京郊外に住んでいると川は濁っているものというのが当たり前ですが、本来これだけきれいなんでしょうね。人口密度が違うんでしょうね、あとは富士山からの雪解け水が絶え間なく流れているから淀むこともないのでしょう。

ロンドンのテムズ川なんかも水道事業が民営化され経営難で浄化が間に合わず汚染が進んでいるという話がありますが…日本も同じように民営化していったら同様の事が起こるのかもしれません。

民間企業は利益を出さないといけないので民営化も良し悪しなようです。

 こちらは大場川これを渡ると三島宿、東海道11番目の宿場町となります。

三島大社前、ちょうど浮世絵にも描かれていますね。似たようなアングルで取りたかったのですが道路の反対側に行く時間も体力も惜しいのでしませんでした。

せっかくなので三島大社を参拝、結構人がいます。

本殿には行列ができています。

にも関わらず前の夫婦や中年女性の二人組がが長々と手を合わせています… どこの神社仏閣にもこういう人っていますね。何かお願いする事が沢山あるのかもしれませんが、後ろの行列を見て早く切り上げよう他人に配慮しない人にご利益なんてないと思うんですよね、と他人を蔑んでばかりいる私にもご利益は無さそうですが…

私は旅をさせてもらっている事、家族の安全に感謝祈願し秒で参拝を終わらせます。

気を取り直して、楽しみでもあった三島のうなぎを食します。

お店は門の横にあるひいらぎさん。三島には沢山のウナギ屋さんがありますが、こちらは口コミも良かったのでここにしました。

うな重上、3,800円 私はちゃんとしたウナギ屋さんでウナギを食べた事がなかったのでめちゃくちゃおいしかったです。

このお店の山椒もさわやかな辛さでとてもおいしい。お土産で買いたかったですがケチマインドが発動し何故かやめました。

伊豆箱根鉄道駿豆線の広小路駅、駿豆と書いてすんずと読みます。 駿府の駿と伊豆の豆ですかね、三島と修善寺を結んでいます。

広小路とは全国至る所にありますが、読んで字のごとく広い街路の事。こちらはモータリゼーションによって国道や高速道路の整備により広い道ではなくなりました。

アニメラブライブのラッピング電車でその界隈には有名、せっかくなので見たかったですがローカル線で頻繁に運行しているわけではないので見るのは断念。

この手前の源平川沿いに、三石神社と時の鐘という観光名所がありましたが…桜家という有名なウナギ屋さんを待つ人で溢れていた為撮影はしませんでした。

ここから先は旧街道にありがちな歩道がないのに交通量がそれなりにある道になります。

常夜灯があります、この辺りが京側の見附になるのかもしれません。

ここで少し寄り道、柿田川湧水公園。東洋一と言われる富士山の湧水ということで見ないわけにはいかないでしょう。

ランチを食べてから左足第二指の付け根が痛かったので小石でも入ったかと思い、手前の運動公園のベンチで靴を脱ぐと石は入っておらず靴下を取ってみると見事な水ぶくれが…

箱根の急な下り坂を降りるのに指先接地をしていたつもりができていなかったようです、靴だったのでいつもの五本指ソックスではなく業者さんにいただいた新品のスポーツソックスがタイトで慣れていなかったというのもあったかもしれません。初日以来の水ぶくれ、当たらないように親指に力を入れます。

公園内にある第二展望台から湧き水を見ることができます。かつて製紙会社で使われていた井戸だそうです。めちゃくちゃ美しい、ずっと見ていられます。

飲んだらおいしいんでしょうね、現在も生活用水として使用されているそうです。ここももちろん投げ銭禁止です。

小さいお孫さんを連れたおばあちゃんが手すりの上に乗って孫と一緒に井戸を撮っていましたが…落ちたらどうするんだろうと思っていると…

「お母さんやめて」と娘さんが止めていました。そりゃそうだ、婆さんが落ちて死ぬのは勝手だけど知らない所で子供が真似して転落したらどうするんだ。

そもそもこんな素敵な場所で婆さんが死んだと曰くが付いたらたまったもんじゃない。

老いては子に従えと言いますが娘さんがまともな大人に育ってよかった。

年を重ねても物事の分別が付かない人間はいるものです。

第一展望台に行くとこちらも綺麗、水底の砂地からこんこんと湧き出る清水。この辺りは駿東郡清水町と言います、まさに名は体を表す。

静岡で清水というとちびまる子ちゃんで有名ですがそちらは静岡市清水区(旧清水市)となりここからは結構離れていますので別の自治体となります。

私の写真の腕前でそれを伝えることができず残念、是非現地に行かれてください。

国道を西に進み、東海道に復帰。

護岸工事をしている黄瀬川を渡ります。

交通量が多い県道を行くと旧街道の分かれ道が…

この辺りは退屈な住宅街…奥に見えるのが狩野川のコンクリートの塀。

と思っていると一里塚が… 左側の石は玉砥石と言って玉を磨いていたそうで、玉とは恐らく宝石のようなものかと思います。大昔西暦930年頃からあるそうで大変古いものだそうです。

また県道に戻り再び旧街道への分かれ道、川廓通り。廓くるわというと遊郭などを表す隠語ですが、城壁など壁という意味が本当だそうでこの先の右側の広場が沼津城跡ということでここでは城壁という意味ですね。遊郭では売られてきた遊女が逃げ出さないように壁で囲っていたので廓と呼ばれていたんですね。勉強になった。

この北側がJR東海道本線沼津駅。お城は二度の大火に見舞われ、空襲により壊滅しお堀も埋められてしまったため現在ではその存在を留めるものはほとんどありません。

知らないうちに沼津宿にはいっていたようです、日本橋から数えて12番目の宿場町です。伊豆の国から駿河の国に入りました。

狩野川ですね、同じ場所を歩いてきていますがコンクリートの塀で遮られているため川自体はそんなに見えませんでした。水害から街を守る為には仕方ないですね。

送別会帰りなのか卒業式なのかホテルから花束を持った年配の男性とスーツ姿の女性達がでてきました。

もうそんな時期ですね。

地方都市にありがちなシャッター商店街… 広大な駐車場を完備した郊外型ショッピングモールにお客さんが流れてしまうんでしょうね、地方都市はこういう光景をよく見かけます。

京側の見附は恐らく過ぎたと思われますのでここで千本松原沿いを歩こうと思い、海側に抜けます。

これは千本どころの松ではないですね…実際は狩野川河口から田子の浦まで約10キロの間に30万本以上植えられているそうです。

飛行機から見ることができます。ここは地域の農民の方々が風や波から農地や住居を守る為に松を植えたそうです。

修善寺や深海水族館側を望む、素敵な場所です。

ここは昭和の時代からコンクリートの堤防が築かれその上がサイクリングロードになっており車は入ってこれません、散歩している方や自転車の方々がおります。

東海道は時代と共にルートを変えており海沿いを歩いている時もあったみたいです。

北条水軍と武田水軍の海戦が行われた場所でもあります。

江戸時代の人々も天気が良い日は海沿いを歩いたのではないかと思います。もうすぐ16時先を急がねば、段々肌寒くなってきました。

すごい松の数 風で松の形がリーゼントのようになっています。

駿河湾は物凄く深くなっておりとても良い漁場になっています。夕飯には少し早いですがせっかくなので沼津の海鮮を食べたくなり千本街道沿いにあったこちらの回転寿司へ。

丸ビルや羽田空港そしてなんと流山おおたかの森にも支店があるそうですが、現地でなければ食べられないネタもありそう。

とてもおいしかったです。

「沼津魚がし鮨」グループ|港直送の新鮮・でかネタの流れ鮨、宅配寿司 (uogashizushi.co.jp)

ここから原駅までは3km、足の痛みに耐えながら進みます。

13番目の宿場町原宿に到着です。 原宿はとても小さい宿場町なのでそんなに見るところもないみたいなのですが、白隠禅師という有名なお坊さんが生まれた地であります。

「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とうたわれていたそうで。千本松原といい駿河の人々は控えめで謙虚な方が多いのでしょうか、駿河はとても素敵な場所なのでもっと誇っても良いと思うのですが…

白隠禅師は江戸時代には既に廃れていた禅を江戸時代風にアレンジして広めた方だそうで、禅は今や一部の外国人にも親しまれている事を考えると禅を現代にも伝えた功績がある偉大な方だったんですね。私の大好きな沢木耕太郎さんの旅行小説、深夜特急にも外国人に禅とは何か?と聞かれた場面があり…禅とはbeing on the road途上にあるものだと思うと答えていましたね。グーグルで調べると禅とは古くからインドで行われてい精神を一つの対象に集中し真の姿を知ろうとする修行法とあります。

沢木耕太郎さんの解釈も素敵ですよね、さすが作家さん。

疲れと暗さで白隠禅師の墓所がある松蔭寺を通り過ぎてしまい戻る気力も体力もなかったので交差点を撮影、白隠生誕地前。修業が足りないワタクシ。

原駅に到着、時刻は18時ちょうど熱海まで行きそこから上野-南千住ー八潮と乗り換え21時30分過ぎに自宅に到着。

段々遠くなってきました。

2024年3月19日 箱根峠~三島宿~原宿

29.32㎞ 7時間22分

当日の総歩数総距離49,014歩 35.53km

八潮-秋葉原 471円

南千住ー八潮 335円

秋葉原-三島 原-南千住 2,410円 青春18きっぷ利用

往復グリーン券 3,100円

三島-箱根峠 バス 1,090円

立ちそば 530円

うなぎ3,800円

回転寿司 忘れました(笑)

計11,736円

総計48,985円

 

足のケアはシックスパッドパワーガンでも行っております。先日もお客様にご注文いただきました。

弊所でお試しいただけますのでぜひご利用ください。

SIXPAD Power Gun Pocket 小型マッサージガン レビュー | 鍼灸整骨院あおてあ|八潮市大瀬 (aoteabodydesign.com)

 

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遂に箱根峠に挑みます。靴はモンベル幕張アウトレット店で購入した登山靴!

店長さんがフィッティングしてくださり、とても親切で私の足にもピッタリでした。

モンベルは日本のブランドなので幅広靴も揃えておりありがたいです。

始発で行くつもりが二番目の電車になってしまいました。

交通費削減の為、JR線管内は青春18きっぷを使います。青春18きっぷも今後続くかわからないとネットニュースで見ましたが無くなったら残念です。

学生が鉄道を使わない春休みに夏休み冬休みの期間に発売されるんですよね。社長も務められた須田さんという方が作ったそうです。

若い頃、友人の結婚式で三重まで行くのに使ったり…仙台の同僚に会いに行くために仙台に行って朝まで飲んで始発で帰ってくるなんてこともやっていました。

新幹線や特急には乗れませんが一日当たり2,410円でJR線乗り放題という素晴らしい切符です。

若い人もこれを使って色んなところに行ってもらいたいなぁと思います。

 

落ち着いて座りたかったのでグリーン車で行きました、青春18きっぷ利用でも普通列車のグリーン車等にはグリーン券を払えば乗ることができます。

小田原に到着、どうする家康効果で観光客も多いんでしょうね。

駅に飾ってある浮世絵

ここからは箱根登山鉄道で箱根湯本駅まで向かいます。

朝ごはんに小田急系列の立ち食いそば箱根そばを食べようと改札に入ったら、お店は改札外にあることが判明…

しかたなく駅のホームにあったセブンイレブンでおにぎりを買ってホームで食べました。

箱根湯本までは小田急線で使われている車両と同じ車両、制服姿の女子高生がいたのがびっくり。

実は強羅駅の近くに私学の女子校があるんですね、知らなかった。

箱根というと観光地のイメージなので観光客しかいないのかと思っていましたが…朝の時間は通勤通学の方も沢山乗っていました。

箱根湯本より先はお馴染みのこちらの車両になります。

乗りたかったですが江戸時代の旧東海道は箱根駅伝で使う箱根登山鉄道に沿った方の国道一号線沿いではなく、どちらかというと箱根新道に沿った道を進みます。

ですので私はここで下車。

これから挑む箱根の山、前日までの予報では昼過ぎに雪の予報でしたが…当日の予報では11時から降り始めると変わっていました。

急がねば… 本当は三島まで歩きたかったですが時間の関係で箱根峠を目指すことにしました。

旧東海道は大きな旅館や宿泊施設は少なく、民宿やゲストハウス、住宅が並ぶのみで現在はメインストリートの趣はありません。

しばらく歩くと旧東海道の歩道入り口がありました。

石畳が敷かれており旅情を搔き立てられます。

素晴らしい石畳、箱根峠はスニーカーで踏破してしまう人もいるそうですが…

トレッキングシューズは履いた方が良いと思います、石にソールが張り付く感じがないと滑りますし足の捻挫予防になるからです。

再び国道に合流、峠道はグネグネカーブしていく車道を歩道がショートカットして登っていくのでこれを繰り返すことになります。

巨大な宿泊施設、箱根町は神奈川県の財政力ランキング一位を誇ります。

きれいなトイレの横に須雲川自然探勝歩道の入り口があります。

うっそうとしていて怖い…

暗くて怖いですがすぐ左手に有料道路箱根新道があるため結構なスピードで通り過ぎるトラックや車の音が聞こえます。

都市部ではただの騒音ですが、一人歩いていると安心します。(笑)

元箱根に行くまで誰一人としてすれ違ったりすることはありませんでした、冬の平日で雨の予報の時に歩く物好きは私くらいなのでしょう。

滝廉太郎の箱根八里の歌詞のとおりですねぇ、苔滑らか。すべらんようにしないと

箱根に来るほとんどの方が登山鉄道で強羅まで行き、ケーブルカーに乗ってロープウェイに乗ったり。バスや車で行くと思いますが…

これこそが箱根だと思いました。私も幼少期より何度も箱根には来ましたが箱根の良さを一番感じたた旅になりました。

この辺りは東京電力の敷地らしく、水力発電の施設などもあるのでしょうか?順路以外の場所には立ち入らない方が良さそうです。

再び国道に合流、この場所に似つかわしくないめちゃくちゃきれいな神社らしきものがありましたが…

グーグルマップで口コミをみると色々書かれておりました、よくわからないので言及は避けます。

再び遊歩道、ここは割石坂というそうです。

東京電力のグループ会社の小水力発電所、以前は老舗旅館が所有して自家用として使っていたそうな。すごい地産地消だ。

道路を渡って再び旧街道へ、写真だとわかりにくいですが急な下りになります。

山登りあるあるですが山って起伏があるので登っていくときも下らなければいけない所があります。

初心者の私は「後で登らすくせに下らすんじゃねえ」と心の中で思っておりました。

まあ登山も旅行も生きていく上で必ずしも必要な事ではないものなので、そもそもが無駄な事をしているのです。

自然や山道に合理性を求めてはいけないのです。

良い景色だ

大澤坂、座頭転ばし坂の異名もあるそうです。

ここも結構な傾斜があります、思ったのですが大名行列で殿様は基本安全の為もありどの籠に乗っているかわからないように複数の籠でカモフラージュしていたそうなのですが…

こんなに急な坂だと担ぐ方も大変ですし、籠の中の殿様もひっくり返ってしまうのではと思いました。

「殿、ここの坂はお歩きください」などと供の侍達が後ろから押したりしていたのかと想像しました。「足が痛くてかなわん」「もうしばらくの辛抱でございます」なんてやり取りがあったのかと想像しながら歩いていました。

山賊が出たり暗殺されるリスクもありますし、木々の間に気を配り登っていく護衛の侍たちも大変だったでしょうね。

こういう想像をしているだけで楽しいです。旅行系ユーチューバーのスーツさんの名言「教養がないと娯楽に金がかかる」を思いました。(笑)

まあ私もそんなに教養がある方ではないですが、教養的なものに興味があるとこういう歩いているだけの旅も楽しめます。

現代では旅は色んなサービスを受けるものになっており、乗り物に乗ったり、テーマパークや観光施設に入ったり宿泊施設でお金を使って楽しむというのが主流になっています。

もちろんそれはそれで楽しさはあるのですが、身体を使って歴史や文化を感じるという方が私は楽しいと思っています。

前もこんな話したかもしれないので重複していたら申し訳ありません。

間の宿、畑宿に到着。

畑宿は小田原宿と箱根宿の間の宿になります。

寄木細工の集落として有名です、体験施設もありますが平日の朝10時前ということで閉まっており静かです。

街道の石畳は道がぬかるんで膝まで浸かってしまう事もあり、幕府の命をうけ近隣の村人達が作り上げたそうです。

いわゆる公共工事みたいなものですから幕府から給料が出たりしたのでしょうか?タダ働きだったら気の毒だなぁ

石畳を歩くときは感謝の気持ちをもって歩こうと思います。

住宅の間に本陣跡があります。

また旧街道の入り口脇にきれいな公衆トイレがあったので拝借。

ここにはバス停もあるのでちょっとしたハイキングなら箱根湯本駅から旧街道経由の箱根港行のバスに乗ってここで降りても良いかもしれません。

スーツさんの動画でもここまでバスで来て歩く動画がありましたね。

ここでちょうど二時間、山登りは時間がかかりますね。地図でみてもわかるようにここからは徒歩で行く旧東海道、車が通れる旧東海道、国道一号線箱根新道がグネグネ交差しながら登っていきます。もちろん徒歩で行ける道が最短ですが、その代わり傾斜もきついです。

両サイドにこんもりした塚があります。これが畑宿の一里塚。恐らく後年作ったレプリカだそうです。

登っていくと近代的な橋があります。下には有料道路箱根新道をビュンビュントラックが通り過ぎます。

恐らく山を削っているため、旧道の為にこの橋をかけてあるのでしょう。

旧道を歩くハイカーの為にこんなしっかりした橋をかけられる、日本は経済的に豊かなのだと実感します。

車が通れる旧東海道に合流後、左手に階段があります。

ここは箱根七曲りというヘアピンカーブが連続する区間なので、そこをショートカットするように歩行者用の階段が整備されております。

ありがたいですが、階段は大腿四頭筋内側頭に負担がすごいです。このダメージは後々効いてくることになります。

樫の木坂というそうです。箱根の難所の中でも特に厳しい坂であったようで、樫の木のさかをこゆればくるしくてどんぐりほどの涙こぼれると書いてあります。

路肩には雪が積もっております。

どんぐりほどの涙はでませんでしたが結構キツイ。しっかりした階段があり、性能が良い登山靴を履いているので昔の人よりは楽だと思うのですが…

この辺りから雪交じりの雨が降り始めました…まずいなと思いつつ先を急ぎます。

猿滑坂 サルも滑るくらいの坂だそうです。現代も話を盛る人っていますが、昔の人はもっとひどかったのではと私は思います。

有名な滝廉太郎さんの箱根八里の歌詞にも「万丈の山♪」という歌詞がありますが一丈は3.3メートル1万丈の山というと3万メートル、エベレストの三倍以上になります。

昔はインターネットもありませんし、書物だって庶民にとっては貴重品。ですので嘘つきとか詐欺師とか多かったんだと思います。

確認するのが難しいですからね。

道沿いには結構ゴミが落ちていてそれらを拾いながら進みます。小さい飴とかチョコレートなんかの包み紙が落ちています。ハイキングする場合はゴミは持ち帰りましょう。

衝撃だったのがプルタブが分離式のペプシコーラの缶が落ちていたこと…1989年から缶から外れないステイオンタブに変更されたことから捨てられてから35年は確実に経過しているものと思われます。たまたまフタも落ちていたのでそれも拾いました。あとは靴のソール部のゴムが結構落ちていました、古い登山靴ハイキングシューズできて底面がはがれるということが多いそうで、久々に登山する場合は新しいものを買った方が良いかもしれません。

やっと目的地の一つ甘酒茶屋に到着。修繕中でした。

ここにはヨーロッパ系やアジア系を含めた観光客がおりました。皆さん、車やバスで来ている感じ。

自分は歩いて来たんだと勝手に優越感。

注文は入り口のカウンターで先にしてお金を払うスタイル。

両手にゴミを持っていたので「あのー道中ゴミを拾ったのですが捨てる場所ありますか?」と聞いたらお店の女性の方が「あー結構落ちてるんですよねいいですよ」と言って素手で受け取ってくださいました。とても親切にしていただき大変恐縮でした。

囲炉裏もあるし土間にはストーブも置いており大変ありがたい。テーブルの薬草茶は飲み放題。

せっかくなので甘酒とお餅二種類で1,800円

毎日ついているそうでとても滑らかでおいしいお餅、砂糖を使っていない無添加の甘酒と絶品でした。漬物もおいしい。

高いという人もいるかもしれませんが、もち米も高いですし茅葺の店舗の維持費、暖房等の光熱費で結構なお金がかかっていると思います。

物価も高騰していますし、むしろこの場所でこれが食べられるのは安いくらいだと私は思います。

甘酒茶屋の説明書き、最盛期にはこの近くには4軒あり箱根全体では9軒の甘酒茶屋があったそうです。

今はこの1軒が残るのみだそう…周りには人工物も少なく唯一無二のお店なので皆ここを目指してくるのもうなずけます。

現在は車が通る道路側が入り口ですが、昔は当然後ろにある旧東海道が入り口だったそうです。

休憩して足が冷えたのか前腿の内側は痛い、ですが気合で登ります。

ここからの道はかなり急でした。

写真が下手くそですが相当急です。

奥には芦ノ湖が見えてきます。下っていくとヨーロッパ系の方々が散策していました、雨で傘をさしながら歩いていたので見ていてハラハラしました。

あれは危ない

元箱根の街に到着

バスターミナルと港にに若者がたくさんおりました。

大学生の卒業旅行でしょうか?遊覧船もいいけど箱根を楽しむなら街道ウォークだぞと心の中でおじさんがマウント。

右側の箱根神社の鳥居の前でインスタ映えする写真を撮る人たちが行列を作っているそうです。

箱根の関所を抜けます、見学する場合は入場料が必要だそうですが通過のみの場合は必要ないそうです。

チケット売り場の小屋に近づき中にいた高齢のスタッフの方に通過しますと言おうとしたら窓も開けずに行っていいよというジェスチャーをしてもらいました。

色々、展示物がありましたがお金も払っていないのに写真を撮ったり見たりするのは図々しい気がしたので足早に通過。

ここも欧米やアジアの観光客が沢山いました。

京側の入り口

箱根駅伝の往路のゴール兼復路のスタート地点、横には箱根駅伝ミュージアムがあります。

ここから先はあまり観光客が行かないエリアだと思います。住宅街を抜けると芦川坂があります。

芦川の石仏群というのがありましたがちょい不気味だったので写真は撮らず。

あまり道にある仏像等は写真に撮らない方がよいという話もあります。

国道一号線をくぐります。

ここは赤石坂、このエリアもかなり急です。人の気配が一切しません。

箱根峠に到着、最後の挟石坂はかなりの勾配でした。

箱根新道と国道一号線の合流部

ここからバス停まで歩きます、歩道もないので歩いている人は私のみです。ドライバーの方々もなんだこいつはと思っていたことでしょう。

静岡県に突入!相模国から伊豆の国に入ります。

ご覧のように本数が少ない熱海行のバス、先ほど通過した元箱根から来るバスになります。

これを逃すと1時間待たなければいけないため、間に合って良かった。20分ほど待って乗車できました。

無事乗車 熱海市街まで乗客は私一人でした。

急で細い道を大きいバスで運転する技術はすごい。熱海でお寿司を食べて東海道線グリーン車に乗って帰宅しました。

移動距離はいつもの半分ほど、勾配を考えたら仕方ないですね。

2024年3月5日 箱根湯本~箱根宿~箱根峠

14.73km 4時間50分

当日の総歩数総距離 29,828歩 20.55km

八潮-秋葉原 471円

南千住ー八潮 335円

秋葉原ー小田原 熱海ー南千住 2,410円 青春18きっぷ利用

往復グリーン券 2,000円

小田原-箱根湯本 箱根登山鉄道 360円

箱根峠ー熱海駅 バス 1,180円

セブンイレブン朝食 514円

甘酒茶屋 1,800円

計9,070円

総計37,249円

 

登山靴の中でも足の指を使う事を意識していた為か、筋肉痛以外に特にトラブルはありませんでした。

いつものストレッチとトレーニングも翌日から再開、かえって動かしていた方が調子が良さそうです。

腿のケアはシックスパッドパワーローラーsがとても良いです、腰痛の原因になるお尻回りももの側面をケアするのに最適です。

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当院でお試しいただけますので是非

 

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さて、いよいよ箱根路に挑みます。

ずいぶん遠くまで来たなぁという感じです。

年明け一発目の東海道ウォークは令和6年1月9日火曜日、八潮駅始発の5:03の電車に乗ります。

記憶があいまいなのですが、以前は八潮始発の電車は少なかったし始発ももう少し遅かったような…

3月16日より快速電車も停車するようになるそうで、恐らく八潮以東のみの列車はないと思われますのでこれによりつくばエクスプレスの全列車が停車する駅になりますとても喜ばしい。

便利な街になったもんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は東京駅で東海道線の始発、沼津行きに乗ることができました。

下りだしグリーン車に乗らなくてもいいだろうと思っていたら、横浜を過ぎても乗ってくる方がたくさんおります。

満員というほどではないものの、これは意外でした。

藤沢や小田原等に勤めている方も沢山いるということですね。

6:44に大磯駅に到着、しばらくお世話になる東海道本線。

いつ見ても素敵な駅舎です。アニメなんかに出てきそう。

通勤客がそこそこおります、埼玉民からすると観光地ですがここに住んで都内まで通勤通学している方も沢山いるんですね。

駅前にある洋館、大磯迎賓館。 今もイタリアンレストランとして使われているそうです。

駅方面から東海道が通る海に向かっていきます、駅は高台側にあります。

小道を抜けていき、東海道に復帰。一路小田原を目指します。

すぐ右側に偉い人しか泊まれない本陣跡があります、現在は写真屋さんなんですね。

こちらは和菓子屋さん、残念ながら早朝なのでオープンしておらず… 大磯は古い建物が点在しています。

旧街道あるある、左側側道に旧街道が残っており右側のローソン手前で現在の幹線道路にすぐに復帰します。

手前に海水浴発祥の地の石碑がありました。

陸軍医であった松本良順という方がオランダの文献を読み海水浴の効能を知り明治18年1885年ここ大磯町に海水浴場を設置したとのこと。

まあ、それ以前も各地で海で遊んだり泳いだりすることはやっていたと思われますが…

漁師の方々が漁の邪魔になると一般の方に入られるのを嫌っていたという事もあり、健康の為や泳ぐ場所という意味での区分けをしたのがここが最初ということなのだと思います。

すぐに1号線に復帰。戸塚の辺りに看板があった井上かまぼこ店さんがあります、当然早朝なので買い物はできず。

電車内でおなかがすいてしまい、牛丼屋さんの朝定食を食べたかったのですがグーグルマップで調べるとこの近辺には全くそういうお店はありませんでした。

しかたないのでローソンで肉まんを購入。物価高の為、以前と比べてサイズが小さくなっています。

最近は食品の内容量を減らして価格の上昇を抑えるというステルス値上げが横行していますが…普通に値上げすればいいんじゃないかと思います。

長くデフレでいたので値上げに対して企業側も消費者側もアレルギーが強すぎるのではと。

値上げは悪ではないと思うのですが…

とはいえ私も安いものが好きですし、施術費の値上げには慎重になります。

朝食を食べ、先に進むと左側に「湘南発祥の地」という石碑があります。

なんでも中国の湖南省に流れる湘江の南側のエリアが湘南と呼ばれていたそうで、大磯がその地に似ているからつけられたとか…

相模の国の南、相にさんずいをつけたとのこと。

我々がイメージする湘南て江の島、鵠沼海岸がある藤沢市あたりをイメージしますが、それらは大磯からかなり東になります。

今や、大磯を通るバイパスは西湘バイパスと名付けられている事からそういうイメージが定着しているような気がします。

湘南と呼ばれるエリアはかなり広いんですね。

隣には京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並ぶ日本三大俳句の草庵、鴫立庵しぎたつあんがあります。

と偉そうな事を言っていますが私は俳句の素養がないので全くわかりません。

ウィキで調べただけです。

川が流れており風情があります。

海沿いを歩いていくのも退屈なので大磯町役場の横を抜け海沿いにでました。

西湘バイパス越しに見る相模湾に登る朝日、美しい。

バイパス沿いに遊歩道が設置されております。

ここの壁にもならず者が書いた落書きがあります。私、グラフィティは嫌いではないのですがこのように公共物や他人の物に勝手に落書きをするのは良くないと思っています。

スプレーで絵を描いたりあの技術は素晴らしいと思います。書いてもいい場所や自分の資産に描くならよいのですが…

まあこれは下手くそな上に公共物を汚しても平気な精神を持ったアホが書いた落書きという評価をする方がほとんどではないかと思います。

前方にはこれから超えていく箱根の山々が! ワクワクしてきます、思えば遠くに来たもんだ。

あまり街道から離れ続けているのもどうかと思い、戻ることにしました。

右側に広大な庭園が… 大隈重信さんや陸奥宗光さんの別邸跡だそうです。 今は明治記念大磯庭園となっており、庭園は公開されているようです。

千駄ヶ谷の明治記念館と関係あるのでしょうか???

街道にリカバリー 松並木が植えてありいい感じです。

少し行くと八坂神社という小さい神社があります、海のそばだからか入り口が砂地になってます。

お参りして少しゴミを拾いました、地域の神社って感じですね。

血洗川を渡り左手に時の首相吉田茂さんの邸宅跡が…右側には城山公園。

ここから国道をはずれ旧道を行きます。

セブンイレブンがあったのでトイレを拝借、何も買わないのも悪いのでアーモンドチョコを購入。

左手には大磯プリンスホテルが見えます、大磯ロングビーチがあるところですね。

昔は女だらけの水泳大会などが行われていた時ですね、昭和から平成初期にかけてやっていた番組で、必ず胸部をさらけ出すポロリ要員と呼ばれるアダルト女優がおり…

親とみているととても気まずかったのを思い出しました。ちょうどワタクシは思春期真っただ中だったのでガン見したかったのですが(笑)

それも叶わず、今はスマホで容易に見ることができてしまうので逆にありがたみを感じなくなりましたね。ただおっさんになったからなのか…

当時はテレビもセクハラパワハラなんて言葉もなく、下品のオンパレードみたいな番組も沢山ありました。

このような住宅街を歩いていきます。

ちょうど小学校の通学時間、子供たちは右側通行を守っています。

私、ずっと勘違いしていたのですが日本はすべて左側通行だと思っておりましたが…歩行者のみ右側通行が正しいそうです。

もちろん自動車や自転車は左側通行です。この場をお借りしお詫びいたします。

ただし歩道内ではどちらに寄っても問題ないそうです。

自転車に乗った時に混同してしまうので、左に統一した方がよさそうな気もするのですが…

車と対面にした方が事故が防ぎやすいというのが理由みたいなのですが、本当に効果があるのかは謎。

恐らくほとんどの国民が歩行者は右というのは知らないのではないかと思います。※私だけかもしれませんが…

日本の基本的な交通ルールを教えてください 警視庁 (tokyo.lg.jp)

再び国道に合流、ここも松並木が整備されております。一里塚跡ですね。跡形もないですが(笑)

ちゃんと右側通行している子供たち、左側を歩いているおじさん(私)

ここから二宮町、立派な松の木だ。

二宮駅に到着 東海道線は一駅が長いです。

怪しい小道があったので写真右側の道路に向かうと…

やはり旧東海道、今は営業していなさそうな商店が並びます。通学路につき通り抜けはご遠慮くださいとの表記が…まあ私は徒歩なので問題ないと思います、恐らく車に向けた言葉ですね。

その隣にヤマニさんという醤油の蔵元がありました、なんでもお刺身に合ったしょうゆだそうです。今度見かけたら買ってみよう。

住宅街を歩いていくと、梅澤橋の石柱がありますが川がありません。

地図でみるとこの前後には川があるのでここは暗渠になっているようです。

暗渠 あんきょとは

〘名〙 道路鉄道などの地下に埋設したり、地表にあっても水面が見えないように、ふたがしてあったりする通水路排水溝

の事をいいます。私はブラタモリで知りました(笑)

再び国道に合流すると、左側にまた小道が。

この辺りはお地蔵さんのところに古い正月飾りなどが置いてあります、不法投棄かと思いましたが回収するシステムがあるようです。

信心深い方が多い地域なんですね。

押切坂一里塚跡 江戸より18里の文字が、この先に本陣跡がありこの辺りは間の宿であったようです。

押切坂を下ると中村川という川をわたります。

 

鯉がうじゃうじゃおります、鯉って汽水でも生息できるんですね。インスタのショート動画で鯉料理店を営む方の動画をみましたが、結構おいしいみたいですね。

一瞬、小田原市に入ってまた二宮町に戻ります。飛び地でもあるんでしょうか。

そしてすぐに小田原市にまた戻ります。 この坂は車坂と言うんですね。ちょうど上の坂に車が停まっていました。

道路を歩いているのも飽きたので海岸にでます。

西湘バイパスの下に見えるきれいな相模湾。

海沿いを歩いていきます。

漁師さんの家等があるみたいですね、軒先に網や漁に使う物が置いてあります。こういうところに住んでいると車をはじめ色々なものが錆びてしまいそうです。

それはそれで苦労があるんでしょうね。

降りられるところがあったので海岸に降りてみました。

砂というより小石が多いです、台風などで削られてしまうそうで護岸工事をやっておりました。

実はビーチというのは人工のものが結構あるんですよね、有名どころではハワイのワイキキビーチも人工ビーチとなります。

そろそろ東海道に戻ります、戻って少しすると東海道線国府津駅がありました。

段々、箱根の山々が大きくなってきます。

森戸川を渡ったところに西湘バイパス国府津インターの出口があり、そこに架かっている遊歩道の上から富士山が見事に見えました。

ちょうど東海道線の列車と一緒に取ることができました。

ここに吉野家さんがあり、牛丼セットをいただきしばし休憩。

吉野家さんのすぐそばに、密柑問屋井上さんの倉庫兼直売所がありました。

色々種類があったので一番値段が高かった尾崎さんのみかんを購入。

これは品種の名前なんですか?と聞いたらどうやら農園の名前だそうです。とても親切にしていただきました。

家に持って帰って食べたらめちゃくちゃ甘くておいしかったです。この辺りは干物と同じようにみかんも名産なんですね。

小八幡の一里塚跡 この辺りの街道沿いは魚屋さんが多いです、土地柄ですね。指が入ってしまいました。

酒匂川さかうがわに到着

小学校時代の社会の授業で使う地図帳にこの辺りの事が詳しく載っており、酒匂川というと小田原に来たと実感する事ができます。

地理マニアの私は社会の授業以外でも地図帳を見ておりました。

他の勉強は全くできなかったのですが私の通っていた小学校では高学年になると全国の都道府県県庁所在地のテストが土曜日にあり、全問正解できるまで帰宅できないというルールで、私はクラスで一番早くクリアし堂々と下校したことを思い出しました。

いまだにそんなことを覚えているくらい勉強が苦手だったのです、苦手というか好きじゃなかったという方が正しいでしょうか。

親に聞くと、授業参観に行くと私はずっと窓の外を見ていたそうです。高学年の時の担任の先生の事が好きではなかったということもあり、子供時代から同じ場所にいるのがストレスでいつもどこか遠くへ行きたかった事を思い出しました。

大人になってもこんなことをしているので、人間根本的にはあまり変わらないんですね。

子供の頃の自分に会う事ができたら「大人になったらそこそこ色んな所に行けるから今は勉強しておけ」と声をかけるでしょうね。

この川は干潮なのか海への開口部に砂州ができており、海につながっていません。見えていないだけかもしれませんが…

いい景色だ

小田原宿、江戸側の見附に到着。

江戸から数えて9番目の宿場町です。

一里塚跡

途中に看板があった、どらやき屋菜の花さん。

おしゃれでかわいい感じのお店ですね、女性が好きそう。

人気があるらしいバター入りのどらやきを購入。

ここから左折し、突き当りまであるくと小田原宿ふれあい交流館がありました。

ここのお座敷で休憩させていただきました。施設の女性にお茶を頂きました、とてもありがたい。

先ほど購入したどやらきもすごくおいしかったです。

他にも観光客らしき方々もおりました。トイレをお借りし出発。

建物の間から小田原城が見えましたが、もっと良いロケーションがあるだろうと思っていたらこの後はなく小田原城の写真は撮れませんでした。

東海道線、新幹線、箱根登山鉄道の高架をくぐります。今気づいたのですが、今日歩いてきたのは箱根駅伝の4区7区のコースなんですね。

実は旧東海道はこの高架ではなく写真右側に入り口があり、うっかりして通り過ぎてしまいそちらを通ることはできませんでした。

箱根登山鉄道箱根板橋駅

この辺りに制服姿の中高生らしき男の子たちがたくさん歩いていました。

この箱根登山鉄道の高架をくぐったところで右側の旧東海道と合流となります。

小田急ロマンスカーEXEが通過

1996年ちょうど私が大学一年生の時にデビューした特急です。従来のロマンスカーとカラーが違い展望座席もないことから一部のファンから批判があったそうですが…

私は高級感があるカラーが好きでした、シートもとても快適。

大学があった町田から新宿に用事があった時はお金もないのに特急料金を支払ってわざわざ乗ったこともありました。

もうすぐデビューから30周年なんですね、私も年を取るわけですね。

早川沿いに小田原用水の取水口がありました、ここから小田原城下町に上水道を流していたようです。

きれいな水ですね。ここの反対側に韓国人会館という建物があります、ロマンスカーで箱根に来ると目に付く建物です。

この辺りは韓国人の方が多く住んでいるのでしょう。

この辺りからゆるやかな坂道になっていきます、いよいよ箱根の山に挑む事になります。

こちらは箱根観光で小田急としのぎを削っている西武バス。

振り向くと東京メトロ千代田線直通のメトロはこね号がやってきました。今日は日帰り温泉に入り14時26分箱根湯本駅発のこの電車に乗ることが目標です。

現在12時22分果たして間に合うか…

これに乗れれば八潮まで北千住での乗り換え一回で帰宅することができます。

この辺りで本日21kmになります、20kmを超えると足が重くなり息が荒くなってきます。

箱根の有料道路、箱根ターンパイク。こちらを通ると混み合う箱根湯本駅等を通らず芦ノ湖の箱根港や十国峠まで一気に抜ける事ができます。

漫画イニシャルdで高橋涼介のRX7と北条凛のGTRが戦った場所ですね。あれはファンタジーなので作品として楽しむものなので、くれぐれも実際真似をしないようにしましょう。

公道でレースはしてはいけません。

当時はあの漫画の真似をして対向車線にはみ出して事故をしたり、ガードレールに突っ込む輩が事故が多発したそうです。

夜中に爆音で舞台となった峠に走りにいき地域住民に迷惑をかける輩もいたそうです。車が運転できる年齢になっても幼稚な奴等というのは一定数いるものです。

小田原厚木道路のトンネルを超えたところで旧東海道に分かれます。

この辺りの民家の軒先ではみかんをはじめ野菜などが売られています、無人でお金を置いていくスタイルですね。

箱根登山鉄道の風祭駅 鈴廣のかまぼこの工場があります。

子供が小さいときかまぼことちくわづくりの体験をしにきたことがあります、箱根駅伝の小田原中継所でもあります。

風祭の一里塚跡 ここで写真を撮っていたら車にひかれそうになりました。

私が悪いのですが、写真を撮る時には気をつけねば。この辺りは牧島かれんさんの選挙区みたいですね。

旧東海道という雰囲気が素晴らしい

踏切に差し掛かると、最新の7000系ロマンスカーと遭遇。2018年デビューなので5周年のステッカーが貼ってあります。

とてもカッコいい。

乗客の方のお顔が写ってしまったので消してあります。

展望座席はとても人気だそうですが写真に写りこんでしまうというリスクがあります。

再び国道に合流

右側の箱根登山鉄道の下に、牛四天王神社につながるトンネルがありました。

とても興味がありましたが時間もないのでスルー

この辺りでは毎度のことながらジョギングのように歩いています。今回はトランポリンのトレーニングの影響で臀部周りが張っており腰が痛いです。

やり方が下手なんですね。

ようやく箱根湯本に到着!歩いてここまで来たと思うととても感動します。

先ほど通り過ぎた7000系が駅舎に入っています。

三枚橋を渡ったところで今日の東海道ウォークは終了

13時15分とメトロはこねの出発時間まで一時間ほどあったので、駅から近い湯本富士屋ホテルさんの日帰り入浴を利用させてもらいました。

アプリをダウンロードすると2000円が1700円になるので事前に入れておきました。

節約できるところは節約します。

近くの650円の町営銭湯の弥坂湯も考えましたが町営のものは地元の方々のものだと思いますので、旅行者は多少お金を払ってもこういう施設の方が良いかと思いこちらにしました。

タオルもついてますしとても良いお湯でしたし、サンダルでリュック姿の私にも丁寧にしてくださいました。

ホテルから橋を渡るとすぐに箱根湯本駅です。

お土産物屋さんでチューブのわさびとチーズ入りちくわ、アジの干物を購入。

3つのお店に行きましたが、店員のおばさん達の私語がとても多い。その割にこちらには愛想もないです。

現金のみでキャッシュレスにも対応していませんでした。

人気の観光地なのでそれでもお客さんが来るので問題ないんでしょうね。

まあ愛想に関しては私も人の事を言えないのでこのスタイルで仕事ができるというのは地の利もあり幸運なんでしょうね、本人たちは気づいてないでしょうが。

こういう観光地では富士屋ホテルさんのような良いホテルに宿泊すれば良いサービスを受けられるのでそういう所でお金を使うのが良さそうです。

メトロはこねに無事乗車できました。流線形のフォルムがカッコいい。ネットで予約すると50円安くなります。

チーズ入りちくわを食べながら、箱根湯本駅から北千住駅まで2時間20分快適に移動することができました。

2024年1月9日 大磯宿~小田原宿~箱根湯本

25.74km 6時間36分

当日の総歩数、総距離 42,592歩 28.55km

八潮ー大磯 1,637円

箱根湯本-八潮 1,753円

メトロはこね特急券 1,360円

コンビニのお茶、軽食等 583円

みかん 300円

牛丼セット 674円

どら焼き 280円だったような…

富士屋ホテル日帰り入浴 1,700円

お土産 忘れました

計8,413円

総計28,179円

お土産入れると実質1万越えでしたね、2月はまた京都で勉強会、定期検査、確定申告等で予定が詰まっているので次回は3月になります。

脚の痛みはこちらのEU-910でケアしております。ぎっくり腰や捻挫など急性のケガにも使えるので重宝しています。

痛みがすぐにとれるので自分で使って驚いています。(笑) もちろん鍼なども使いメンテナンスは怠りません。

あと、歩いたりトレーニングの疲労をとるのにSIXPADのパワーローラーを使用しています。

一時テレビでも話題になりましたが、値段もお手頃です。

両方とも施術を受けた方はお試しいただけますので、来院の際にお問い合わせください。SIXPAD POWER ROLLER S パワーローラーエス レビュー | 鍼灸整骨院あおてあ|八潮市大瀬 (aoteabodydesign.com)

 

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9kmあたりが藤沢宿、アプリを止めるのを忘れて帰りの電車に乗ってしまったので折り返しになっていますが、28kmくらいが大磯宿になります。


地図②地図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふじさわ宿交流館を出て遊行寺橋を渡り右折すると商店街のようになっております。

歩いていくと橋があり下に小田急江ノ島線藤沢本町駅があります。

現在はJR小田急藤沢駅が栄えていますが、江戸時代では街道筋のこの藤沢本町駅付近の方が賑わっていたのでしょう。

藤沢⑪

 

信号待ちの車が多数いたため下の駅舎は撮れず。

京側の見附に到着、ここが京都寄りの宿場の入り口であったわけです。

趣がある町中華のお店がランチタイムで忙しそうでした、基本的に私はオフピークを狙ってすべての事を行うようにしているので12時台のこの時間に飲食店に入ることは事情が無い限りはしません。

お店の人にも悪いですし、その時にでないと食べることができない人たちの迷惑になるからというのもありますが…

余裕がある時間帯の方が良いサービスを受けられるのでほぼ自分の為であります。

藤沢⑮

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは何とも退屈な市街地を歩いていきます、歩道もありますが狭いです。県道43号線藤沢厚木線というそうですね。

右側にワインで有名なメルシャンの工場があります、今はキリンビールの傘下なんですね。

この工場のおかげで神奈川県はワイン生産量日本一なんだそうです。本社は東京ですが前身の会社は山梨県勝沼市にあるそうでそこのワイナリーは有名ですね。

藤沢⑬

国道1号線に合流、この辺りは1号線は二つありもう一つはバイパスになっておりそちらは有料道路になっている模様。

この辺りに犬のフンらしきものが落ちていました。フランスやスペインなどでは犬のフンが良く落ちています。

散歩している飼い主がフンを回収する日本人の民度の高さが誇らしかったのを思い出しました。

藤沢⑭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

藤沢市辻堂に到着、左に行くとJR辻堂駅があります。

ここは伊勢原市にある大山阿夫利神社に向かう大山道の分岐点です。この交差点(辻)に不動堂があったので辻堂という地名になったそうです。

大山詣では昔からこの辺りの人にとって大切なものであったようです、千葉の成田山、埼玉の三峰神社みたいなものなのでしょうか?

埼玉育ちの私はこの年齢になるまで知りませんでしたが風光明媚で良いところだそうなので今度行ってみようと思いました。

藤沢⑳ 藤沢⑲

空腹を覚えました時間は13時半、ランチタイムのピークは過ぎているはずです。

国道沿いなのでチェーン店をはじめとした飲食店が並びますが、江戸時代のファストフード蕎麦にしました。

茅ケ崎長寿庵さん、長く地域の方々に愛されているのがわかる店構え。

グーグルの口コミも悪くないのでこちらに決めました。年越しそばの予約を促すPOPが貼ってあります、暖かいですがもう年末なんですね。

これは私の持論なのですが、偶然入った飲食店がとてもおいしかったというのは宝くじとまでは言いませんがガチャガチャで好みの玩具を当てるようなものだと思っています。

大抵失敗します。

なので、今は知人友人に勧められたお店以外で自分で探して入る場合はグーグルマップの口コミを参考する事が多いです。基本的に4前後なら問題ない事が多いと思います、もちろん2でもよい店はあると思いますが、そういう店は料理はおいしいけど店主のクセが強かったりします。

漫画、ドラマの孤独のグルメのようにふらりと立ち寄って当たりを引き当てる井之頭五郎のような事はそうあることではないと思っています。

余談ですが評価つけられる方からすると悪い口コミっていうのは本当に嫌なものです、お店をやっている人と話すと「こちらはお客さんの評価ができないのに一方的に評価されるのはフェアじゃない」という話をすることがあります。

海外の配車アプリウーバーのように、運転手もお客も相互で評価できるシステムがあるといいのですが…

こちらに明確に否がある場合は納得できるのですが、認識違いや言われもない事で書かれてしまう事もあるんですよね。

一定数人間は変な人もいるので、困ったものです。ということでグーグルマップの当院の良い口コミを入れていただけると大変励みになります。

茅ケ崎①

中にはいると年配のお客さんがチラホラ。

ランチ定食があったのでお蕎麦大盛りで注文、おかずが魚と肉を選べたので江戸時代は肉食はまだ一般的でなかったと思いますので魚をチョイス。

セイロかと思っていましたがツユも一緒に入ったお蕎麦、サバの味噌煮とライス付きサラダ、冷ややっこ、おしんこ、ひじきが付いているのが嬉しい。

サバの味噌煮のみそが絶品、皿を舐めまわしたいくらいおいしかったですがもちろんしていません(笑)

情緒的には相模湾で獲れたサバだと嬉しいのですが、漁獲制限が厳格な北欧産のサバもとてもおいしいのでどちらでもよいと思うことにしました。

茅ケ崎②

 

これだけ盛りだくさんで1,100円!私はそばを大盛にしたので確か+200円でしたが大変満足しました。

店員さんもとても親切でお茶のお替りもいただき、トイレもとても清潔でした。

茅ケ崎③

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

満腹になって30分ほどあるくと、ここにも明治天皇がお休みをされた場所の碑が立っておりました。

天皇陛下が訪れるというのは今も昔も大変な事だったのですね。

関係ないですがこの辺りは河野太郎さんのポスターが貼ってあります、このエリアが選挙区なんですね。

横浜市は元首相の菅義偉さんのポスターをよく見ました。

茅ケ崎④

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

牡丹餅立場、茶屋や間の宿があった場所です。

近くには花王やTOTOの工場が並びます、世界に誇れる日本の公衆衛生を支える大企業です。

日本人を清潔にしてくださりありがとうございます。

特に年明けの北陸の大地震で痛感したのはトイレの大事さであります、水が流れないのでトイレが糞尿まみれになったそうです。

水洗で汚物を下水道に流し処理施設で浄化するというサイクルは疫病を防ぐ為にとても重要なんですよね。

茅ケ崎⑤ 茅ケ崎⑥

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩いていくと段々都市の雰囲気になってきました。

相模線の橋を渡ります、相模線は茅ケ崎が始点で厚木、海老名を通って相模原市の橋本駅までワンマン運転で向かう電車です。

いつか乗ってみたいなぁ。

茅ケ崎⑦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

茅ケ崎駅入り口に到着、一里塚があります。茅ケ崎⑧

目の前に堀江貴文さんプロデュースのパン屋さん小麦の奴隷があり。

明日の朝食用にざっくざくカレーパンとイチゴのクロワッサンのようなものを購入。

カレーパンもおいしかったですが、イチゴのクロワッサンのようなものがすごくおいしかったです。

地方都市は焼きたてのパンを売る店が高齢化により減少しているので、粉をこねる手間がいらない冷凍生地を使ったこのパン屋のフランチャイズをはじめたとのこと。

すごいアイデアマンだし行動力だなぁといつも思います。

出店する場合は東京などの都市部よりも田舎の方が良いみたいです。確かに東京なんかはこだわったおいしいパン屋さんがたくさんありますもんね。

茅ケ崎⓽

しばらく歩きます、トレーニングの疲れが残っているのか今日はかなりしんどいです。

市街地はみるものも特になく精神的にも辛くなります、ここまで歩きたくなくなったのはこの旅で初めてかもしれません。

東海道にいくつかある左富士、南湖の左富士に到着。

通常、東海道を西に歩いていくと右側に富士山が見えるのですがここは道路の向きにより左側に富士山が見えるんですね。

茅ケ崎⑩

道路っ端なので風情がありません…

工場が立ち並んでいるので富士山もよく見えません。

茅ケ崎⑪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東海道の名物でかまん、という看板が…

名物と言われたら買わないといけません。中には昔訪れたであろうテレビ番組の撮影の様子の写真が飾ってありました。

年配の男性が奥から出てきてくれました。

茅ケ崎⑫

 

でかまん屋さんのすぐそばに国指定史跡 旧相模川橋脚とあります。

そばの川が小出川なのにここに昔の橋脚があるのには理由があり、昔から地震や天災などで相模川の流れは変わっているそうです、もう一つは元あった場所から橋脚を移設したのが理由だそうですね。

茅ケ崎⑬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

疲労感がものすごかったのでここのベンチで休憩。

水の中からニョキニョキ棒がでています。この見えてる橋脚跡の木はレプリカで本物はこの地中で保管されているそうです。

なんでも鎌倉時代にかけられた橋の橋脚が関東大震災の際に、もうすでに相模川の流れが変わり田んぼになっていたところの地中からニョキニョキ出てきたそうです。

地元の青年団などが保存の為、防腐剤などを塗って守ってきましたが腐食が進み現在の地中に埋める形で保管されているとのこと。

ものすごく失礼な話ですが、薄学の私からすると木なんか保管してどうするんだろうと思うのですが鎌倉時代のものなので学術的に大事だったりするのかもしれません。

15時20分、昼食を食べて1時間半ほどしか経過していないので空腹ではなかったですが糖質を補給すれば元気がでるかもと思い先ほど購入したでかまんを食べました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ローソンでお茶を購入しひたすら歩きます。

バイク屋さんが集中している場所を通過、そういえば以前YouTubeでオランダのKTMのバイクを購入した方の動画で見た事を思い出しました。

実は私も大型二輪の免許を持っているのですが、最近は乗らなくなりました。楽しい乗り物ですが整形外科医が最も乗りたくない乗り物ナンバー1というだけあってとても危険なんですね。実はこの東海道の旅もレンタルバイクを借りていこうかと思った事もありました。

やっと相模川にかかる馬入橋に到着、馬が入れるほど浅い川だったのでしょうか?

通常市境は川の中ということが多いですが地図で見てもこちらの茅ケ崎側にも平塚市の飛び地があるようです。

川の流れが変わっているのが原因なのか、他に原因があるのかはわかりません。12月の冬至間近ということで日が短いですねもう夕暮れです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕日をバックに東海道線の列車が通過。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

渡り切ろうかという時に全席グリーン車以上、個室席もある豪華列車サフィール踊り子号が通過。

いつか乗ってみたい。

しかし川幅がとても広いです。

京都や大阪など西へ行くもう一つのルートに中山道というルートがあります。

起点は終点は日本橋、三条大橋と一緒なのですが、日本橋を出るといきなり北へ向かいます板橋、浦和、大宮、熊谷等を抜け、高崎、軽井沢など群馬県、長野県、岐阜県の険しい山道を通っていくルートです。

なぜ、そんな遠回りのルートを選んだのか長年疑問でしたが歩いてみてわかったのは海沿いが東海道は川幅が広いので渡河が大変なんですね。

お金を払って渡し舟や人足に肩車してもらうか輦台(れんだい)という台の上にのり4人の人足に担がれていかなければなりません。

橋がある場所もあったそうですが流されたりしてしまい、作るのもお金がかかります。当然橋を渡る料金もかかっていたと思います。

それと比べると山の中を通る中山道はそんなに川幅が広いところがないので旅をしやすかったのだと思います。

他にも東海道は大名行列に出くわしやすかったり、その間足止めを食らうなど色々な理由があったそうです。

弊院がある八潮市とお隣三郷市の間、中川に架かる共和橋もかつては渡し舟があり、その後橋ができてからも通行料がかかったそうです。

その橋のたもとで料金を回収していた家の子孫の方と三郷の焼き鳥屋でお会いして話を聞かせていただいた事を思い出しました。(笑)

昔は川を渡るというのはとても大変なことだったんですね。

 

橋のたもとに献上銘菓処弘栄堂というなんとも味があるお店が。

しかも「力餅 本日分発売中」と書いてあり限定ものに弱い典型的な大衆の私は当然購入。

しかし誰に献上していたんだろう…調べても謎、誰か知っていたら教えてください。

自宅に帰って力餅を食べたら、とてもおいしかったです。今思い出してもまた食べたいと思える味です。

お餅にきなこと蜜をかけて食べるのですが、信玄餅のおいしいバージョンだと説明すればわかってもらえると思います。

こんなことを言うと山梨県民やお店の方に怒られてしまうのかもしれませんが…信玄餅って味自体はそんなにおいしいと思えないんですよね。

餅ってそもそも保存がきかないものなので、お土産に耐えるよう賞味期限を延ばすために物凄い企業努力をしていると思うのですがやはり餅はすぐ食べるのが一番だと思っています。

信玄餅はあのかわいい巾着のように包まれた包装と、自分できなこと蜜を混ぜ合わせるという特別なお菓子を食べているという演出がうまいのかなと。

それでも山梨の信玄餅の工場直売所に行くと観光バスが何台も停まり山梨を代表する銘菓であることには変わりありません。

あくまでも個人の感想なのでファンの方や関係者の方々には大変申し訳なく思っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し行くと国道と分かれ道、左が旧東海道の宿場に向かうルートとなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

馬入の一里塚があります、ここが江戸側の見附かと思っていたらどうやらまだ先のようです。

やっと平塚駅に到着、アーケードの商店街にベンチがあったので少し休憩。

疲労感がすごいですが、次回の事を考えて次の大磯宿まで行かないといけないので気合をいれて出発。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっと平塚宿の江戸側の見附に到着。

江戸から出て7番目の宿場町となります。

現在の平塚駅から離れているのは理由があって旧街道沿いのかつて栄えていたエリアの方々はどこの町も鉄道が通ることを嫌ったそうです。

なので町はずれに駅ができ、現在ではそちらの方が栄えるという結果になってしまい、旧エリアは寂れてしまったという事がよくあります。

新しい事を嫌って保守的になってしまうと時代に取り残されてしまうという事なんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平塚にあまり古い建物がないのには理由があり、かつて軍需工場があったために太平洋戦争で米軍の空襲に遭い消失してしまったそうです。

B29がなんと132機!焼夷弾が41万本も落とされたそうです。

ネットで毎年、8月6日や9日の原爆投下された日になると「過去の過ちを反省」などと言っているが、反省しなければいけないのは市街地を焼き尽くしたり原爆を落としたアメリカの人達だと言っている人をみましたが、確かにそうですよね。

いまだに核も軍隊も持てない我々が何を反省しなければいけないのかよくわからないし、あんまり自虐的にならなくてもよい気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古い建物は消失してしまっても、随所に宿場であった過去を忘れないようにレプリカ等が設置してあるのがありがたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京側の見附に到着

浮世絵にも書いてある高麗山、この辺りで大磯町に入ります。

この旅初の町です、自治体レベルでいうと。中央区、港区、品川区、大田区、川崎市、横浜市、藤沢市、茅ケ崎市、平塚市ときて大磯町という感じでしょうか。

江戸時代の平塚宿の宿屋の方々は夕方になると京に向かう旅人に「あの山は山賊が出て追いはぎにあったりしてしまうのでここに泊まっていきなさいよ」と平塚宿での宿泊を勧めたそうです。実際は高麗山には登らず写真左側を避けていくので問題ないのですが…

平塚大磯間はとても短いので大磯泊まりの人も多かったのだと思います。顧客の獲得競争というのはいつの時代もあったんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高麗山の上には湘南平という展望台があり、そのテレビ塔にカップルが南京錠に名前を書いて愛を誓いあうという有名な場所があります。

非モテであった私には縁がない場所であります。

南京錠なんかかけても別れる人が大半でしょうし、わざわざ別れたからって取り外しにもいかないと思いますので取るのが大変なゴミが増えるのは迷惑ではないかと。

ググってみるとテレビ神奈川の方が電動カッターで壊して捨てているそうで大変迷惑だそうです。

今は平塚市が公式にainowaという取り付けてもいい場所があるそうなのでそこにつけたら良いみたいです。

と思っていると東海道線の貨物列車が… 東海道線は夜中も貨物電車が走り続けていることで有名です。日本の物流を担っているんですねぇ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し歩くと二股に分かれた道が、右側が旧東海道。

大磯に入ってから外灯が少ない気がします、市と町の違いでしょうか?あえて少なくしているという事はないと思いますが…

この先、さらに暗くなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真っ暗です(笑)

両サイドに家はあり歩いている人もいますがこれはすごい。でも旧街道風情が残っていてとても良いです、今までで最も印象的なエリアでした。

iPhoneのカメラで撮っているので明るく見えますが実際はもっと暗いです。化粧坂というそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな暗闇をあるいていると突如、人工物が…東海道線が分断しているので地下道を通ります。人気がなく何とも不気味です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と思っていたら子供を載せた電動ママチャリのお母さんとすれ違いました。

この辺りの人にとっては普通の光景なのでしょう、暗いですがまだ18時前ですしね。

おそらくこのトンネルを100キロ超のおっさんがのしのし歩いてきている方が怖いですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トンネルをでると素晴らしい松並木、海風によって斜めになってしまったのでしょうか?

別荘地という事で海と山の違いはありますが旧軽井沢の雰囲気に似ているなあと思いました。

 

江戸側の見附に到着

東海道8番目の宿場町、大磯宿に到着です。

 

ここから先は国道1号線に合流。

やっと大磯駅に到着しました、18時前。駅舎もレトロで良い感じです。

駅前のお土産もの屋さんで釜揚げしらすを購入、その日のうちに自宅で大根おろしと食べましたがとてもおいしかったし安かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨の大磯宿ですね、駅に飾ってありました。

 

ここから東海道線に乗り、二時間弱で八潮に到着。

ここから先は交通費もかさみますね…

今回は靴で挑んだので以前よりは足裏の疲れは軽減されるかと思いきや結構疲れました。背中も痛かったです。

これは日々のトレーニングによるところも大きいと思います、最近はケアにも行けてないので疲れがたまっていたのだと思います。

長距離を歩くと2~3日は痛みや疲れがとれないのですが、それでも運動してあげると筋肉痛が和らぎます。

足裏は当院でも販売しているフットフィット3でトレーニングをするととても軽いのです。

運動が苦手な方はこの機械でケアできるのでおすすめです、当院ですと割引価格で購入できます。

SIXPAD foot fit 3 レビュー

 

 

宣伝になってしまいますが(笑)

冷え性の母親にプレゼントしたらお風呂上りにこの機械でトレーニングをして寝るととてもよく眠れるそうです。

当院でお試しもできますので是非。

2023年12月12日 戸塚宿~藤沢宿~平塚宿~大磯宿 約28km 7時間20分

総距離29.74 42,572歩

八潮-戸塚1238円

大磯-八潮1677円

往復グリーン券2000円

ベックスコーヒー190円割引券利用

セブンイレブンお茶、豆大福293円

蕎麦定食1300円

でかまん165円

ローソンお茶0円ポイント利用

力餅432円

小麦の奴隷パン440円

しらす678円

計8,413円

総計19,766円

 

ここからは交通費の節約が鍵となりそうです。

でも大人の趣味としてはそんなに悪くないかなと日曜日にゴルフに行ったら3万円くらいは使ってしまうので。

新幹線を使うようになったら大変かもしれませんが、何とか頑張ります。(笑)

年内はこれで終了次回は年明けになります。

この記事を書いた時点でもうすでに歩いていますが、色々忙しく更新が遅くなり申し訳ございません。

意外にも読んでくださっている方が多く大変うれしいです。

 

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前の記事 東海道を歩く⑤ 2日目 程ヶ谷宿~戸塚宿

前回の記事からだいぶ時間が経ってしまいました。

年末年始で事務作業等も多く合間を見ながらの掲載となります、申し訳ございません。

戸塚宿~藤沢宿のルート※9キロあたりが藤沢宿となります。

地図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年令和5年12月12日火曜日 深夜から雨が降っておりましたが、スケジュール的に年内最後のウォーキングということでどうしても行きたかったので出発。予報では10時ごろには晴れるというのでそれを信じました。

朝のラッシュがすごい、北千住から乗った常磐線グリーン車もデッキまで人があふれて居ました。予想通り日暮里駅で乗り換えの人達が多数降りたので座ることができました。

10時少し前にJR戸塚駅に到着しました。

保土ヶ谷宿㉜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コーヒーが飲みたかったので駅のベックスコーヒーで休憩。

ベックスコーヒーはJR東日本系列のコーヒーショップですが…コンセントがないんですねここは是非設置してもらいたいところ。

最近はゴホゴホ咳をしている方が多いですが、コロナ5類相当に移行してから咳をしている人でもマスクをしていない人も増えました。

インフルエンザやアデノウィルス等の風邪も流行っているので症状がある人はマスクをしてもらいたいと思いますね。

外に出ると予報通り雨は止んでいました。

この日は水たまりなども予想されたのでビルケンのサンダルではなくアシックスのジョギングシューズのロングセラーGELカヤノで挑みました。

アシックスの開発担当社員、榧野俊一さんの名前が由来だそうで。マラソンの川内選手も愛用していたとか。

戸塚①

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅の西口のデパートの脇を抜け国道1号線を歩きます。

右側の消防署手前に戸邊本陣跡とありあます、明治天皇も訪れたそうです。

横に羽黒神社という神社があったのでお参り。

戸塚② 戸塚④

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイパスの国道1号線に合流するまでここから先は坂道になります。

戸塚⑤

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大坂というそうです。

仇打ちがあったと書いてありますが、誰が誰を倒したのかまでは不明。

戸塚⑥戸塚⑦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイパスに合流

この辺りは大学時代に先輩の家に遊びに行くときに渋滞をしていたところなのでよく覚えています。

戸塚⑧

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで来ると景色がきれいです。

トイレに行きたかったのですがコンビニがなかなかありません。

戸塚⓽ 戸塚⑩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく行くと道路の両側にセブンイレブンが!

温かいお茶と豆大福を購入。

外でいただいていると、飲み終えたチューハイの空き缶やコーヒーカップが置いてありました。

中に入ればゴミ箱があるのにそこに持っていくことすらできない程度が低い人間がいるのです。

私は一日一回は落ちているゴミを拾う事にしているのでこれらを店の中のゴミ箱に持っていきました。

戸塚⑪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大谷翔平選手がグラウンドのゴミを拾う事が有名です、彼は運を拾っていると言っています。

私もそれにならって真似をしていますが、それ以外にも目的があり。

ゴミを拾う事をブログに載せる事により、私がまともな人間だと知らしめられるとても良い方法なのです。※スーツさんの渋谷ハロウィンのゴミ拾い動画を見て真似をしました。

実際に以前、院の周りのゴミ拾いをしていたら建築業をしている先輩が通りかかって見ていたらしく「ゴミ拾い偉いね」とLINEをくれた事があります。

こういう事を書いているとゴミをその辺に捨てる人間に逆恨みされる危険はありますが、そういうタイプの人間はこんな長文読む能力がないので割と安心して生活しております。

なのでゴミ拾いは金もかからず自分をよく見せることができるので皆さまも是非、一日一拾をおすすめします。

ただし、ある政治家が多くの市民の前でお祭りなどのイベントでこれ見よがしにゴミ拾いをしていたとかなり反感を買っていた事がありますが…

マジでセンスがないと思いましたね。こういうのはさりげなくやるのがコツです、偽善をするのもセンスが要るのです。

そんなことを考えていると神奈川県のドライバーにはお馴染みの渋滞スポット、原宿の交差点があります。

戸塚⑫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここのマクドナルドは昔からありますね。

大学時代にこの近くにグラウンドがある某大学と練習試合をしていたのですが。

大学4年時、左ひざの靭帯を痛めた事を思い出しました。

近くには横浜ドリームランドという遊園地があったのですが閉園になり今は公園や墓地になっているとのこと。

一号線からもエンパイヤホテル跡が見えますが今は薬科大学の図書館になっているそうです。

私が大学生だった20年以上前にはドリームランド線という大船駅とドリームランドを結んだ一年弱しか運航できなかった欠陥モノレールの高架橋跡がどこかにあったような気がしたのですがもう撤去されてしまっているのかもしれません。

今や世界に誇る日本の公共交通機関も昭和40年前後では技術力も安全に対する考え方もレベルが低かったようです。

鉄道好きとしては一度乗ってみたかった。

戸塚⑬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大磯宿まで五里というなかなか粋な看板。街道ウォークをしていると即座に約20kmということがわかります。

一里=3.93キロ、約4キロと覚えると良いと思います。※現代ではほとんど役にたちませんが。

井上かまぼこ店さんの看板なんですね。

戸塚⑭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立場跡、間の宿だったんですね。現在は何かの店舗があるのみで、江戸時代っぽいものはありません。

しかし車の往来がすごいです。

戸塚⑮

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スーツさんが東海道自転車の旅で立ち寄った家系ラーメンのお店。

おなかがすいてなかったのでスルー、店構えからするとセントラルキッチン系ですかね?

お店で炊いていたら申し訳ございません。

戸塚⑯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国道1号線から分岐して藤沢駅方面へ行くと鉄砲宿という場所にでました。

鉄砲宿の由来は色々あるそうですが、この近くの影取池に人の影を食べてしまう大蛇がいたそうで影が食べられると数日のうちに死んでしまうので、その大蛇を倒すために鉄砲名人に頼み撃ち殺してもらった事が由来という創作っぽい説。鉄砲の練習場があったという説。あんまりはっきりしたことはわかっていないようです。

この辺りは歩道もしっかりしており、木もたくさん植えてあります。

戸塚⑰

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和35年あたりに全国的に松くい虫が大量発生したことにより当時の松はあまり残っていないようです。

戸塚⑱ 戸塚⑲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この先の下り坂は遊行寺坂になります。

おそらく当時の街道はもっと高いところにあったのだと思われます。

今の道路はくり抜いてつくったのでしょう。

戸塚⑳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一里塚跡 遠くに藤沢駅周辺のマンション群が見えます。

右手には坂の名前にもなっている遊行寺清浄光寺があります。近世では遊行寺の呼び名が一般的になりましたが本当は清浄光寺というそうです。

藤沢① 藤沢②

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸側の見附

東海道6番目の宿場町、藤沢宿に到着です。

藤沢橋の手前を右折すると、ふじさわ宿交流館という施設があり。

高札場がありますね。

トイレを拝借するついでに中を見学させてもらいました。

藤沢③

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文教大学のゼミが藤沢宿を3DCGで再現したものがPCで自由に操作できるようになっており少し遊ばせてもらいまいした。

プレイステーションのコントローラーのようなパッドがあるのでとても操作しやすかったです。

町人も歩いているし、プレイステーションのゲーム龍が如く見参を思い出しました。

文教大学は埼玉の北越谷にキャンパスがありますがそこの学生さん達なんでしょうか?学生がこんな素晴らしいソフトを作れるとはビックリです。

藤沢⑤ 藤沢④

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

藤沢市は人口約44万人を有する自治体でこんな施設を作れるという事は財政が豊かなんでしょうね。

現在12時、もっと色々見たかったですが時間がないので少し休憩して先を急ぎます。

藤沢⑥ 藤沢⑦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥に見えるのが遊行寺。

藤沢⑧

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左に行くと東海道に戻ります。遊行寺橋、浮世絵に描いてある橋ですね。遠くに見えるのが江の島だそうです、現在はビルに阻まれここからは見ることができません。

藤沢⓽藤沢⑩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

藤沢は都市化が進んでおりますが、宿場町の歴史を残そうとこのような施設を作ってくださっているので大変ありがたかったです。

ここから私的にはとても難所であった平塚宿までの道のりに続きます。

次の記事 東海道を歩く⑦ 3日目 藤沢宿~平塚宿~大磯宿

 


テーマ: 東海道五十三次の旅

前の記事 東海道を歩く④ 2日目 神奈川宿~程ヶ谷宿

 

保土ヶ谷宿~戸塚宿のルート

地図戸塚

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天王町駅を南口に出ると駅前広場があります。

ここに旧帷子橋跡とあります、ちょうど浮世絵に描かれた辺りだそうですが、川もないし全然面影がありません。

一生懸命雰囲気は出そうとしてレプリカが置いてあります。

帷子川は流れが変わり現在はモスバーガーがあったそばの北口側に流れています。江戸方の見附かと思いきや、現在の帷子川の手前であったそうで全然気が付きませんでした。

既に程ヶ谷宿に入っていたそうです。程ヶ谷は現在、保土ヶ谷と書きますが明治時代は程ヶ谷と書いたそうです。ですがなんとそれ以前の江戸時代は保土ヶ谷と書いたとのこと。

ですのでここからは変換も面倒なので江戸時代に合わせて保土ヶ谷と書きます。知らなかった…

保土ヶ谷宿① 保土ヶ谷宿東海道五十三次之内 保土ヶ谷 新町橋 – 歌川広重 – 日本画 – 名画 – Canon Creative Park

 

 

 

 

 

 

 

東海道とは全然関係ない話なのですが、神奈川県に入ってずっと公園等に公衆トイレが全くないのに気がつきました。

都内は本陣跡の公園などに公衆トイレが設置されていたのですが…神奈川はありません、あるのかもしれませんが私が歩いた道のりではこの先もありませんでした。

横浜出身八潮在住の方にそれを聞くと「あーそういえばないですね、恐らく神奈川って中高生が公園にたまるという文化が埼玉より強い気がします」とおっしゃっていました。

他の地域でも子供たちが商業施設や公園でたむろするのはごくごく一般的な光景だと思うのですが…

確かにヤンキー漫画の舞台になることも多い神奈川県、人口日本一の自治体横浜市なので財政的に厳しいというのは考えられないので、公衆トイレがあると中でいらんことをする輩がいるのかもしれません。なので神奈川県内では※これを書いている段階では大磯までしか行ってませんが…

この先もトイレには悩まされることになります、旧街道沿いは意外にもコンビニもあまりないので辛い時もありました。

日本では市街地や公共の場所での立小便は軽犯罪法違反になる恐れもありますし、昭和の時代のおじさんのようにところかまわず立小便をしてそれを目撃してしまった方を不快にさせたくないのでそれはやめようと思います。

ここからJR保土ヶ谷駅までは都市化されておりほとんど痕跡はありません保土ヶ谷駅前ロータリーに行く道路と商店街の旧道に分かれる道を行くと問屋場跡や高札場跡の碑があります。

保土ヶ谷宿② 保土ヶ谷宿③

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それより先に行くと、東海道本線の踏切があります。

保土ヶ谷宿④

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それを渡ると国道1号線とぶつかります。

道路の向こうには偉い人たちが宿泊する本陣跡がありました、ずいぶん古い建物です使用しているのかわかりませんが保全はされているようです。宿場町というのは入り口と出口が鍵状に曲がり角になっている事が多いです。これは敵が攻めてきた時に宿場の中が簡単に見渡せないようにしているのでこうなっているみたいですね。ここも右側に曲がっております。

保土ヶ谷宿⑤

 

 

 

 

 

 

 

 

歩いていくと右側の線路の向こうに素敵なお寺があります。大仙寺というそうです、寄り道したかったですが足も痛いし時間もないのでスルー

保土ヶ谷宿⑥

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてトボトボ歩いていると道路に停まっていたトラックの後ろにいた某大手宅配会社の中年女性ドライバーに声をかけられました。

「すみません、この台車の荷物重いので車に載せるのを手伝ってもらえませんか」と言われ…

いやいや仕事なんだからどこの誰かもわからない人間にお客さんの大事な配送品を持たせちゃダメだろ、もし俺が落としたら補償の問題とかどうすんだよという思いがよぎり無視していこうとしましたが…

まてよ、江戸時代の人は今の時代より不便だったけどそんなの関係なく助け合って生きていたんだよなと思い直し、巨大な荷物をトラックの荷台に載せるのを手伝いました。

もちろん女性ドライバーには大変感謝してもらいましたが、「いえいえとんでもございません、これから京都まで歩いていくんです」と言ったらせっかく良い事をしたのにこいつ頭がおかしいんじゃないかと台無しになりそうなので、「頑張ってくださいね」とだけ言っておきました。

歩きながら私は現代の決まりとか価値観にとらわれすぎて、損得抜きにした助け合いの精神が無くなっていたのだと自覚しました。賽銭箱に小銭入れたら良い事があるみたいな見返りを求めたセコイ考えはあまり持たないようにしようと思いました。今朝、鶴見の神社で旅の安全を祈願してしまいましたが…旅をさせていただきありがとうございますという気持ちのが良いのかと禅問答のように考えていると、茶屋本陣跡の表記がありました。今は一般の住宅になっているので写真は撮らず。大きな宿場には2~3個本陣があることがありますね。

保土ヶ谷宿⑦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先に行くと左手に一里塚が…

この辺りが京側の見附なのかもしれません。裏側には崖にへばりつくようにマンションや住宅が建っています。個人的にはこの光景が横浜らしい光景だなあと思います。

保土ヶ谷宿⑧

 

 

 

 

 

 

 

 

いちょうがきれいです、落ち葉の処理が大変なんですけどね… 養護学校の先生らしき人が子供を連れて歩いていました、大変な仕事ですよね。

この先は二股に分かれ歩道がない旧道に入ります、道も狭いし車も通るし歩くには嫌な区間です。

東海道線によって分断されたお寺があり、歩道橋の工事をしていました。これまではお寺内の踏切で行き来していたようです。往来が激しく工事中でもあったので写真は撮れず。

東海道線にはこのように分断してしまったお寺などが他にもあり静岡にも有名な寺院があるのでそこに行くのが楽しみです。

保土ヶ谷宿⓽

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっと権太坂の入り口に到着、セブンイレブンがあったのでトイレを借りてお茶を購入。天王町駅のモスバーガーはトイレが故障中だったので神奈川宿の入り口の公共施設からここまでやっとトイレを使うことができました。この時点で13:30過ぎ

保土ヶ谷宿⑩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東海道の見どころの一つ権太坂です。急な坂道沿いにはマンションや住宅が並びます。

保土ヶ谷宿⑪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なかなか急な坂ですが、ここまで16kmほど歩いてきてあることに気がつきました。

上っていてもそんなに辛くないのです、もちろん楽ということはないんですが平地を歩いている時と使う筋肉が違うので平地を歩いていた時に痛んだ部位が痛まなくなったりするわけです。

当たり前のことなのかもしれませんがこれは発見でした。

保土ヶ谷⑫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

保土ヶ谷バイパス?だと思いますがその道路を超えます。

おそらく山を削って道路にしたのだと思います、橋自体も傾斜があります。

保土ヶ谷⑬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋の下に車がビュンビュン飛ばしています。

遠くにランドマークタワーが見えます、昔は海が見えて綺麗だったんでしょうね。京都からここに来るともうすぐ江戸だという気持ちになったのだそうです。

保土ヶ谷⑮

 

 

 

 

 

 

 

 

橋を渡ると工事現場の脇に石碑がありました。

江戸から西へ向かう人がはじめて経験するキツイ登り坂でしたと記載してあります。

ちなみに権太坂は律令国制において武蔵の国と相模の国の境界であったとのこと。

ついに相模の国に入ることができたわけです。

保土ヶ谷⑯

 

 

 

 

 

 

 

 

坂道の上には高校や小学校、支援学校などがあります。

学校は土地がないとできないので、割と遅くに開発された地域なのだと思います。高校の創立が1968年末期という事なので高度経済成長期で人口が増加していたのだと思われます。

一般的に山の手というとお金持ちが住む地域という印象ですが、横浜周辺に関していうと港の近くの高台を除いては土地が少なくて仕方ないから丘の上に建てたという感じがしますね。先ほどの山にへばりついたマンションや住宅もそうですね。

実際この辺の住宅は庶民的な作りのものが多かったです。

昭和初期はこの辺りで林間学校をやっていたと写真付きで紹介されています。

保土ヶ谷⑰

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

権太坂の由来には二つあって

通りかかった旅人が歩いていた地元の老人に向かって「この坂は何という名前だい?」と聞いたところ耳が悪い老人は自分の名前を聞かれたと思い「へぇ権太でございますよ」と答えたのがきっかけという説と、権左衛門という人が代官の指図でこの坂を作ったので「権左坂」と名付けたがいつのまにか「権太坂」に代わっていたという説があります。

私は漫画藤枝梅安で紹介されていた老人の勘違い説が好きです(笑)

保土ヶ谷⑱

 

 

 

 

 

 

 

 

 

住宅街を歩いていくと境木小学校前という小さいバスロータリーがあり、そこの消防団の詰め所に浮世絵が書いてありました。

女子高生がそばにいたので盗撮と思われないか心配でしたが杞憂に終わりました。写真を撮る時には人が写りこまないように配慮しなければなりません。

これは鎌倉山方面の絵だそうです。

保土ヶ谷⑲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからはバス通りで往来があるので歩道があります。

歩道が広くなっているところがありここが境木立場跡、間の宿であったんですね。この先は下りで焼餅坂、少し上って品濃坂と続きます。

江戸から来ても京から来てもこの辺りが頂上なので一息いれる場所が必要だったのでしょう。

目の前には境木地蔵尊があります。

保土ヶ谷宿⑳

 

 

 

 

 

 

 

 

焼餅坂、昔はここで旅人に焼き餅を売っていたそうです。

保土ヶ谷宿㉑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

保土ヶ谷宿㉒

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

住宅街を上って下ると品濃坂一里塚がありました。神奈川県内に両側に一里塚が残る場所はここのみらしいです。

確かにこんもりとした山が残っています。

保土ヶ谷宿㉓保土ヶ谷宿㉔

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一里塚を過ぎたところに30代か40代くらいの男性がケアセンターの目の前の道の真ん中に痰を吐いていました。

見ていて気持ちが良いものではないです、人に見えないところで側溝などに吐くなりすればよいのに。

客観的に自分を見れない人間にはならないようにしようと思いました。

右側にはJR東戸塚周辺の壮大なマンション群が見えます。

川崎からここまでちょうど20キロほど、時間は14時19分。前回あるいた日本橋ー川崎間と同じ距離ですが疲労や痛みが前回に比べて楽です。

ここから帰るパターンも考えていましたが、夜の会合にもまだ間に合いそうなのでウォーキングを続行しました。

人間の順応する力はすごい!

保土ヶ谷宿㉕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先に行くと果樹園があったり、のどかな風景です。

品濃坂にぶつかります。ここは歩道の階段だけです。旧東海道の看板がありがたい。

それにしても落ち葉がすごいです。

保土ヶ谷宿㉖

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここも先ほどの保土ヶ谷バイパスと同じように山を削って作られたと思われる環状2号線があります。

ここからほど近い丸山台というところにある高校ラグビー部の先輩が営む家系ラーメン店はま家に行く際に通ったことがあります。

立ち寄りたいところですが、徒歩で寄り道はかなりきついので断念。店舗案内|横浜市港南区丸山台 横浜ラーメン はま家 (ramen-hamaya.jp)

保土ヶ谷宿㉗

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからの道は過酷でした、風が強く砂煙が舞う住宅街を抜けるとバス通りにでます。

なんとも退屈だし疲労もでてきました。

足全体に痛みが出だしました、ただ部分的に痛いのではなく足裏、ふともも全体に痛かったのでバランスよく使えるようになってきているのだと実感できました。

夕方の渋滞が始まってきておりトラックなども通ります。一号線に合流し歩道をひたすら歩きます、特に史跡などはなく退屈な道のりです。

巨大なヤマザキパンの工場があったり、名だたる日本のものつくりの企業の工場が並びます。

港に近く、かつては広大な土地があったからかと想像しながら歩いているとやっと一号線と戸塚駅に向かう旧東海道の分岐に差し掛かりました。

旧道は住宅街を抜けてきます。そうするとレンガ作りの立派な建物が…

特に看板等はありませんでしたが、後から調べてみるとここは明治時代からある有名な鎌倉ハムの最初の貯蔵庫だったそうです。斎藤家という家が営んでいるんですね、かつては隣に広大な屋敷があったそうです。

なんでもホテルとハムの為の牧場経営を行っていたイギリス人と恋仲になったかねさんという方の奉公先が斎藤家だったと。そういうつながりから鎌倉ハムが誕生したそうです。

何故戸塚なのに鎌倉かというとかつてはこの辺りは鎌倉郡という地名だったためだそうです現在は横浜市でありますが。

この時代に異国の方と恋愛して結婚するってすごいですよね、港町に近い戸塚ならではのお話です。

しかもその方のおかげで紆余曲折を経て今も鎌倉ハムとして会社があるのだから、なんともロマンを感じます。

創業130年超の老舗の味、今度食べてみようと思いました。

保土ヶ谷宿㉘

 

 

 

 

 

 

 

 

川にぶつかり再度国道1号線と合流、五太夫橋を渡ります。

この辺りでは足をつくと痛いので歩き方がジョギングのようになってます。立脚相の時間をなるべく減らしたいという感じでしょうか。

保土ヶ谷宿㉙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先にやっと戸塚宿江戸側の見附に到着、東海道5番目の宿場町になります。

現在は大きいイオンのショッピングセンターがあります、ここも工場跡だったのでしょうかね。

工場跡地は大抵ショッピングモールかマンションになることが多い気がします。※ストリートビューで確認するとかつてここはダイエーやファミリーレストランフォルクスであったようです(笑)それ以前はわかりませんが…

保土ヶ谷宿㉚

 

 

 

 

 

 

 

 

柏尾川に架かる吉田大橋を渡ります、浮世絵はこの辺りでしょうか。

ちなみに浮世絵の写真はJR戸塚駅に展示されていたもの。

保土ヶ谷宿㉛ 保土ヶ谷宿㉜

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからしばらく歩くと15時26分JR戸塚駅に到着

この場所はかつて踏切があった場所でなんと2015年まで存在したそうです、割と最近ですね。

箱根駅伝第30回大会まではここがルートだったので昭和24年くらいまでは電車に待たされることになってしまったランナーがいたとか…

この日はここで終了、東海道線湘南新宿ラインに乗ってしまいグリーンアテンダントさんに武蔵小杉で横須賀線に乗り換えれば品川に行けますよ~と教えていただいたので無事リカバリーして17時には八潮に帰ってくることができました。

保土ヶ谷宿㉝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年11月28日 川崎宿~神奈川宿~保土ヶ谷宿~戸塚宿

川崎駅~戸塚駅までの移動距離27.82km 7時間57分

当日の総距離28.23km歩数41,824歩

 

電車賃 4,014円 グリーン券含む

コーヒー代 280円

お土産海苔 605円

今川焼 120円

昼食代モスバーガー 1,290円

お茶代 138円

合計 6,447円 (総計11,353円)

 

備忘録としてどれくらいお金がかかるのか載せています(笑)

これから電車賃もかさむと思うので時間と費用のバランスを考えなるべく節約しつつ楽しみたいと思います。

次回は年内最後の行程となります。

 

次の記事 東海道を歩く⑥ 3日目 戸塚宿~藤沢宿

 

 

 

 

 

 

 

 


テーマ: 東海道五十三次の旅

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東神奈川駅を左手に先に進むと、松並木があります。旧東海道にはかつて松並木が植えられているところが多かったらしくそれを再現しているようです。

とても美しいですね。

神奈川宿②

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左手には神奈川地区センターという図書室、会議室、体育館がある公共施設がありその一角に高札場※おそらくレプリカがあります。

高札場は幕府が掟や法度、現在でいう法律などを示していたそうです。「徒党禁止」農民一揆や武士の徒党いわゆるクーデターのようなものでしょうか?それらも禁止され治安維持に努めていたんですね。川崎宿や品川宿の公定運賃が書かれていたりもしたそうです、何の運賃かはよくわかりませんが恐らく飛脚に託す手紙や籠代でしょうかね。外国人が入ってきていたので切支丹禁制(キリスト教)もあったそうです。日本の現代の価値観で見ると、信仰の自由だろ!と思いそうですが、キリスト教やイスラム教は他の神を認めない一神教なので戦いが起こりやすいんですよね。現在も宗教戦争が発端になった争いが絶えません。日本人は神道がベースにあるのでいたる所に神様がいるというのが根底にあるため、様々な宗教を受け入れる土壌があるのですが一神教の神と神道の神を同列に扱ってしまうと危険だと常々思っております。それを江戸時代の人が恐れて禁制にしてたと考えるとかなり頭が良い見識がある人が幕府にいたのだと感心させられます。ただよくわかんないから禁止にしてた可能性もありますが。なんにせよ日本の神様をgodと訳してしまうのは誤りなのだと小林よしのり先生の本に書いてあったことを思い出しました。

神奈川宿③ 神奈川宿④

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先に進むと外国人宣教者宿舎跡の碑があったり、左側には石井本陣があった滝の川公園がありそこに明治天皇行在所の積というのがあります。川崎の六郷の渡しのところにもありましたが明治天皇が京都から東京に向かう際にこの石井本陣に宿泊したそうです。明治天皇が訪れた場所を聖蹟として残す動きは昭和に入って各地で起こったそうです。聖蹟とはそういう意味だったんですね。京王線にも聖蹟桜ヶ丘駅という名前の駅もあります。土橋を渡る際に強風が吹き始め落ち葉が舞っておりました、それをみた高齢の男性が私に声をかけてきましたが何を言ってるのかわからなかったのでとりあえず「すごい風ですね」と笑顔で答えておきました。

神奈川宿⑤

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土橋を渡ると左手にもう一つの本陣跡、右手にはイギリス領事館が置かれた浄瀧寺があります。開港すると外国人が多数訪れるようになったのでとりあえずお寺を領事館として使ってもらうことが多かったそうです。生麦事件の時は生き残ったイギリス人3人はこのイギリス領事館ではなくこの先にあるアメリカ領事館に逃げ込んだそうですが何故手前の自国の領事館に行かなかったのか謎です。

この辺りは住宅街ですが坂道が増えてきます。旧街道を須崎大神前を抜けます。

神奈川宿⑥

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は11時半、おいしそうな洋食屋さんがランチを始めておりましたが今川焼を食べたのであまりおなかが空いてなかったので先を急ぎます。

旧街道を右に曲がり坂道を上ると京急線神奈川駅に到着しました。

神奈川駅から線路を挟んで向こう側に見えるのが本覚寺かつてアメリカ領事館があったお寺です。

下の話で申し訳ないですがかつて外国人はどうやって用を足してたんですかね、日本式の汲み取り式の厠(トイレ)にしゃがんで行っていたのでしょうか?

神奈川宿⑦

 

 

 

 

 

 

 

 

橋の反対側から見た神奈川駅、ちょっと和風で江戸時代っぽくしてくれているのだと思います。

鉄道は坂道に弱いので丘を切り開いて鉄道を通したのだという事がわかります、かつての神奈川駅は現在の場所ではなく今の横浜駅よりのところにあったそうです。

神奈川宿⑧

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから少し横浜駅の方に下り駅のかなり手前を右に曲がると旧東海道にでます。

神奈川宿⓽神奈川宿⑩.東海道五十三次之内 神奈川 台之景 – 歌川広重 – 日本画 – 名画 – Canon Creative Parkより出典

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浮世絵はこの辺りだと思われます、現代では写真左側の奥は横浜駅があります。

海を埋め立てて線路を通したんですね、ちなみに外国人居留地は現在横浜スタジアムの近くの関内にあったそうです。

この手前にはかつて東急東横線が通っていた線路跡が遊歩道として整備されておりました。

神奈川宿⑪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金刀比羅神社と一里塚の跡があったり

神奈川宿⑫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

看板の写真ばかりで申し訳ありません、もっと神社など写真を撮ればよかった。

こちらが横浜駅方面の写真

神奈川宿⑬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは料亭滝川さん、昭和22年開業なので割と新しめ。まあ普通に考えたら老舗なんですが…街道ウォークをしているとか感覚がおかしくなります。

神奈川宿⑭

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこちらが神奈川宿当時から続く料亭田中家さん、なんと創業文久三年1863年高杉晋作やタウンゼントハリスも訪れたとか…

ハリスって名前は聞いたことがありますが私は良く知りませんでした、なんでも初代の駐日アメリカ領事だったそうな。

神奈川宿⑮

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこちらはには竜馬の妻であったおりょうが働いていたこともあったとか。

勝海舟の紹介で働き始めたそうです。

神奈川宿⑯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月琴がひけて英語が話せたので外国人の接待に重宝されていたと書いてあります。

このおりょう竜馬の死後、竜馬の土佐の実家に身を寄せるも折り合いが悪く一年ほどで京に戻りそのあと関東に来て酒に溺れて妾になったりしながら横須賀で寂しい生涯を終えたそうです。

京都の医師の家に生まれたので育ちは良かったようで楽器を弾いたり、茶道、生け花などに親しんだそうですが家事等が全然できなかったと…父が安政の大獄で捉えられてしまいそれから旅館で働きだしたとのことなので、まあ田舎の家に入っても邪魔者扱いされるでしょうし、京の都会に生まれた本人も田舎の生活なんて嫌だったでしょうね。

なのでこちらには横須賀に移る前に働いてたと思われます。

神奈川宿⑰

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竜馬については司馬遼太郎の小説「竜馬がいく」のイメージが一般的になっております。私は武田鉄矢さん原作の漫画「おーい竜馬」を読んだのですごい人だなあと思っていたのですが、実際は剣術も微妙だし日本史にも大した影響は与えていない言う人もいたりネットでは様々な議論がなされております。

大河ドラマや小説等、創作の部分はあるのかもしれません。でも高知県では空港の名前になったり駅前には巨大な銅像があったり地元でも愛されている感じはしますね。

私は幕末では仲間に嫌われながらも汚れ役を買って未来の日本の為に働いた長州の桂小五郎や薩摩の大久保利通のが好きです。

歴史は勝者が作るので彼らも実際どういう人間だったかは厳密にはその当時に戻ってみないとわかりませんね(笑)立場によっても見方も変わりますし。

本当に詳しい方から見たら「それは違う!」と怒られてしまうかもしれませんので、あくまでも個人の戯言だと思ってください。

神奈川宿⑱

 

 

 

 

 

 

 

 

その先には神奈川台関門跡を通過するとここから下り坂になります。

山側には素敵な住宅街と高そうなマンションが並びます。豪邸もありましたね~

神奈川宿⑲

 

 

 

 

 

 

 

 

歩いていくと旧街道から環状一号線に合流、この辺りは軽井沢という地名なんですね。軽井沢というと長野県の避暑地を思い浮かべますが横浜にも軽井沢があったとは。

調べてみると長野の軽井沢とは関係がないが、目の前の埋め立て地に水が流れてしまうので沢が枯れてしまうので枯れ沢と呼ばれそれをもじって軽井沢と名付けた説が濃厚みたいです。※諸説あるそうです。

環状一号線の歩道橋からランドマークタワーが見えます、歩道橋を渡ると旧東海道が復活。右側の崖上に浅間神社があるそうです。

神奈川宿⑳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくなんの面白みもない住宅街を歩きます。※地元の方すみません

神奈川宿㉑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく行くと追分があります。分かれ道ですね、右側に行くと八王子街道です。神奈川往還ともいわれるそうです。

現在の大和市、相模原市を経て八王子市までの道です。

八王子は養蚕業が盛んだったので絹が港まで運ばれていたんでしょうねぇ

神奈川宿㉒

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先には松原商店街があります、ちょうどお昼時結構にぎわっています。こんなに賑わっている商店街令和の時代にそんなにないと思います。

商店街ソングがゆる~く流れていて良い感じです。

神奈川宿㉓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

買い物客の間を縫って歩いていくと相鉄線天王町駅に到着。

スマホの充電もしたかったのでモスバーガーでランチ、堀江貴文さんが「和牛の安売りやめてほしい」と訴えている和牛バーガーセットを注文。

堀江さんのおかげで良い宣伝になっていると思います(笑)堀江さんは和牛のブランドを世界に売り出すために真剣に頑張っている方なので笑ってはいけませんが。

神奈川宿㉔

 

 

 

 

 

 

 

 

ハンバーガーはおいしかったです。充電もあったので30分ほどかけてゆっくり食べました、令和の旅は充電が大切です。

念のため、アンカーのモバイルバッテリーは携帯しています。

YouTubeやってよと言ってくださる方もいるのですが、カメラのバッテリー等持ちながら歩くのは結構大変なんですよね。

編集も大変なのでブログでご容赦ください。

食べ終わり駅の高架を抜けると東海道第4番目の宿場町程ヶ谷宿に到着です。

 

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テーマ: 東海道五十三次の旅

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ほぼ一か月ぶりに東海道の旅を再開。

実は先月11月は勉強会の為、上方(京都)に2度赴きました(笑)

飛行機と新幹線で行きましたが、3時間もかからず到着してしまうという現代の交通技術の素晴らしさを以前よりも実感する事ができました。

京都駅は大きいスーツケースを持った外国人やキャリーケースを無造作に転がす日本人観光客で溢れていました、観光で潤うのは結構ですが住民の方々の暮らしが脅かされているそうでオーバーツーリズム対策も本腰を入れないと住民にとっても観光客にとっても良くない結果になってしまうのではと思いました。

kawasaki地図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回の旅は川崎宿~相模の国戸塚宿を目指します。地図は川崎駅から横浜市生麦付近までのもの

朝、電車を乗り継ぎ8時30分過ぎにJR川崎駅に到着、もうすでに通勤客で溢れており普段満員電車とは無縁の生活を送っている私としてはなかなか新鮮でした。

一応サラリーマンをしていた頃もあるのでその頃は毎日乗っていたんですけどね。

川崎駅に着くと、通勤のサラリーマンに紛れて私立小学校と思われる制服を着た子供たちがチラホラ、中には活字の本を読んでいる子供もいて驚きました。

将来の日本を担う優秀な頭脳達です。

kawasakieki2 川崎駅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから旧東海道を鶴見方面に歩きます。

居酒屋さん等飲食店が多いですね。

川崎①

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく歩くと飲食店も少なくなり。

京急線の線路の脇に松尾芭蕉の石碑がありました。

松尾芭蕉が伊賀へ旅発つ時に、弟子との別れを惜しんで川崎宿で『麦の穂をたよりにつかむ別れかな』(風にも揺れる頼りない麦の穂を頼って歩く旅立ちの別れであるよ)と詠んだそうです。

この年に大阪で辞世の句を残してこの世を去ったことから芭蕉に関東で最後に詠まれた句となったとのこと。

松尾芭蕉っていつもお金が無く、方々の金持ちに今でいうスポンサーについてもらって生活し旅をしていたそうですね。

私には俳句等の素養がないので何が楽しいのか良くわかりませんが、娯楽が少なかった昔はお金を払ってでもそういう才能に援助するのはある種のステイタスであったのかもしれません。

亡くなった後、芭蕉が神格化された事を考えるとうちの敷地の草庵で暮らしていたと自慢したり、価値がある書を保有できたことを考えるとそのスポンサー達も元をとったのだと仕掛け人藤枝梅安で梅安先生も言っておりました。

川崎②

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都内ではあまり見なくなった踏切

八丁畷はっちょうなわて駅に到着、ここは京急線とJR南武線の支線の乗換駅だそうで珍しく乗り換えの際は他社線にも関わらず改札がないのだそうです。

京浜工業地帯に乗り入れる南武線の支線や後で出てくる鶴見線は一度乗ってみたい路線ではあります。

東芝の敷地内の為、一般人は降りられない海芝浦駅なんかもいずれ行ってみたいと思います。

八丁畷①

 

 

 

 

 

 

 

 

旧東海道はこの踏切を渡っていきます。

駅の傍らには無縁塚がありました。川崎宿は多摩川の洪水をはじめ大火や飢饉、疫病などたくさんの死者が出たこともあり、身元がわからない遺体は宿場の京側のはずれであるこの辺りに埋められたそうです。昔は人家などもそんなになかったエリアなんでしょうね。今は立派なマンション等も建ち品川、横浜と都心へのアクセスも良い事から人がたくさん住んでいます。

ただ、戦後になっても道路工事などをやると人骨が出てくることもあったそうです…

八丁畷② 八丁畷③

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく歩くと右側に熊野神社があります、旅の安全を祈願しお参りしてきました。

市場銀座商店街がありますが昔ほどの賑わいはないそうです。鶴見川を渡るまでは川崎市と思い込んでいましたが、もうすでに横浜市鶴見区に入っていたようです。

鶴見市場とは言いますが調べても市場に関する情報はなく、今は現存していないのかと思いました。

駅の反対側の国道沿いには箱根駅伝で有名な鶴見中継所があります。第一走者は日本橋からここまで1時間で来てしまうそうです。

鶴見市場①

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先の左側に一里塚がありました。

一里塚とは街道沿いにある目印、一里約3.927kmごとに土盛りした塚を設けて旅人に目印にしたり運賃や送料の基準としたそうです。

昔はこの辺りは市場村と呼んだんですね。

それにしても旧街道あるあるなのですが、道幅が狭いのは良いのですが歩道も無い道路に車の往来がありそこに自転車も来るなど現代の東海道の旅人を苦しめます。

品川宿のようにほぼ歩行者天国のようになっていると楽なのですが…

鶴見市場② 鶴見市場③

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこからようやく鶴見川橋に到着。

橋から見える鶴達を見て徳川家康が鶴見橋と名付けたんだとか…

鶴見という地名もこの橋の名前が由来のようです。

鶴見川は地図で見てもわかるようにかなり湾曲しており、度々洪水を起こす暴れ川として昔から有名でした。

この上流には横浜国際競技場(日産スタジアム)があり、2019年10月ラグビーワールドカップが開催されていた際に台風が直撃。

このスタジアムを含めた周辺は洪水を防ぐための貯水池としての設備でもあったため、グループリーグのフランス対イングランド戦は中止。

翌日の日本対スコットランド戦も開催が危ぶまれた話もありました。

中止引き分け扱いでは決勝トーナメント進出が出来なかったスコットランドのヘッドコーチは「日本が逃げた」等暴言を連発。

関係者たちの努力でスタジアムを復旧させ開催をこぎつけ、見事日本が勝利した事を思い出しました。

あれから4年今年はフランスでワールドカップが開催され、月日の流れる事がなんと早い事かと思いますね。

鶴見①

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここに鶴達がいたんですね~

今は東京湾の京浜工業地帯に遮られ海は見えません。

鶴見

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鶴見③

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋を渡りしばらく進むと京急線の鶴見駅が正面に見えます。※写真はJR鶴見駅

旧東海道は鉄道や国道に分断されているところが多く高架をくぐって線路の反対側にでます。

鶴見は川崎宿と神奈川宿の間の宿だったそうで、当時からそこそこ賑わっていたみたいです。

私事ですが、私の祖父は山形から上京し現在も京浜工業地帯にある日本鋼管(現JFEスチール)の社員であったため、父は日本鋼管の社宅があるこの鶴見で育ちました。

私が生まれた頃は祖父も退職し瀬谷区の方に戸建てを購入し引っ越していたので、私が幼い頃に鶴見を訪れた事はありませんが…

亡き父がここで育ったのだと色々思いを馳せながら歩くことができました。

鶴見④

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鶴見⑤

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鶴見⑥

 

 

 

 

 

 

 

 

京急鶴見駅の反対にでると

あなたのお店銀次郎というお店が…サラリーマン金太郎で有名な漫画家本宮ひろ志さんの絵でしょうか?

調べてみると江戸川区の小岩や世田谷の池ノ上駅のそばにも同名のお店があるようでチェーン店かフランチャイズなのかもしれません。

実は本宮ひろ志さんの甥っ子は私の高校の同級生、確か新小岩出身だったのでもしかしたら縁があってイラストを提供したのかなと思いました。

その窓ガラスに田庄の焼きのり取り扱い店の文字が!

この田庄さんは大田区にある海苔問屋さんで、叔母の知り合いだった縁から我が家では年末になると毎年箱で注文しておりました。

子供の頃から食べているので何とも思っていませんでしたが…大人になってスーパーのプライベートブランドの海苔を食べてそのまずさに驚いたのと同時にこの海苔のありがたみを知ることができました。

子供のころから贅沢が当たり前になると不幸になるという戒めとなりました。

ということで思わず入店、お正月のお餅用に海苔を購入しました。

今はアマゾン等ECサイトでも購入できますので是非

寿司海苔問屋 株式会社 田庄 (tasho.co.jp)

鶴見⑦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから道なりに行くと国道15号線にぶつかります、旧道は国道の反対側となります。

少し行くと、鉄オタには有名な鶴見線、国道駅があります。

この国道駅北口は旧東海道に接しており、南口は国道15号線に接しています。1930年昭和5年に開業そこから大規模な改修工事等は行われていないため90年以上前の雰囲気が今も残されます。

こちらは旧東海道側、ならず者が落書きをしています。このような歴史的文化遺産とも言える建物に下手くそな落書きをする知能が低い輩がいるんですね。

鶴見⑧

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

港湾地域に行く支線のような役割の為、ここでの乗降は付近にお住いの方位のようで一日1000人ちょっとで横浜市にありながら無人駅だそうです。

suica等ICカードの読み取り機は設置してありました。

改札外にトイレがあったので拝借しましたがアンモニア臭がすごいです、恐らく掃除等は行っているのだと思いますが排水設備が古いのだと予想されます。

男性用の便器と和式便器がありました。無料で使っているので文句は言えません。

鶴見⑫

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらが国道側

こちらもならず者の落書きを消した跡があります。

そこに怒りを覚え、上に目をやると網の奥にボコボコ穴が開いております。

鶴見⓽

 

 

 

 

 

 

 

 

これは太平洋戦争末期のアメリカ軍機P51マスタングによる機銃掃射の跡だそうです。

鶴見⑩

 

 

 

 

 

 

 

 

川崎から横浜一帯は軍需工場があったのでそこをつなぐ鉄道を狙ったのだと思いますが、川崎や横浜の大空襲では沢山の人々が犠牲になりました。

今は同盟国ですが住宅もある旧街道沿いに機銃掃射をするとは…

大戦初期には無敵を誇ったゼロ戦もこのころにはP51に相当苦戦したようです、それでもエースパイロットが乗るゼロ戦がP51を撃墜することもあったとか。

そんな優秀な若者達が最前線に送られ空に散っていったと思うと無念でなりません。

鶴見⑪

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に昭和の時代にタイムスリップしたと見まごうばかりの光景です。

ここから旧東海道に戻り歩いていると、魚屋さんがチラホラあります。

生麦魚河岸通りと言うそうです、以前テレビで見たことがありましたがここだったとは。

ちゃんとした営業時間はないそうですが。8時半から10時くらいに行くと開いているそうです。

私が訪れたのは9時過ぎだったので営業しておりました。

今度車で訪れたいと思います。

家々間から先ほど渡った鶴見川が見えたので住居の間の細い通路を通って川沿いに出ると、先ほど行った国道駅を通る鶴見線の橋梁が見えました。

鶴見⑬

 

 

 

 

 

 

 

 

11月末の割に暖かく散歩している方もチラホラ。

川の向こう側に物凄く新しく大きな学校が、これは横浜市立横浜サイエンスフロンティア高校という高校だそうです。

少子化の中、新設校を作れるとはさすが日本一人口が多い自治体ですね。

今後AIやインターネット技術により今後文系学生の就職先は激減するでしょうし、これからの日本を担う理系の若者を育てるのは正しい選択と言えます。

税金の正しい使い方を見ることができました。

鶴見⑮

 

 

 

 

 

 

 

 

この辺りになると海も近いので川幅も広くなります。

鶴見⑭

 

 

 

 

 

 

 

 

道なりに歩き、旧東海道に戻ります。

そこには有名な生麦事件の発生現場があります。

現在は一般の住宅が建っているので、住民の方に悪いので看板だけ写真を撮りました。

本当に普通の住宅街です。

 

生麦①

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先の国道15号線との合流部にはキリンビールの工場があります。

その一角に生麦事件の碑が設置されております。

私が今まで聞いていた生麦事件は、大名行列の前を横切って無礼者!とぶった切られてしまった気の毒なイギリス人というイメージだったのですが…

よくよく調べてみるとそうではなかったようです。

1862年文久2年、江戸から京都へ向かう薩摩藩の大名行列が生麦村に差し掛かった頃、横浜の居留地から「日曜日だから川崎大師でも見に行くか~」と乗馬をしていた亡くなったリチャードソンをはじめとしたイギリス人四人が正面より近づいてきたそうです。

行列の先頭にいた藩士達は身振り手振りで下馬して脇によれと伝えていたそうですが、イギリス人たちは「脇を通れ」という意味だと思い込み道幅一杯の行列の中に入り込んでいってしまい、当時の薩摩藩主の父、島津久光が乗る籠のそばまで来てしまい供回りの藩士達が大慌てで静止しようとした際に行列の中で無理やり方向を変えようとしたイギリス人に危険を感じ抜刀し切りかかったそうな…

リチャードソンは深手を負いとどめを刺され死亡、3人はこの先に出てくる神奈川宿の当時のアメリカ領事館本覚寺に助けを求めて逃げ込んだそうです。

その後、これに怒ったイギリスが幕府に詰め寄り。幕府は賠償金を支払ったものの、イギリスは軍艦を薩摩に派遣、薩英戦争に突入したとのこと…

まあ殺されたリチャードソンは気の毒なんですが、自業自得ですよね。

仮に私がイギリスに行ってエリザベス女王の車列に近づいていき、エリザベス女王が乗っている車のすぐそばまで行ってしまったら銃殺されても仕方ないと思うんですよ。

その国に行ったらその国の文化やしきたりがあるわけで、外国人はそれを理解して倣わないといけないわけです。

当時は情報が少なかったと言う人もいると思うのですが、あの時代に外国にいって商いをしたり政治をする人はそれなりの人であったと思われるので相手国の文化を知らないのはおかしいんですよね。

イギリスに詰め寄られて賠償金払ってしまう幕府も弱腰に見えるし、薩英戦争でイギリス海軍相手に受けて立った薩摩の男気を感じます。

幕末の薩摩は、見方によっては政府を転覆させたテロリストとも言えるので簡単に評価はできませんがこの事件に関しての心情は理解できるかなと。

もちろん、在日イギリス人の中にもリチャードソンに非があるという方もいたり幕府も賠償金なんか払う必要ないという人もいたそうです。

アメリカなんかはこの件については日本に同情的であったり、リチャードソンの知人達は彼は向こう見ずで傲慢だったという証言もありますね。

いかに屈強な薩摩藩士達といえど、この頃の日本人は小柄で小さいでしょうし「このイエローモンキーが」と侮っていたのかなと想像してしまいます。

結果、薩英戦争で艦隊に損害を与えるほど戦った薩摩藩はイギリス軍事力を目の当たりにし、イギリスと手を組み攘夷から倒幕の流れにつながるわけです。

このような事から外交は主張すべきものは主張しなければいけないんだなと強く思いました。

生麦②

 

 

 

 

 

 

 

 

歩いているとこんな事を考えていたりします(笑)

国道との合流部にはキリンビールの工場があります、ここのレストランで食事をすると色々なビールが飲めるそうです。

ここ横浜はキリンビール発祥の地でもともとは横浜の山手にノルウェー系アメリカ人が設立したスプリングブルワリーという会社が起源だそうです。

山手というと港が見えるヶ丘公園とか外人墓地のあたりでしょうか、ここからは少し離れていますね。

生麦と麦がつく地名だからビールっぽいですが(笑)ここが発祥ではないようです。

見学等には予約が必要なようで時間が無いのでスルーしました。

ちなみにこの国道近くのガソリンスタンドには八潮二中ラグビー部の同級生が働いており、久しぶりに会うことができました。

突然訪れた事と川崎から歩いてきた事を驚かれました。

生麦③

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この辺りは川崎駅から5kmを過ぎた地点、足の指を意識していたので右足の母指関節が痛くなります。意識しすぎたか…ここからなるべく他の4指も意識しながら歩きます。この時点では他の部位はトラブルはありません。

ビール工場から神奈川宿までは国道15号線を歩きます、歩道が広いので歩きやすいのですが2車線の幹線道路ということで車がビュンビュン走っているので空気が悪いし江戸情緒もありません。国道整備や都市化によりここから神奈川宿までは旧街道はほとんど消えておりあっても断片的になっています。できるだけ旧街道を歩くように努めましたが飛ばしてしまったところもありました。

JRと京急の新子安駅の付近に菊屋という老舗らしい今川焼のお店が…関東の人は今川焼で通じますが、これ実は地域によって結構呼び名があるんですよね。所説ありますが、東北、東海、四国地方では大判焼き、関西九州では回転焼き、東北の一部地域ではおやき、広島では二十焼きという名前もあり、その他にもお店によって無数の呼び名があるそうです。埼玉生まれ埼玉育ちの渡しは今川焼、大判焼きと呼んでました。ちなみに今川焼の由来は江戸時代中期ごろ神田今川橋のたもとで桶狭間の戦いをもじって販売していた和菓子屋があったとか。

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中に入るとかなりレトロ、カウンター内で置物のような老婆が新聞を読んでおり来店した私に気づいていないので奥にいた男性に注文支払いしました。あずき入り120円を購入し椅子があったので中で食べさせてもらいました。味は普通、ちょっと焼きが甘いのか生地が半生のような感じがしました。でも120円で休憩させてもらっているので文句はありません。食べていると老婆と目があい「いらっしゃいませ」と言ってくれました(笑)やっと気づいてくれたようです。この地で長く商いを続けている感じなのでこれからも頑張ってもらいたいものです。

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菊屋を出て少し歩くと船溜まりがあります、良い天気で良い雰囲気です。ここはもう港のすぐ近くなのです。

子安

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京急線神奈川新町駅の辺りで国道にかかかる歩道橋を海側から鉄道が通る陸側に渡ります。裏の道に入ると横浜市立神奈川小学校の壁に神奈川宿の絵があります、日本橋をでて3番目の宿場町神奈川宿に到着したようです。この辺りはJR京急線の東神奈川駅があります。大学時代JR横浜線を使っていたので東神奈川行きというと懐かしい気持ちになります。

神奈川県の人に「出身はどこですか?」と聞くと、横浜、川崎、横須賀、藤沢、茅ケ崎等地名で言う事が多いと感じます。

私は大学が町田というほぼ神奈川に突っ込んだ地域だったので多数の神奈川県民と出会ったのですが、皆一様に地元愛が強いと感じました。ですが、神奈川が県名なのには由来があり、横浜は昔は小さい漁村に過ぎず陸側の街道沿い神奈川宿が栄えておりました現在の横浜駅の辺りは昔は海の中、ですが巨大船が行きかうようになる幕末では遠浅の江戸までは大きい船は入れなかったので良港である横浜が栄えました。現在は横浜駅、桜木町、みなとみらいの辺りが栄えていますがかつてはほとんど海だったんですね。

横浜駅が陸になったのは鉄道を通す際に陸地側に土地がなかったので埋め立てて線路を通したそうです。現在横浜が栄えているのは海運と鉄道のおかげなんですね。それでも神奈川が県名になったのは後に出てくる各国の領事館も多数神奈川宿にあり政治の中心であったからだと考えられます。今は海底を掘る浚渫や埋め立てのおかげで東京湾深くまで大型船が入れるようになりました。

行ってみると神奈川宿も歴史的にも素晴らしいところなので神奈川県民にも出身は神奈川ですと、言ってもらいたいと思いました

神奈川宿①

 

 

 

 

 

 

 

 

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