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テーマ: 東海道五十三次の旅

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2024年5月14日火曜日

天気は朝は曇りですが晴れてくるという事で4月2日以来の東海道ウォーク

今日はこの☆印の新蒲原駅から静岡駅を目指します。

今回の旅からは新幹線を利用します、少しでも安くする為にJR東海のアプリEX予約を使います。

前もって予約をすれば安くなり、紐づいたsuicaやpasmoで切符要らずで乗車できるのでとても便利。当日で空きがあれば別の新幹線に変更する事もできるので予定が早く終わって早い新幹線で帰りたい、逆に遅れそうなので後の新幹線に変更したいという場合にも大変便利。

東京駅でこだま701号名古屋行き6:30発に乗車。こだま号は自由席が多く東京駅は始発なので久々に自由席に乗車。

東京駅ではさほど乗車率は高くありませんでしたが…新横浜駅ではA,C,E席は埋まっていました。三列シートの真ん中のB席って座りにくいですよね、あからさまに嫌な顔されそうだし… 皆さまビジネス利用の方がほとんどだと思います。ただ道楽で歩きに行くワタクシは少々肩身が狭い…トイレに行くとデッキで立っている方もチラホラ。

7:37新富士駅に到着、一時間ほどで着いてしまうんですね~これは楽でいい。普通列車で東海道線を下ると東京駅をこだま号より30分早い5:55の電車に乗っても7:30は小田原駅くらいですのでいかに新幹線が早いのかわかります。

この新富士駅、1964年昭和39年の新幹線開業時には無い駅でした。東海道新幹線では唯一、JR在来線、私鉄にも接続していない駅の為、関東や関西から行く一般の旅行者は中々行くことはない駅だと思います。私もこのような機会がないと降り立つ事もないと思ったので初めて利用してみました。

1988年周辺の自治体や企業、住民の要望でできたいわゆる請願駅という事になります。静岡第三の人口を有し、沢山の工場もありますから地元の悲願だったのでしょう。

前回も書いたように創価学会の力も大きかったようです。

源平合戦の水鳥が羽ばたく様子などが描かれた絵画。

JR東海に勤める友人に「我が社の最新式の券売機がある」と言われていたので色々遠隔でサポートしてくれる券売機を撮影。

よほどのことが無い限りもう二度と降り立つこともないでしょうから駅を撮影。

修学旅行なのか沢山の学生たちがおりました。

ここからJR富士駅までバスで向かいます。小さいタイプの富士急バスに乗ります、190円。

15分ほどで富士駅に到着、電車が遅れていたらしくホームにはすごい人…朝8時なので学生さんが沢山、静岡駅まで行くのでしょう。

新蒲原駅まで二駅なので満員電車でも我慢できます。
新蒲原駅に到着、ここで降りる人はあまりいませんでしたね。

左足首に鈍い痛みがあったのでベンチに座って自分でアライメントを整えます。まあ温まればなんとかなるでしょう。
住宅の間を抜け

旧東海道に復帰

割と普通の住宅街

素敵な水路、奥には神社が見えます。

西本陣平岡本陣跡、写真を撮った直後に住民の方がゴミを袋を持って出てきたのでビックリ。住まれている方がいるとは存じ上げませんでした、大変失礼いたしました。

旧宿場町あるある、高札場だった場所に公民館。

大正三年に洋館風味に建てた五十嵐歯科医院さん、今は診療していないようです。ガラスが波打っています。

古い住宅が並びよい雰囲気。

宿場町の両端は鍵型に折れ曲がっており、敵が攻めてきた時に宿場を見渡せないようになっておりその名残りですね。

良い雰囲気の神社

地方あるあるなのですが、独特のにおいがします。恐らく下水道が整備されていないので浄化槽の家が多いのだと思います。

勝手に歩かせてもらっているので文句は言えません。

再び県道にでます。桜エビを売っている魚屋さん、次の由比宿は桜エビが有名。

蒲原駅を通過

前回蒲原宿の手前で橋を渡って交差した東名高速道路を今度はくぐります。

左側が旧東海道 由比宿の見附だと思われます。

東海道16番目の宿場町 由比宿に到着です。 蒲原宿と由比宿の間は短く1時間ほどで到着しました。

一里塚のそばの電柱に日本一桜えびのまち由比と書いてあります。桜えびのかき揚げなんて最高でしょうが今はまだ朝九時。

そこまで古いものではないと思いますが、街道の雰囲気を残した木造家屋が良い感じ。

由比本陣公園 本陣があったところが資料館やレストラン、歌川広重の美術館となっておりぜひとも中を見たかったですが美術館は時間の関係で断念。

資料館だけでもと思い見学、宿場のジオラマ

とてもきれいな庭が整備されており、ベンチがあったので股関節のしつけ。これをやるのとやらないのではだいぶ違います。

本陣公園の目の前には正雪紺屋という染め物などを扱っているお店が…

由比正雪とは3代将軍家光が亡くなった時に幕府政策の批判と浪人の救済として幕府転覆を図ろうと挙兵したが、密告され捕らえられそうになったところ自刃したそうな。

出自については諸説ありますがここが生家と言われているそうです。

まあ幕府からしたらテロリストということだったのでしょう。平和に見える江戸時代も色々あったんですね。

国の登録有形文化財に登録されている清水銀行の油井支店本町特別出張所

西洋風の立派な外観

由比川橋を渡ります。良い天気になったなぁ

前回の反省を踏まえ新幹線で日焼け止めをつけてきました。特に首がヒリヒリ痛くなってしまうんですよね。

海側は手前から東海道本線、国道一号線富士由比バイパス、東名高速道路が通っています。

あまり車が通らない旧街道に比べてあちらはビュンビュン車が走っております。

工場があったので何気に目をやると、あの有名ないなば食品さん。

シーチキンや様々な缶詰で有名。

せっかくなのでこちらのむつみ市場へ。

生の桜えびやシラスが買いたかったですが今日は道中暑くなりそうなので、天日干しにされた桜えびを購入。

これなら腐らないですみそうです。レジのおじさんに行ってらっしゃいと言われました、ここからはさった峠になりますし歩く人も多いのでしょう。

レトロな郵便ポスト

すれ違った中学生~小学校高学年くらいの集団に大きな声で挨拶されました、とっさに私もおはようございます!と挨拶。

漁港に抜けられるトンネルを発見。

海なし県に生まれ育つと海を見ると近くに行きたくなるのです。

住宅のすぐそばを通る東海道本線、電車来ないかと思い諦めて進もうとすると。

列車が通過、浜松行きですね。

柵もないし撮り鉄にはたまらないスポットではなかろうか…

撮り鉄は常軌を逸した行動をとる方もいますが…どんな趣味でも行き過ぎて頭がおかしい人って一定数いますよね…

ただ撮り鉄の場合は限定列車などが走る時は一か所に数が増えてしまうので余計に異様に見えます。

コロナ禍で観光客がいないと嘆いていた京都も、今は外国人だらけでオーバーツーリズム。キャパシティを超えた数になると嫌われちゃうんですよね。

どんなものにも適度な数というのはあるので、旅行は空いている時期と場所に行くのが大事。

楽しめなくなってしまうし、地元の人にも嫌われたくないですからね。日本人は他人に迷惑をかけない素晴らしい民族だと思うので心がけたいものです。

トンネルを抜けると、港があります。

漁港に食堂があるそうですが、残念ながら火曜日は定休日。

バイパスから出ようと思ったら、歩行者自転車立ち入り禁止なので仕方なく戻ります。

戻ろうとすると小さいトンネルが…これでバイパスをくぐれそうです。

バイパスをくぐって線路沿いを歩いていくとまたも行き止まり…

由比駅は見えているのにこちらに入り口はありません。仕方なく来た道を戻って旧東海道に復帰します。

かなり時間をロスし、ベンチがあったのでここで水分補給&股関節のしつけ。

以外にも駅に向かう方々がおります。車社会とはいえ一定数電車を使う人もいるようです。

時間は10:30先を急がねば

由比駅を通過、田舎の駅あるあるで歩行者が通る歩道とロータリーの間に柵がありません。

県道を渡る歩道橋、さった峠はこちらと案内があります。

道路をそのまま横断しても行けそうでしたがここは歩道橋を使います。

これから越えていくさった峠。これぞ旧街道の道幅

この辺りで赤いaquaが横付けしてきて窓を開けて運転席の高齢男性が何か言ってきました、そちらを見ると無言。助手席の奥さんらしい人も無言。

そのまま通り過ぎました。なんだったんだ

この先の桜えび、磯料理くらさわやさんという料理屋の前にすごい数の人。皆、高齢者。11時開店を待っているようでした。

さっきのおじさんもここに来たくて道を聞きたかったのかな?名店らしく美味しそうでしたが今回は断念。

グーグルマップの口コミも4.0、さぞやおいしい料理が食べられるのでしょう。

山側に味がある神社が…

今日のお参りはここにしよう。

すごい急な階段。先月金毘羅山に行った時に1,368段の階段を上り奥社まで行きましたが…

苦労しないとたどり着けない神社ってご利益がありそうな気がしてしまうんですよね(笑)

見返りを求めてはいけないのですが…おかげで奥社で会ったオランダ人の学生と仲良くなり連絡先交換しました。

とても良い景色。おそらく今、東名高速やバイパス、東海道本線が通っているところは海、もしくは海岸線だったんでしょうね。

この高台にないと津波で家々も流されてしまうのでしょう。

台風の時期なんかは東名高速道路も通行止めになり、ものすごい波が道路に打ち付けられている映像をニュースで見ることができます。

古い民家が立ち並び良い雰囲気。この辺りになるとさった峠を目指す人がちらほら。

軒先に甘夏が売られているのも静岡らしい光景。

さあいよいよさった峠に入ります。さった峠は薩埵峠と漢字で書くのですが、私のPCでは変換されません。面倒だし初見の方は読めないと思うのでひらがなのまま書きます。

富士川を渡った後の坂、岩淵以来の上り坂。

一里塚もあったようです。

周りは果樹園になっており、盗んでしまう不届きものがいる為か、盗難防止の看板が設置されています。

びわや甘夏が沢山なっており、普通に枝からもぎ取れる距離にあります。モラルがない移民が沢山入ってきたらもっとひどい事になるでしょう。

買おうとするとビワって結構高いんですよね、それもそのはず虫よけの為かひとつひとつの果実に紙製のカバーがついています。手間暇かかるんでしょうね。

下は東海道本線、国道一号線バイパス、東名高速道路が通っております。

そちらを行けばあっという間に静岡市方面に抜けられると思いますが、みてわかるように高速道路は海の上に橋脚をかけて走っています。

当時は断崖絶壁で海沿いには人が歩ける状態ではなかったのでしょう。

新潟県と富山県の県境にある親不知子不知(おやしらずこしらず)と並び称されるほどの断崖絶壁。

一緒に歩いている親や子を心配する余裕もないくらいの険しい道だったようです。

戦国時代に武田信玄軍と今川氏真、北条氏政の軍勢がこのさった峠で合戦を行ったそうな。

室町幕府の時代にも合戦があったようです。

それだけ交通の要衝であったのでしょうねぇ。こんな崖で戦ったら刀で切られて死んでしまうより落ちて死んでしまった人の方が多そう。

逆光で何が書いてあるかわからないと思いますが、さった峠を示す石碑。

手すりもないし間違って落ちたら大変な事になりますね。

峠の休憩所に到着、車やバイクで来ている人がチラホラ。ウォーキングの高齢者達も座って休憩していました。

左端に富士山、今まで歩いて来た富士市、沼津市、三島市、箱根の山が一望できます。我ながら良く歩いて来たなぁと感慨深い。

本来であればこの先は歩行者しか行けないハイキングコースがあり、展望台まで行けるのですが。

残念ながら現在は崩落してしまっており、復旧は来年の3月になる見通しだそうです。

脇を通って行けてしまいそうですが、命も惜しいですしもういい大人なので皆様に迷惑をかけるわけにもいきませんのでおとなしく引き返します。

比較的きれいなトイレ

どうやら熊がでるようです、気をつけねば。

素晴らしい景色

由比宿の浮世絵はこの辺りからの眺めですね。

ハイキングコースをいけないので道路を歩いていきます。新緑がまぶしい。

徐々に民家が多くなってきます。

下りきったところにコンクリート屋さんがあり、そのそばに興津川にかかる新浦安橋があります。

新浦安というとディズニーランドの近くのJR京葉線新浦安駅を思い出します。

興津宿までもう少し

結構流れが強いです。昔はこの川を渡るのも大変だったんでしょうね。

旧東海道からは外れてしまったので、海沿いに戻ります。

上は東名高速道路。

この辺りは住宅街。興津駅に向かう道路の道幅が旧街道くらいのサイズだったので調べてみると、やはり身延道という山梨に抜ける旧街道でした。

再びJR東海道線を渡ります。

JR興津駅に到着。興津宿は17番目の宿場町になります。

駅前のベンチで水分補給と股関節のしつけ。

時間は12時過ぎですがあまりお腹は空いていません。朝沢山食べましたからね。

駅近くのお茶やさんにソフトクリームが売っていたので購入。

抹茶が濃厚でとてもおいしいソフトクリーム

こんなに抹茶が濃いのは初めて、ハーゲンダッツの抹茶を超える抹茶アイスがこの世にあったとは!

街道沿いは空気が悪いので海沿いの公園を歩きます。塀の向こうはバイパスの一号線、その向こうには物流倉庫があり巨大なクレーンがいくつもあります。

日本有数の港町清水港はもうすぐです。

歩いていると足つぼを刺激する設備が…

これはいいとサンダルを脱いで歩くもめちゃくちゃ痛い。手すりにつかまりながらもなんとか踏破。

その時はとても痛いのですが、そのあとはものすごく軽くなります。ビルケンのサンダルで歩くことにより足底筋をかなり使っているので疲労がたまっていたのでしょう。

地元では恥ずかしくてできませんが、周りに誰もいなかったのもあり使わせてもらいました。

興津生涯文化交流館という施設があったのでトイレを拝借。

トイレットペーパーを持ち帰らないでという張り紙… こういうところのトイレットペーパーって硬い質が悪いものが多いと思うのですが…

それを持って帰ってしまう人もいるんですね。わずか何百円もケチりたいという人は一定数いるようです。

無料で使える施設って質が悪い人も来てしまうので往々にしてこういう事がおこりがちです。

私もケチですが人に迷惑をかけるケチはあかんです。ケチは正しく行いましょう。

再び歩いていると再度足つぼ設備を発見、しかも前回のものより大きい。

靴下ごしでもかなり痛い…

手すりにつかまりながらなんとかゴール

かなりスッキリしました。

すぐそばのイオンで伊藤園が販売している静岡茶を購入。恐らく静岡限定商品、とても安く買えてうれしい。

陽ざしがジリジリしてきます。

今回の行程でさった峠と並ぶ見どころの一つ。

清見寺です。敷地内に踏切があります。

立派なお寺、中にJR東海道線が走っています。

奈良時代に創建され、今川方の人質となった徳川家康幼少期を過ごした場所でもある歴史ある寺院がなぜこんなことになったのかというと…

文明開化の明治時代に鉄道を作る際にルートに入ってしまった清見寺に鉄道が通されてしまいました、国からお寺に謝礼金が支払われたのですが時の住職がそれを全額「どうぞ新しい日本国の為にお使いください」と返納したそうです。

今も昼夜、人や物品が行きかう日本の大動脈を担っていることを考えると、当時の住職さんはとても立派な方だったんだなと思います。

宗教人の鏡ですね。

現代日本では宗教というとネガティブにとらえられることが多いです。

ねずみ講のように人から金品を巻き上げるカルト宗教や一昔前にメディアにも出ていた高級外車を多数所有するようなお坊さん、税制的に優遇されている宗教法人への反感があるのだと思われますが…

世のため人の為に宗教活動している方もいるんですね。

あまり時間もなかったのですが、ここは見学したかったので寄り道。

東海道線は旅客電車、貨物列車がよく走っています。

踏切ではなく橋を渡りました。

豊臣秀吉が北条氏征伐の際に陣鐘として使用した梵鐘。

ここからは入館料がかかります。300円

もっととっても良さそうな気がします。

写真を沢山とってくださいね~と係りの女性の方に言っていただきました。

確か、明治天皇がご休息された場所だったかと…うろ覚えですみません。

本堂裏にある家康の部屋。とても狭いですね…わずか六歳の子供を人質として差し出さなければいけないってどういう感覚だったんでしょうね。

昔は10代の娘を政略結婚させたりと今では信じられない事が行われていたようですが。

時代は違えど我が子をそのようにするのはとても辛い事であったと思います。

水は淀んでいますがきれいな庭園。手入れも大変でしょうね~雑草はすぐにはえてくるでしょうし。

とてもよい香りがお寺の中に漂っています、そのお線香が売られていたので購入。買っていく人がとても多いのだとか。

徳川家の家紋

二階からの眺め、物流倉庫に阻まれていますが昔は港が一望できたのだと思われます。

先ほどの梵鐘。太平洋戦争時には多くの鐘が軍に接収されたのですが、こちらは歴史的な価値も高い事からそのような事はなかったようです。

長居し過ぎてしまいました。時刻は13時36分、先に向かいます。

帰りは先ほどの橋ではなく横の小道を抜けていきます。

階段の途中にも民家があり…道路にも面していない為、宅配の人は車を降りて台車で運んでと大変だろうなと思いました。

歩行者専用の踏切を渡り、東海道に復帰。一路府中を目指します。

港に見える豪華客船、いよいよ清水です。

旧道の住宅街を抜けます。

再びJR東海道線を渡ります。

何気なく撮った写真なのですが、実はここは昭和の大事件の現場だったのです。

この踏切を渡った左側に、空き家があるのですが…目の前に通った時、空き家があるなと妙に印象に残っておりました。

私はその事件のことは良く知らなかったのですが、この数日後のニュースで知ることになりました。

1966年昭和41年に起こった袴田事件の現場だったんですね。

味噌工場の専務一家4人がめった刺しにされた上、放火されたという大変凄惨な事件であったそうです。

従業員であった元ボクサーの袴田さんが逮捕され、先日死刑が再求刑されニュースにされていたんですね。

現在も鹿児島県警の不祥事のもみ消し問題などありますが、当時の警察の取り調べは今と比べ物にならないくらい大変杜撰なものも多く、検察が出した証拠の衣類が袴田さんのサイズと合わないなど冤罪説が信憑性をおびてきており…

現在でも論争が続いております。

ネットで見ると、家族の中で唯一被害に巻き込まれなかった長女がたまたま帰省して祖父母の家にいたなどありますが…真相は闇の中です。

今なら防犯カメラやDNA鑑定などでわかるのかもしれませんが…

今ある空き家は事件後に生き残った長女が再び建てて住んでいたそうですね。それはそれですごい話ですが…

再び国道に復帰。

ここからは都市化していき正直つまらない道のりになり、とてもつらかったです。

静岡県知事選の前だったので選挙ポスターが貼ってありました。

リニア早く通してほしい。

当院でも使用しているセイリンさんの工場もしくは倉庫を発見。

健康にはり、新幹線からもよく見える建物です。

行ってみるととても静かで扉もしまっておりました。

もう一つ建物があったのでそちらに行ってみるとこちらも営業はしていない様子。

ネットで調べると、内陸に新社屋を建てたのでそちらに移転してしまっているそうです…

運が良ければ見学させてもらいサンプルやリンちゃんグッズをもらおうと思っていましたがとても残念でした。(セコイw)

いつも使われている鍼がどのように作られているのかいつか見学に行ってみたいと思いました。

浜松まで89kmまだまだ先は長そう…

路線バスのベンチを借りて股関節のしつけ。

時間は14時30分

国道から右の旧街道へ入ります。

無縁さんの碑 街道で行き倒れた方を地域の方が近くの寺院に埋葬した歴史があるそうです。ここで埋葬されたわけではなさそうです。

この辺りは松並木があったそうです。

立派な蔵

18番目の宿場町、江尻宿になります。

こちらは港があった為か駿河の国で府中宿に次ぐ二番目の宿場町として栄えたそうです。

スマホの充電が心もとなかった為、清水駅そばのマクドナルドで1時間ほど小休止。

20時台の新幹線を予約してあるので少しゆっくりします。

16時になったのでぼちぼち出発

宿場はやはり鉤型になっており宿場の中が遠くから見渡せなくなっております。

高度経済成長期からバブル期には栄えたと思われる商店街。頑張って営業しているお店もありますが少し寂しい雰囲気。

本陣跡は駐車場になっております。

本陣跡から少し進んで交差点を左に曲がると稚児橋

江戸時代にここに橋を架けた時に竣工式が行われた際に宿場の長老夫婦が渡ろうとしたところ、子供が先に渡ってしまったそうでなんでもそれが河童だったのではと言われ橋の名前が稚児橋となったそうです。河童の銅像が欄干の上に置かれていますね。

清水~静岡間はとても退屈な道のり。

恐らく、戦後高度経済成長期に入り都市部や産業が活発化したところは急速に都市化され昔ながらのものは残せなかったのだと思います。

みんな貧乏だったわけですから、豊かになるのに一生懸命だったわけで歴史的な価値があるものなど保存しようという取り組みはある程度豊かになってからでないとできないのだと思いました。

由比や蒲原のようなイマイチ都市化できなかった場所の方が昔の物が残っているのはそういう事なんでしょうね。

ちびまる子ちゃんの作者さくらももこさんの出身小学校。静岡市立清水入江小学校。

平成の大合併前では清水市だったので、さくらももこさんが通学していた昭和の時代は清水市立だったんでしょうね。

写真はとりませんでしたが清水駅でもちびまる子ちゃんのイラストが貼ってあり、清水はちびまる子ちゃん推しなんですね。

海沿いのショッピングモールにはちびまる子ちゃんランドなるものがあるそうです。

作者が亡くなってもいまだにテレビ放送されていることから、サザエさんと共に国民的アニメになりましたね。

おじさんが小学校の写真を撮っていると通報されそうなのでさっさと先に進みます。

こちらは元追分、追分ようかんという江戸時代から愛されるようかん屋さんがあったそうなのですがこの時は知らずにスルーしてしまいました。

この辺りではかなり疲労困憊でした…

追分という地名なので何か街道が交差していたのだと思います。

JR東海道線としずてつの愛称で地元に親しまれる静岡鉄道清水線を越えていきます。

軒先にそら豆が売っていたので購入、年季が入った回収箱に200円を入れます。

これが物凄く新鮮でおいしかったです。独特の臭みも全然なかった。

イオンモールのそばにあるベンチで股関節のしつけと水分補給、近くにはしずてつ狐ヶ崎駅があり学校帰りの高校生や買い物の主婦らしい方々が沢山通ります。

この金網の裏には上原堤、宗旦池というため池があり、農業用水として使われていたそうです。昭和の初めには小さい遊園地になり平成初期まで60年も営業されていたとか。

イオンモールはその跡地に建ったんでしょうね。蚊が沢山おりました。時間は17時

片側4車線の大きい県道にぶつかります。

地元で愛されているらしきローカル回転寿司のお店があったので少し早い夕飯。

100円すしと良いお値段の回転すしの中間くらいの味と価格。コスパ良くおいしかったです。

高校野球ファンにはお馴染み、静岡県大会が行われる草薙球場。

フードトラックなどがでていたので調べてみるとプロ野球の二軍戦が行われているようでした。

なんでも静岡にくふうはやてベンチャーズという新球団が発足し、今年から独立リーグではなくプロ野球の二軍ウエスタンリーグに参戦しているとのこと。

サッカーで有名な新潟アルビレックスの野球チームもイースタンリーグに参加しているそうです。

NPBって参入障壁が高そうでしたが近年は敷居も低くなってきているんですかね、とても良い事だと思います。

この日はヤクルトの二軍と試合をしていたみたいです。

県道から外れ旧街道は鉄道に分断されてしまった場所に向かいます。

旧東海道記念碑がある右側のトンネルをいくのですが…

歩道がなくとても怖い、かつてはコンテナがある場所を東海道が通っていたのでしょう。

一台しか通れない幅がある為、車で侵入する場合はクラクションを鳴らしながら通行します。

途中まで入って反対側からクラクションが聞こえたのでとてもビックリして走って逃げました(笑)

こちらから車が行くタイミングを見計らいダッシュでついていきます。

中ではすれ違える退避スペースがあります。自転車も普通に通っている事から地元の人は慣れているんでしょう。

それでも夜中だったら尚怖いだろうなぁ

歩行者通行禁止なのかと思いましたが、反対側には歩行者用の階段があったので大丈夫であったようです。

貨物ターミナル、東海道線、東海道新幹線が並走する区間。

国道一号線にぶつかります。本当にしんどい…時間は19時前。

ここからが意外に長い、一時間ほどかかるんですね。

タワマンが立ち並ぶ光景を見て、やっと静岡駅だーと思いそうですが…ここは東静岡駅。貨物駅があった場所を再開発した場所で埼玉で言うと大宮の手前、さいたま新都心のような感じでしょうか。

しずてつ沿いを独り言をブツブツ言いながらひたすら歩きます。(笑)

ちょっとヤバイ奴です。

地方は外灯が少なく国道沿いでもかなり暗いんですよね。闇落ちを助長させます。

やっと府中宿の案内板が!徳川家康が将軍職を退いた後、大御所として君臨した府中です。

サラリーマン時代に静岡支店があったビル、懐かしいなぁまだあるのかな?当時お世話になった方々は元気ですかね。

向かいにあるホテルアソシア。JR東海系列のホテルだったと思います。スーツさんも動画で現代の静岡の本陣と言っていたように駅至近では一番良いホテルですね。

ペーペー社員だったのにも関わらずワタクシもここが定宿でした。

静岡駅に到着、休憩も挟みましたが12時間、40kmを歩きとおしました。

一本早い新幹線に乗れそうだったのでex予約アプリで変更。

これはとても便利、空き席があれば当日であれば差額なしで変更ができます。

帰りは私が12時間かけて歩いた距離を10分弱で通過してしまう新幹線に驚きました。

文明というのは素晴らしいですね。

 

2024年5月15日 蒲原宿~由比宿~興津宿~江尻宿~府中宿

40.3km 11時間45分

八潮-秋葉原 往復 942円

秋葉原-東京 往復 292円

東京-新富士 4,730円

新富士-富士駅 バス 190円

富士-新蒲原 200円

静岡-東京 6,140円

交通費計 12,494円

清見寺入場料 300円

飲食 2,500円くらい

お線香 800円くらいだったような

桜えび 1,080円

合計 17,174円

総計 73,045円

 

次の記事 しばらくお待ちください。