鍼灸整骨院あおてあ|八潮市大瀬

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テーマ: 東海道五十三次の旅

前の投稿 東海道を歩く⑩ 6日目 箱根峠~三島宿~沼津宿~原宿 | 鍼灸整骨院あおてあ|八潮市大瀬 (aoteabodydesign.com)

 

箱根八里を踏破したので今日から再びビルケンのサンダルで歩きます。

購入してから一年半履いていたのでソールが削れてしまった為リペアに出しました。

レイクタウンアウトレットの店舗に行くとお店の名前が変わっており…クオリネストという名前になっておりました。

思わず間違えたと思い探し回ってしまいました。

店員さんに事情を聞くとビルケンシュトック本体が直営店を出す為、日本の代理店ベネクシーとのライセンス契約が無くなったとのこと。

クオリネストはベネクシーの自社ブランドとのことで、まだビルケンシュトックの商品も購入できるとのこと。

ソールの張替えやリペアに関してもビルケンシュトックが日本で職人さんを雇用するのが時間がかかる為、しばらく受付してくれるとのことです。

三陽商会とバーバリーの関係が思い出されます。

3月に新宿にコンセプトストアを出店しshinjukuというモデルを発売したことも話題になりました。

さて、こちらが古いソール外側や踵に荷重がかかってますね。これは大変ダメな例です。デブは小指側に体重がかかりがち…

新しいソール、緑は限定色の為選択できなかったので茶色にしてもらいました。

フォアフットで踵を削らないように正しい歩き方を頑張ります。

価格は7,000円ちょっと、ネットで探せば一万円以下で新しいのが買えますが…

限定の迷彩色が気に入っているのとフットベッド(靴の中敷きに相当する部分)が自分の足に馴染んでいるのでありだと個人的には思っています。

今日も始発で秋葉原までつくばエクスプレス、東京駅から沼津駅まで行きそこから静岡行の電車に乗り換えます。

三島駅で伊豆箱根鉄道のラブライブ電車を発見。

アニメ自体見た事はないのですがこういう町おこしって良いですね、いろんな層の観光客を誘致できますからね。

原駅に到着。 貨物列車が通過します、東海道線は昼夜問わず貨物列車が走ります、日本の大動脈の一翼を担っているんですね。

通路に貼ってあるJR東海、吉高由里子さんのポスター

会社員時代出張で何度も東海道新幹線に乗りましたがTOKIOさんのアンビシャスジャパンが車内チャイムの定番でした、去年の夏からUAさんの会いにいこうに変更。

少し寂しい気もしますが…会いにいこうもとても良い歌です。JR東海「会いにいこう」フルMV ~ハナレグミ ver.~ (youtube.com)

JR東海は昔から良いCMが多いです、牧瀬里穂さんや深津絵里さんのクリスマスエクスブレスのCMも良かった、大人になったらこんな恋愛ができるのだと思っておりましたが世の中そんなに甘くはありません。山下達郎さんの歌も良かったなぁ。

ジングルベルを鳴らせなかったおじさんの思い出話はこの辺にしてさっさと歩きます。原駅の駅舎

原宿の浮世絵 富士山も白いし稲も刈り取られているので冬場だと思われますがすごい薄着…昔の人は我慢強かったのでしょうね。

歩道が狭い街道を歩くのはつらいので今日も千本松原沿いを歩くことにしました。

住宅地を抜け

松林を抜け、コンクリートの堤防を上ると

今日も美しい駿河湾

挨拶をしてくださる、地元の方と思われる方々とすれ違います。割と女性の方が挨拶してくれますね。

お互い歩いているので挨拶するかどうか迷う時は会釈がおすすめです。挨拶してくれたのにとっさに返せなくて失礼な事をしてしまった、挨拶したのに無視されたというストレスを軽減できるので大変便利。

会釈を無視されても気付かなかったのかと思えば大した心のダメージがない為です。

富士マリンプール、沼津市から富士市に入ったようです。

この辺りは海はありますが泳げるようなビーチがあまりないのかもしれません、サーフィンしている方もみませんでしたし。そのためこのようなプールが必要なのかもしれませんね。

ここのベンチでSTAで学んだ股関節のしつけ。これは腰痛対策にも最適、長時間歩いてずれてしまう股関節の位置を戻してあげます。これをやるとめちゃくちゃ歩きやすくなります。

富士山が見事、富士市は製紙工場の町。紙の生産量が四国中央市に次ぐ全国二位となります。トイレットペーパーでは全国一だとか!製紙工場は水がきれいな方が良いようです。

四国中央市は井川意高さんが会長、社長をされていた大王製紙がありますね。

実は我が八潮市は第六位らしいです(笑)知らなかった。恐らく段ボールなどを作っているレンゴーさんでしょうか、良く知らないので間違っていたら申し訳ございません。

地図で見ると吉原駅に近くなっていたのでそろそろ陸側に戻ります。

ここのところの気温上昇で桜ももうすぐ満開

丘の上から見る工場、これは日本製紙の関連会社だそうです。スコッティとかクリネックスの会社ですね。

草加市松江にも工場があります、業界二位だそうです。ちなみに一位は王子製紙だそうです。ティッシュでいうとネピアの会社ですね。

元々は細かい村が合併して加島村になりそこから富士町になり、その後田子の浦町、岩村町が合併し富士市になります。

昭和41年に吉原市、鷹岡町と合併し現在の富士市ができあがったそうで、静岡県第三の自治体となります。

これだけ富士山が見事に見えますから富士の名前を冠しても誰も文句は言わないでしょう。※山梨の方は言うかも

丘を下っていく途中に木之本神社があったので参拝、富士市立高校の生徒が作ったお札があったので一枚いただきました。

感じよい路地を抜けて旧東海道に復帰

東海道線吉原駅、地方鉄道の岳南電車の始発駅でもあります。吉原駅とありますが、江戸時代の吉原宿のはずれになります。

宿場町あるあるですね、鉄道を嫌がる住民、既に住宅がある場所には鉄道を通せず鉄道駅や国道の周辺のが発展してしまうという。

でもここ吉原駅よりも富士駅の方が現在の中心に近いので富士駅の方が栄えているようです。

沼川

この辺りは工業エリア、大型車が沢山通り流山街道を思い出しました。

国道139号線と旧街道の分岐点、上には国道一号線のバイパスと東海道新幹線が走ります。

本当はバイパスを歩くのが最短なのですが、旧街道はさらに内陸に向かいます。

これは津波等災害により宿場が内陸に移動していったという経緯があるそうです。

 

富士市が設置している案内柱。QRコードを読みむと街道の説明書きがあってとても親切。

小さい神社があったので通過しそうになりましたが、気になったので寄り道。

こちらは左富士神社、旧悪王子神社というそうで… 旧名がすごい名前。

一角には依田橋の一里塚跡があります、めちゃくちゃきれいにしてあります。

神社裏手に公衆トイレがあったので拝借、すごくきれいです。地域の方々の手によってきれいにされているそうです、はみ出さないように注意して使わせていただきました。

神社裏に出ると左富士※指が写りこんでしまいスミマセン…

この神社はとてもご利益がある神社らしく、古くからここにあった茶屋には沢山の旅人が訪れ、水難の際にはここに逃げ込んだ村人達が多数救われ、太平洋戦争時には戦地に行ったこの辺りの方々の生存率がとても高かったという言い伝えがあるそうです。

きれいな境内とトイレを見て、現在でもその話が受け継がれているのを納得しました。訪れることができてとても良かった。

ここのベンチでも股関節のしつけをさせてもらいました。

左富士の碑がありました。左富士が見えないのと歩道がなさそうなので裏の川沿いにむかいます。

富士山も綺麗、水も綺麗

浮世絵はこの辺りでしょう。吉原宿東海道14番目の宿場町になります。とても狭い道、東海道もこの辺りは田んぼのあぜ道のような感じだったんですね。

平家越え橋、平家軍と源氏軍が対峙した辺りと言われていますが…富士川までは結構あります。

先ほど見えた吉原駅からつながっている岳南電車の吉原本町駅。製紙輸送の為の鉄道と言われていますが、元々は戦前に敷説された日産自動車の専用鉄道だったそうです。

現在ではどちらの貨物輸送も行われておらず、地域の方の足になっており朝夕は通勤通学客がそれなりにいるようです。

電車は行ってしまったばかりだったので見ることができませんでした。ホームに入るには入場券を買ってくださいと書いてありましたが券売機も見当たらなかったのでこれ以上は入りませんでした。どこで買うのだろう?左側の扉を開ければ駅員さんがいたのかもしれません。

近くにちょうど良い地図がありました。

赤が旧東海道、オレンジがバイパス。旧街道はとても入り組んでいて遠回り。南側に新幹線、バイパスが通っているところを見るとその辺りは人があまり住んでおらず用地を確保しやすかったのでしょうね。

 

地方都市あるあるアーケードがあるシャッター商店街、全然人に会いません。ですがこの辺りに本陣があったのでかつての宿場の中心。

やってそうなお店はスナックやガールズバーなど夜のお店が多かったです。あとは古くからある洋品店等が営業している感じでしたね。

そろそろお昼なので富士市名物つけナポリタンを食べようと思いましたが…あまり盛り上がってないのか見つけられませんでした。

以前ダイバーシティにあったつけナポリタンはおいしかった。

新通町公園、初代0系新幹線。土日祝日は中にも入ることができ、周りにはミニSLの線路が敷いてあり月一回走るそうです。線路のメンテナンスも大変そう。

富士市にはかつて新幹線の駅が無く、地元自治体や企業等の出資要望により新幹線の開業から遅れる事24年、1988年に新富士駅が開業いわゆる請願駅ってやつですね。

この新幹線がいつから設置されているかは不明ですが、このように展示されているところをみると新幹線停車は地元の悲願だったということがわかります。

静岡名物ハンバーグのさわやか。御殿場店などは首都圏からも近くアウトレットに来るお客さんも多い事から休日は5時間待ちも当たり前という名店であります。

時間は12時絶対混んでいると思って行ってみると待っている方が沢山。

時間がもったいないので初さわやかはおあずけとなりました。

グーグルマップを見ると海鮮の良さそうなお店があったのでそちらでランチをすることにしました。

お昼時で混んでいたらやめようと思っていましたがお店も広く空き席もあったので入店。

日替わりのサービス品、中おち丼とイワシの刺身を注文。店員の方が本マグロの血合いをお勧めしていたのでそれも追加。

イワシがめちゃくちゃ新鮮、本マグロの血合いはごま油でいただきます。

全然臭みがない歯ごたえがあるレバ刺しのような味。注文してよかった。

運よく丸天さんの裏手が旧街道でした。ポカポカでよい陽気です。

どこからでも見えるきれいな富士山

間の宿でもある本市場

旧身延線の線路跡、今の身延線はもう少し西側を走ります。富士駅~甲府駅を結ぶ線で、サラリーマン時代出張で静岡から甲府までワイドビューふじかわで移動したことがあります。

風光明媚で物凄く良い車窓でした。

この線路が移設された経緯には創価学会が関連していると言われ、当時日蓮正宗に属していた創価学会は富士宮にある大石寺に行くために多くの臨時列車を走らせていたそうで…

さばききれなくなった輸送力を補うために1966年昭和44年に新しく線路を引いたとのこと。

その後、日蓮正宗と創価学会はたもとを分かった為、参拝の学会員も激減し臨時列車もほぼ無くなったとのこと。

創価学会は新幹線の新富士駅新設にも関わっていたそうですね。

物凄く巨大な宗教団体ですね。私は学会員ではありませんが、学生時代何人か友人がいたのですが皆とても良い人たちでした。

特に私は勧誘されることもなく、我々世代は親がやっていたけど大人になってから信仰しなくなったという人もいました。

今は会員数も減っているみたいですね。

ここもシャッター商店街。

左に行くとJR富士駅があります。

札ノ辻跡、高札場があったところですね。宿場のルール等が書いてあった場所です。

今は公民館になっています。

この辺りはのどかな住宅街、幹線道路やバス通りは車の通りも多く、歩道が狭いか無い事も少なくないので落ち着きます。

ここで幹線道路に合流、現在の身延線柚木駅。ここは高架化されております。

再び旧街道は住宅街になります。良い感じの土手が見えてたので登ってみると。

雁堤※かりがねつつみ

にでました。富士川の氾濫を治める為に築堤された堤防だそうです。

とても広いです、野球やサッカーのグラウンドが延々続きます。静岡は日本のブラジルとも呼ばれるくらいサッカーが盛んですよね。

桜がとてもきれい。お花見している高齢者のグループがおりました。

家の近くにこんな場所があってうらやましい。この辺りで20キロくらい、足が痛くなってきます。主に腿の外側。

堤を抜けると渡船場跡でもあるその名も水神社。富士川はよく氾濫していたのでこの名がつけられたのでしょうか?

ここでもお参りして、ベンチがあったので股関節、大腿のしつけ。

いよいよ静岡四大河川の一つ富士川を渡ります。安倍川、大井川、天竜川と広大な河川があります。

人材派遣の会社で働いていた時に静岡の方を企業に案内するときはどんなに距離が近くても川を渡ってくれないという事がありました。

全国どこでもそうなのですが川幅が広い為、橋が沢山かけられず慢性的に渋滞が起こってしまうため通勤時間がものすごくかかるんですね。

あれは大変だった。静岡は工場が沢山あるので仕事はあるのですが人を入れるのが難しいという問題がありました…

富士川橋は1924年大正13年にかけられた橋、今年で100周年になる立派な橋です。形もかっこいい

それ以前は木造の橋をかけたりもしたそうですが、基本的には渡し舟だったそうです。

水量が多く流れもキツイです、ここは歩いて渡るのは厳しそう。

橋の上からは遮るものがないので富士山を見るには良いスポットです。

信仰の対象になるのも頷けます。

橋を渡ったら右に曲がってすぐに旧東海道入り口があります、ここからは上り坂になります。

箱根から三島に下ってから久々の登り坂。

上から見た富士川橋

ちゃんと案内が記されております。

岩淵小休本陣 間の宿だったのでしょうか、いい感じの壁。

公開している日もあるそうです。

何故丘の上に東海道があるのかというと…先ほどの雁堤ができたことにより富士川東岸は安全になった反面、こちら側の西岸は水害に合う事が多くなってしまったそうです。

そのため、山の斜面に街道や住宅が建つようになったという経緯があるみたいですね。

赤の点線が旧東海道、距離でいうと下の道を行った方がはるかに近いですし、坂も上らずに済みます。

今は治水対策も進み、川岸にも人が住めるようになりました。

今日歩いて来た製紙工場群があんなに遠くにみえます。

富士市商工会の横にある、富士市民俗資料館。中を見たかったですが時間がないので諦めました。

岩淵の一里塚、両側に残っているのは嬉しい。

毎度の事ながら20キロ超えると足が辛い、中之郷道標にベンチがあったので水分補給と股関節と大腿のしつけ。

向かいのベンチに散歩中と思われる杖をついた高齢男性がこちらを見ていたので会釈。

上を通っているのは東名高速道路。この旅初めて東名高速道路と交差します。

東名高速道路をくぐって左に曲がって道なりに進むと和菓子のツル家さんがありました。名物の栗の粉餅を食べたかったですが残念ながら定休日。

当時食べられていた栗の粉餅を現代風にアレンジしたものを売っているそうです。東海道を電動自転車で走ったスーツさんも食べていました。

分かれ道、行き止まりと書いてありますがグーグルマップを見ると徒歩なら行けそうだったので右に行ってみます。

やはり行けました、思いのほか狭く自転車は行けないですね。

この上は東海道新幹線が走っています。東名と違い東海道新幹線は結構交差してます。

新橋→品川→小田原→三島→富士市→蒲原と6回目の交差

いい感じの住宅

また坂道が続きます。

登りきると東名高速道路にぶつかります。静岡市の看板、ここが富士市と静岡市の市境になる感じですね。

静岡に入り、函南町、三島市、清水町、沼津市、富士市と4つの自治体を歩いて来たんですね。

橋の上から見た東名高速道路

ここからは下り坂になります。

アルミの工場が海側に見えてきました。

蒲原宿の東木戸跡 木戸とは宿場の入り口にある門ですね、品川にも高輪大木戸跡がありましたね。

15番目の宿場町になります。


浮世絵は雪で寒そう(笑)

ものすごく巨大なパイプ、地図で見ると日本軽金属の発電所につながっていたので恐らく水力発電の設備なんでしょう。

この橋を渡ると江戸資料館がありましたが…時間が無いのでここも見れず。

軒先で売っていた甘夏を一袋購入、甘酸っぱくておいしかったです。

蒲原駅まで歩きたかったですが宿場の中心は新蒲原駅の方が近い為、新蒲原駅から帰ることにしました。

品川から上野東京ライン常磐線直通列車があったので乗り換えましたがグリーン車がない車両でした(泣)

しかたなく立って乗車、今後の参考にします。

段々距離が遠くなってきたので次回からは新幹線も活用します。次回は恐らく5月になるでしょう。

2024年4月2日 原宿~吉原宿~蒲原宿

26.53㎞ 7時間48分

当日の総歩数総距離47,205歩 31.30km

八潮-秋葉原 471円

南千住ー八潮 335円

秋葉原-原 新蒲原-南千住 2,410円 青春18きっぷ利用

往復グリーン券 3,100円

昼食 丸天さん 確か2200円くらい

甘夏 300円

飲み物 390円

計6,796円

総計55,871円

 

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