トレーナー専属契約の締結により、しばらくの間平日の自費施術の予約を一時停止させていただいております。
土曜日日曜日とトレーナー活動が無い日は受付いたしますのでSNSやホームページでご確認ください。
急なケガ、交通事故、労災施術に関しましては時間帯により受付可能ですのでお問い合わせの上ご予約ください。※時間帯や日にちによっては受付できない事もありますのでご了承ください。完全予約制
※新規の方へ
当院はカウンセリングに力を入れております、しっかりお話を聞かせていただいて施術させていただいく為です。 5年に一度くらい、カウンセリングをしていて怒り出したり不快感をあらわにする方がおります。 良い施術をするために必要な行為なのですが、侮辱されている責められていると感じてしまう方も稀におります。 ですので、傷つきやすい方、情緒が安定しない方は他院に行くことをおすすめ致します。
こちらも真剣に施術しておりますので、本当のところを知りたいのでその辺の気遣いはできない所はあるかもしれません。このスタンスは変えるつもりはないので合わなければ他院へお願い致します。
トレーナー専属契約の締結により、しばらくの間平日の自費施術の予約を一時停止させていただきます。
土曜日日曜日とトレーナー活動が無い日は受付いたしますのでSNSやホームページでご確認ください。
ご不便をおかけし大変申し訳ありません、何卒宜しくお願い致します。
本年2024年12月2日に健康保険証が廃止されるのに伴い、マイナンバーカードに健康保険証機能が実装されております。
弊所でもカードリーダーを導入し、従来の保険証と共にマイナンバーカードをご利用いただく事も可能です。
まあ、健康保険の適用範囲につきましては弊所は厳格にやっているので、大した請求額はありませんが…
マイナンバーカード移行、これはとても良い事ですね。
私の長文のブログをいつも読んでいる読解力がある方なら、当然マイナンバーカードを発行していると思いますが…
なんとなく作っていない、怖いという方は是非読んでいただければと思います。
マイナンバーカードを作るメリットを医療機関の視点から解説します。
メリット
①写真付きのためなりすましによる不正利用を防げる。
これは長年健康保険証を扱ってきて日々思っていた事です、初診の方が健康保険証に記載されている方かどうか実際のところわからないのです。
何故なら健康保険証には顔写真が付いていないからです。同年代で性別が同じであれば本人であるかどうか確認する術がないのです。
ある自民党若手議員から聞いた話では、安倍元首相に首相公邸に若手議員が集められお話をする機会があった時に…
主に外国人による健康保険証の不正利用を止めたいという事をおっしゃっていたそうです。
国民皆保険という安価に医療を受ける事ができるこの素晴らしいシステムを健康保険料を納めていない人間にタダ乗りされるのを止めたいという事でした。
私も若い頃に友人づて健康保険料を払っていない為、健康保険証を持っていないという人に会ったことがありますが…
病気したらどうするの?と聞いたところ「友達に保険証を借りるから大丈夫」と言っていたのを思い出しました。
まだ若く社会の事を考えていなかった私はその時は、ふーんそういう奴もいるんだくらいにしか思いませんでしたが…
今思えば、完全に詐欺だし皆が大変な思いをして払っている健康保険料を盗んでいるのと同じなんですよね。
昔からこういう事が横行していたわけです。
②保険証が変更になった時に失効した保険証による医療機関のとりっぱぐれを防げる
退職や転職をした際に健康保険証が変わるのですが、有効な新しい保険証が届くまでにタイムラグがある為古い無効の健康保険証を出す人が度々います。
これやられると医療機関は大変なんですよ、請求した療養費申請が保険証が無効だからと言って返ってくるのが半年後などになる為…
その時には携帯電話は解約してつながらない手紙を出しても引っ越ししてしまっており連絡がつかず…
ただでさえ安い健康保険料も入らないということが起こります。
連絡がついてもその人がいい加減な人間だとなかなか新しい保険証を持ってきてくれなかったりと大変な思いをします。
弊所は自費施術がメインの施術所なので健保でどうしても安く施術を受けたいという層が少なくなったので現在はそういうトラブルはなくなりましたが…
病院なんかはかなりの額の損害が発生していると思います。
③結婚・離婚で名字が変わってもすぐに反映される
これも②と同じ理由ですね。退職等していなければ同じ健保組合や保健者だったりするので再提出すれば入金されますが…
ここからは健康保険証ではないメリットになりますが…
④補助金などをすぐに受け取ることができる
これは健康保険証とは違いますが…銀行口座を紐づける事により、政府や自治体からの補助金の受け取りがスムーズになる。
補助金を配るのも事務手続き等でお金がかかるのです、これが銀行口座とマイナンバーカードが紐づいていれば早く、行政もコストをかけずに安価に国民に送金することができます。
⑤脱税を防げる
マイナンバーを記載させることにより副業等の脱税を防ぐことができる。
個人や法人の所得を一元管理する事により、脱税を防ぐことができるのです。
水商売の方なんて特に申告すらしてない人も多いと聞きます。
⑥不法移民を排除できる
マイナンバーがないと就職も困難になる他、背乗りなど他人の身分を利用して戸籍を乗っ取るなどをしづらくなるので治安が保たれます。
昭和の時代なんかは多かったようです。
⑦住民票や印鑑証明書などがコンビニで作れる
これ地味なメリットです、深夜帯など一部の時間はつくれませんが…忙しくて市役所や出張所に行く時間が無い人なんかは大変便利。
⑧相続の時に銀行口座や証券口座の紛失を防げる
亡くなった人がどこの銀行や証券会社に口座を持っているなんて家族が全部把握している人ってあんまりいないのではないかと思います。
しっかりした人は遺言に残しているのかもしれないですが、大体人は無意識に死ぬことなんてあまり考えないようにしているのでそうしたしっかりした人は少数派です。
マイナンバーがあればすべて紐づいているので相続もしやすいです。
中には通帳も廃棄されてしまい、何百万という預金が相続できずに埋もれてしまったなんて人は沢山いると思います。
これ以外にもメリットはありますが、主なところはこんなところでしょうか。
これに難癖つけて反対している医師もいるそうですが…
私にはただ単に不正がしにくくなるから嫌だと言っているとしか思えません。
また、反対派は不法移民が入るのに賛成していたりと日本人じゃないのかもしれないですね。
それでも心配な方もいると思うので、よくあるマイナンバーカードに対する不安点をあげて解説します。
①政府に個人情報を管理されるのが怖い
これよく聞きますね(笑)紐づける事により勝手に銀行口座を見られてしまうとか…
そもそもマイナンバーカードが無くても警察や税務署は、令状をとったり調査の必要性がある時は個人の銀行口座を調べることが可能です。
個人情報について不安な人はそもそもスマホ自体も使わない方が良いですよ(笑)今や一般的になったLINEも韓国の企業ですし、個人情報なんて筒抜けです。
そういう意味では個人情報を現代で厳格に守る事なんてほぼ不可能だと思います。
そもそも、マイナンバーカードを作成しなくても我々には個人番号が割り当てられているので…マイナンバーカードを作成しなかったり、作成して破棄したとしても番号はついています。嫌なら他の国に帰化した方が良いと思います(笑)
だったら、信頼できる政府にしっかり管理してもらった方が良いと私は思います。
②海外ではマイナンバーなんてない
これは本当にお笑いですが、Xなんかでも言っている人がいますね(笑)
確かにマイナンバーという名前ではありませんが、同じようなシステムは先進国であれば大体あります。
アメリカなんかは社会保障番号なんていいますね、国民登録番号や国民IDなんて呼ばれている国もあるようです。
③健康保険との紐づけが他人にされていたというミスがあったので信用できない。
確かにこれは大変な問題であり修正すべきところであるとは思いますが…
河野太郎さんがおっしゃっていたことなのですが、8000件のミスがあったと海外で言うと…
1億2,000万の人口がいて8,000件しかミスが無い事に驚かれるそうです。
日本は減点方式なので、何かミスがあるとギャーギャー騒ぐので新しい事がやりにくい国なんですね。
新しい事を始めたらある程度エラーがでるのは仕方ないんです。
でもそういう国民性だから、機械製品やサービスのレベルや品質が高いとも言えますが…(笑)
皮肉なもんです。
そのミスも上回るメリットがあると気づいた方が良いです。
こんなメリットがあるのに国は12月以降も資格証明書というものを使ってマイナンバーカードが無くても医療機関にかかる事ができるそうです。
いかにも日本らしいやり方。
資格証明書とやらに無駄なお金をかけ続けるわけです、作らない高齢者達はいずれ死ぬのでそれまで放置という感じですかね。
マイナンバーカードが無ければ健康保険を使って医療を受けられません、補助金や給付金も受け取れません、もしくは資格証明書だと5割負担ですという風にすれば誰もが作ると思うのですが…
レイヤーが違う話ですが、新型コロナウイルス感染拡大で場外馬券場に行けなくなった高齢の競馬ファン達が…一斉にスマホ購入を覚え利用率が増えたという話があります。
どうしても買いたくなれば高齢者でもスマホや新しい事を覚えるんです。
身体的に無理な方は行政がサポートすればよい話だと思います。
皆が払った税金や保険料を守る為のものなので、反対する人は怪しいと思った方が良いと思います。
前の記事 東海道を歩く⑫ 8日目 蒲原宿~興津宿~江尻宿~府中宿 | 鍼灸整骨院あおてあ|八潮市大瀬 (aoteabodydesign.com)
2024年6月11日火曜日
この日もつくばエクスプレス八潮駅始発で向かいます。こだま号は6:30が始発なのでもう少し遅くても良いのですが朝1、2番目の電車は始発なのでゆったり座って行けるので早起きして向かいました。途中で朝食も食べられるので。
こだま号自由席に座る為に先頭車両へ。いつみても美しい東海道新幹線。
新幹線には何度も乗っていますが、18番19番線ホームの先頭、大阪よりのところにあるレンガ造りのレリーフを発見。
この方、第4代国鉄総裁十河信二さんというそうで、新幹線開業に尽力された方なんですね。
右下の文字は一花開天下春「いっかひらいててんかはるなり」と書いてあります。なんでも昔の中国の高僧の言葉であるそうで、新幹線という花を咲かせた事により天下(日本)に春を訪れさせたという意味だそうです。
それぞれの開業日が記載されております。日本が誇る夢の超特急、東京大阪日帰り出張も簡単にできるようになりました。
この日はA席に座り海側の景色を見ながら行きました。時間は7時55分通勤通学の方が沢山。
前回の清見寺で幼い頃捕らえられていた、竹千代君(徳川家康)と近年再評価されている今川義元。
現代の日本人て戦国時代とか好きですよね、戦乱で大変な時は英雄が生まれる訳ですが…
戦争を知らない子供たちさ~♪という昔の歌がありましたが、現代では大人でもほとんど戦争を知りません。
知らないから戦いにロマンを感じてしまうのかも…
静岡駅の北側の国道一号線には横断歩道がないため、通勤の人々にまぎれ地下道を通ります。
さくらももこさんのイラスト。静岡は本当に良いです、南海トラフ地震だけが不安点ですが。
せっかくなので家康公が大御所として過ごした駿府城公園を見たいと思い歩きます。
繁華街です、とんでもない髪の色をした若者が地面でヨレています。博多の親不孝通りみたいな感じでしょうか。
昔は岡場所だったのかなぁと想像し歩きます。生ごみのにおいが…
石垣の中に県庁があり、職員と思われる方々が吸い込まれていきます。
申し遅れましたが、府中宿は19番目の宿場町になります。
この辺りはオフィス街ですね。
とてもレトロで重厚感がある静岡銀行、昭和6年の建物で現在も本店営業部として使われているそう。
ここは小学校の校庭とつながっており、柵はなくチェーンで仕切られているのみ。
なかなか珍しい作り、不審者が入ってきたらどうするんだろうと思いましたが柵があったって入ろうと思えば入れるので防犯上は問題ないのかもと思いました。
近くの会社では外でラジオ体操をやっていました、皆さま気だるそう。お疲れ様です。
ここは弥勒という地名。みろくと読みます。
由比の宿場に生家があった由比正雪の墓碑、ここに埋葬されているわけではなくこの先の安倍川で処刑されたからここにあるのでしょう。
その碑の裏にこちらの石碑が、明治天皇はこちらでも休まれたみたいですね。
安倍川のそばということで間の宿であったと思われます。
有名な安倍川餅屋、朝だったので諦めていましたが、あと5分で開店ということで待ちます。
安倍川餅屋は見たところ二つあり、手前のお店と橋に近いお店の間にこのような碑がありました。
なんでも、安倍川は歩いて渡れる川であったのですが身分が高い人などはお金を払って肩車をしてもらったりしながら渡ったのだそう。
その人夫が、自力で渡っている旅人が落としたお財布を拾い追いかけ、宇津ノ谷峠に向かっていた旅人が財布を探しに戻ってきたところで財布を返したそうで。
感激した旅人がお礼を渡そうとするも、人のものを返すのは当たり前の事だと受け取らなかったとのこと最終的には旅人は奉行所にとりもってもらい受け取ってもらえるように頼んだが頑として受け取らず。結局奉行所はその心意気に人夫に褒美を渡したそうです。
労働者にも矜持があり、人の道に外れた事はしない、困っている人は助けるのが当たり前という素晴らしいエピソードですね。
こういう心は持ち続けたい。
安倍川餅屋が9時にオープンしたのでお店で食べさせてもらいました、寡黙な店主ですが悪い感じではなく居心地よい店内。
餅は毎日ついているらしくとてもおいしい。
次回は隣の店にも行ってみたい。
食べ終わり安倍川橋を渡ります。安倍川は水量が少ないので徒歩渡しだったそうですが、大正12年にこのトラス橋が完成。
立派な橋です。歩いて渡れるとは言えずぶぬれになって渡っていた川が濡れずに渡れるというのは当時は物凄い進歩だったのだと思います。
国道一号線の駿河大橋、東海道線、東海道新幹線の橋梁が見えます。
安倍川を渡る人々 御神輿みたいなもので渡るのは高価であったのでしょうね4人も人を使っています。 屋根付き、江戸時代のファーストクラス。
反対側から府中宿を望みます。真ん中の高い建物は恐らく県庁だと思われます。
ここで国道一号線に合流。このエリアはかみかわ陽子さんの選挙区。
県知事選の応援演説で、候補者を県知事にするという比喩表現で女性が産まずして何が女性でしょうかという発言を左翼やフェミニストたちが激怒。
炎上しました。まああまりいい表現とは言えないと思いますが(笑)
理解力があれば上川さんの真意は伝わるはずなんですね。
それを、子供を産めない女性だっているんだ!女性は出産する機械じゃないぞ!なんて事を騒いだという事が記憶に新しいです。
なんでも配慮配慮でそんなに息苦しい世の中にしたんですかね。ほんと謎。
野党は追及追及で予算委員会でも与党の足を引っ張るばかりで、肝心な予算が決められず政策が進まなくなっているという…
ただの揚げ足取りに見えてしまいますね…誰のための政治なのか。
国道一号線の側道に入り、少し進むと鞠子宿の江戸方の見附に到着。
20番目の宿場町鞠子宿(丸子宿)に到着です。
石垣があり神社があります。馬頭観音というそうです。
丸子宿は当時の物はあまり残っていないとのことで、歩道もない旧街道を避け併走する丸子川沿いの遊歩道を歩きます。とても良い雰囲気
こちらも地元の高齢者達が歩いています。
この道は海沿いの御前崎まで行けるそうで、たまにロードタイプの自転車に乗ったサイクリストが通ります。
遊歩道沿いに地元の方が作った野菜が置いてある箱がいくつかあり… じゃがいもを購入、とてもおいしかったです。
枝豆も買いたかったですが歩いているうちに熱されて腐ってしまいそうなのでやめておきました。
まだ営業時間前だったので残念ながらスルー、あと30分ほどでオープンだったんですけどね… ただこの先でとろろ汁を食べられる場所があるのでそこまで我慢。
サイクリスト達は川沿いに向いますが私は旧街道を歩きます。今思えば川沿いに行ってもよかったです。
のどかな風景から一転、バイパスに近づくにつれいくつかラブホテルがあります。
静岡市近辺の方々は地元じゃ目立ってしまうのでここで逢引きをするんでしょうね、中々地元のラブホテルは入りづらいでしょうし。
唐突ですが私は不倫てアリだと思っています、夫婦間が冷え切っているけど様々な理由で離婚できない人もいるからです。
どうせ冷え切っているなら愛してくれる人がいれば、癒されるし精神的にも安定すると思います。
もちろん家庭をかえりみず生活費も入れず不倫相手に入れ込んでしまうのは考え物ですが…
なぜ民法で禁止されているのか、チャットGPTに聞いてもきれいごとを並べるだけで私を納得させてくれません。
バレるような不倫はやめた方がよいと思いますが他人の不倫を叩く風潮は謎です。
当事者が怒るのはわかりますが…
もちろん不倫をしないで夫婦仲睦まじく人生を送るのが理想だとは思います。でもストレスで具合が悪くなるくらい仲が悪い、でも事情があって離婚できないそんな人は不倫しても仕方ないという話です。
こんな事言っても理解できない人はいると思いますが、私のように声高に言えないだけで思っている人は少なくないと思います。
夫婦といっても所詮他人ですからね。
書いても私の商売上では損しかない事を思っているとバイパスにでました。
まあ、これを理解できないで怒るような人は来てくれないでいたほうが楽なので来なくて良いです。
見えている山が宇津ノ谷峠です。
ものすごい高いところに足場がありそこをトラックが出入りしています。
なんだろうと思っていると
地すべり対策の工事をしているようです。安全な道路を保つためにものすごくお金と労力をかけているんですね。
日本のインフラはすごい。
旧東海道を歩くために歩道橋を渡り反対側に渡ります。ものすごい交通量
宇津ノ谷峠は平安時代からあるつたの細道、戦国時代に豊臣秀吉が切り開いた旧東海道、明治時代のトンネル、大正時代のトンネル、昭和時代のトンネル、平成時代のトンネルと各時代のルートが現存する珍しい場所です。
この度は基本的に江戸時代の道を歩くようにしているのですが、明治時代のトンネルを見てみたかった為、明治時代ルートを選びました。
全部で2,000円もしなかったと思います、リーズナブルだけどしっかりおいしい。藤枝側の道の駅は売店しかないので食事はこちらでとった方がよいです。
食後は隣に飲食禁止の休憩所があったので、1畳くらいの畳のような台の上でストレッチ&仮眠をさせてもらいました。
暑いからか少しフラフラしていたんですよね。
この静岡側の下り線側の道の駅に平安時代のつたの細道の入り口があります。
今度は装備を整えてこちらを歩いてみたい。
江戸時代、明治、大正ルートは歩道橋を渡って反対側にでます。
この下り側のバイパスのトンネルが平成のトンネル、とても立派。これをくぐればあっという間に宇津ノ谷峠をスルーできるのでしょう。
左の陸橋の下には自転車乗りの方々が駐車して出発していました。
平日だという事もあり人が全然いません、今は円高の影響もあり各地で外国人観光客があふれていますが…
ここはまだ知られていないのか外国人が全然いません、旅行はこういうところを選んでいくのが良いと思います。
オーバーツーリズムでうっとおしいですからね。
見た目は綺麗だけど、住むとなると結構大変そう。昔は鞠子宿と岡部宿の間の宿だったのでしょう。
右に行くと戦国時代江戸時代の旧東海道、左に行くと明治のトンネル。
今日は少し楽をします。
若い世代がどれくらいいるんでしょう?いつまでも残してほしいですが…
宇津ノ谷峠のジオラマ 近くにトイレがあったので拝借、本当に人っ子一人いません。
いよいよ明治のトンネルです。車一台くらいなら通れそうですがここは歩行者専用になります。恐らく自転車は大丈夫そう。
夕方には電気も消えてしまうそうです。
iPhoneのカメラの性能のおかげでとても明るく見えますが実際はものすごく薄暗いです。
滅茶苦茶怖い、ガタイの割に怖がりなワタクシは後ろを振り返る事もできず早歩きで歩きます。
13時ですが人がいません。
トンネルを抜けるととても清々しい
岡部宿の浮世絵ということですが正確には岡部宿はもう少し先です。
鬱蒼としています。サンダルなので枝を踏まないように進みます。
まだ車も一般的ではない時代、人力車が通ることができるトンネルができただけでもかなり便利になったんでしょうね。
さらに下るとバイパスにでました、こちらは上り線昭和のトンネル。たまたま車が写っていませんがかなりの交通量。
岡部側の道の駅に足つぼ施設が!結構荒くて痛いですがかなり疲れが取れました。
静岡側に比べると簡素な作り、お土産とパンなどが売っているだけでしたがアイスのクーリッシュを購入しベンチで食べます。
右側の山の藪の奥からドッカンドッカン大砲を打つような音がしてました。
自衛隊の演習場でもあるのかと地図で見ましたがそのようなものは見当たらず…あの音はなんだったんだろ。
山の中にある新東名道路の騒音だったのかな?
住宅街を抜け歩道が狭い県道を歩いていると枡形跡がこの辺りが江戸側の見附みたいですね。
21番目の宿場町、岡部宿に到着です。
左の県道沿いに行く方が近道ですがここは旧東海道に倣って右側に進みます。
お灸をやるお寺がありました。調べてみると1594年に開山された専称寺では、江戸時代の学僧幡随意上人から伝授された灸療法を代々の住職が受け継ぎ、「一ト火灸(ひとひきゅう)」として施術していて「お灸のお寺」としても知られています。お灸をすえると旅の疲れが和らぐとして、参勤交代の大名や武士など多くの旅人が施療に立ち寄り、評判を集めたそうです。
鍼灸は古くから人々を身体を癒していたんですね、この令和の世にも受け継がれていると思うとなかなかロマンがあります。
岡部宿は小さい宿場町ながら無事宇津ノ谷峠を越えた旅人の安息の地だったそうです。
京から江戸に向かう旅人も夕方についた人はここで宿をとったのでしょう。この辺りでまだ16kmくらいでしょうか、今日はいつもよりきつい。
お休み処になっており、中でスマホを充電させてもらいながらアイスコーヒーをいただきます。
ちょっと頭がクラクラするので20分ほど休憩。店員の方にあまり無理しないでくださいと心配していただきました。
中は芝生の広場ですが、入り口の門は再現されています。
消防小屋の横にサインが…次は藤枝宿 2009年から岡部宿は現在は藤枝市になっていますので市内には入っています。
藤枝はとても広いんですね。
小さい橋のたもとに何か書いてあります、なんでも晩年に小野小町が岡部宿に宿をとった時にこの橋から夕陽に染まる西山の風景にみとれていたところ、ふと水面に目を移すと長旅で疲れた自分の老いた姿がうつっていてそれにショックを受け嘆き悲しんだとのこと。そのエピソードから宿場の人々は小野小町の姿見の橋と名付けたそうです。
なんだかんだ平安時代もルッキズムに侵されていたんですね(笑)
形は変えているのでしょうが平安時代からあるというのはなかなかすごい。
ふと地元の神社があったので今日はまだお参りをしていなかったという事もあり参拝させていただきます。
関東平野の平地に生まれ育ったからか、斜面に作られた神社にとても惹かれるんですよね。(笑)佐護神社というそうです。
正面のにあるのが本殿かと思ったら物置らしかったので中腹にあるこちらにお参り。
賽銭箱が無かったので代わりにゴミを拾っていくことにしました。
ゴミはどこにでも落ちていますからね。
再び旧街道へ、道路が加工されております。しかし、暑いししんどい…
再び県道へ合流、交通量がある県道を歩くのは空気も悪いししんどいのでこちらの藤枝市役所岡部支所の横を抜け岡部川沿いを行くことにしました。
恐らく昔の町役場でしょう。帰宅途中の元気な小学生たちがおりました。
吊り橋のような橋があったので渡ってみましたが特に何もなかったです。
ここもサイクリングロードになっているようで、自転車乗りのおじさん達とすれ違います。
今日はほんとうにしんどい、ちょうどよい階段があったので股関節のしつけと水分補給。
この辺りから岡部川は朝比奈川と合流し朝比奈川になります。
どくだみの葉っぱがものすごく茂っています。先輩のお墓もどくだみすごかったなぁと思いだしました。
時間は15時20分
宇津ノ谷峠の平成昭和のトンネルから続く道路ですね、こちらを車でいったらあっという間なんでしょうね~
ここも下校途中の小学生たちがいます、挨拶をしてくる子としない子がいますが女の子は挨拶しないようです。
まあ、女の子はそれくらい警戒心が強い方が良いかもしれませんね。
この辺りは横内という間の宿だったのか掲示がされています。岩村領という場所だったそうです。
この先に小学校がある感じですね。
細かい文字が書いてありましたが疲れていた為、スルー
この辺りの水質はあまり良くなさそう。
ベンチがあったので股関節のしつけ、時間は16時。本当にしんどい
自転車の中学生が挨拶してくれます。
大きいスーパーもあり、新しめの家が並びこの辺りは新興住宅街な感じですね。水守中央公園というそうです。
ここにも足つぼが!もちろん二往復します。足裏がとても楽になります。
先日、27時間テレビのサバイバルマラソンのトレーナーの仕事をしてきましたが、この経験が役に立ちランナーの方の足裏のケアを重点的にやりました。
足根洞という部分を広げてあげると老廃物がながれやすいのです。
県道を渡り住宅街を歩いていくと商店街になります。さわやか通りからちとせ通りと名前を変えます。
お店にあったポスター、日本代表のキャプテンを長く勤め、最近引退しドイツでコーチをしている藤枝の英雄長谷部誠さん。
この近くに母校でもある名門藤枝東高校があります。ゴン中山さんの母校でもありますね。
さすが日本のブラジル
藤枝宿は日本橋を出て22番目の宿場町となります。
この辺りは問屋場跡 藤枝も都市化されているので昔の物はほんとんどないですね。
恐らく浮世絵の場所はこの辺り、人馬継立。ここで人馬を交換し荷物を受け渡していたとのこと。物流は飛脚もそうですがリレー形式だったんですね。
到着して荷物を降ろしているグループと出発しようとしているグループが描かれております。
綺麗な公園があったのでここでも股関節のしつけ。脚がとても痛い。
岡出山小路というそうです。
時間は17時、もうひとふんばり。
上伝馬交番、おそらく地図で見るとこの辺りが本陣だったみたいです。
橋の手前が京側の見附っぽいですね、西木戸跡と書いてあります。
その先に行くと岡野繁蔵さんという方の碑が… 明治時代にここで生まれ、インドネシアのスマトラ島でデパートや貿易で栄え南洋のデパート王の異名を誇ったそうです。
太平洋戦争で日本に引き揚げ、その後衆議院議員として地元に貢献したそうです。
「希望に起き感謝に眠れ」を信条としていたそうです。良い言葉ですね。
駅周りは、スナックやキャバクラのようなお店が多かったです。地方都市あるあるですね、その他のお店はなんだか静かでした。南口はまた違うのかもしれませんが…
時間は18時、静岡駅まで在来線で向かい駅で食事をしてこだま号で帰宅しました。
約30km暑さもありかなり疲れました、熱中症対策として9月まで休もうと思います。
ゴールは来年以降になりそうですが、ゆっくりやっていきます。
2024年6月11日火曜日 府中宿~鞠子宿~岡部宿~藤枝宿
29.76km 10時間2分
八潮-秋葉原 往復 942円
秋葉原-東京 往復 292円
東京ー静岡 5,490円
藤枝-静岡 420円
静岡-東京 6,140円
飲食 3,000円くらい
合計 16,284円
総計 89,329円
次の記事 しばらくお待ちください。
眠れない時ありますね私もありました、あー明日ゴルフなのに眠れない。旅行で早起きしないといけないのに…
など。
以前は、ゾルピデム(マイスリー)を服用したりもしました。
あくまでも個人の体感なのですが、ゾルピデムは非ベンゾジアゼピン系の薬で短時間型で比較的翌日に眠気が残りにくいとされているものです。
ただ、私は薬の類は普段から飲まないのもあり…次の日に眠気というかボーっとする感じが残ってしまうんですね。
なので飲むのをやめました。日常的に飲んでいたわけではなく、眠らなければいけない時にのみ飲んでいたので幸い離脱症状などはありませんでした。
あとは、なにかミスをしてしまったりしたときに何度も悪い事を想像したり思い出したりして眠れない時なんかもありましたね。
最近でもありました… 恥ずかしながら。
健康に見える私でもこういう事がありますので、これを読んでくださって似たような悩み、私より深刻な悩みをお持ちの方も気に病む必要はないと思います。
誰にでもあり得ることなのです。
ただ、私はそういう時でも現在ではしっかり眠れます。
結構有名なのですが、米軍特殊部隊が使っている入眠法です。
戦地に潜入してどこに敵兵がいるかもわからないなか睡眠しなければならない彼らが行っている方法です。
YouTubeなどでも沢山でてきます、方法は本当に簡単なので試してみてください。
私は昼休みに15分だけ眠りたいという時も使います、ほぼ100%に近い確率で眠ることができます。
慣れもあると思います、私も最初は半信半疑でやってみてなんだ眠れないじゃんとやらなくなりました。
行徳のゴットハンド渡辺先生に呼吸法をまじえたこの方法をレクチャーしていただき体得する事ができました。
センスがある人ならYouTubeのみで眠れるようになるかもしれませんが…
もしお困りなら弊所の超快眠施術を受けていただければ、施術の中で呼吸法の指導もさせていただいております。
当院の患者様にもとても好評です。
私たちは、患者様の根本的な原因にアプローチし、根本的な改善を目的として治療を進めていきます。薬によって症状は抑えられますが、薬がないと症状が再発したり、副作用で別の症状が出たりするリスクがあります。
また、私たちは患者様に「卒業」していただくことを目的に治療を行っております。いつまでも通院していただくことを目的に治療するわけではありません。もちろん、症状の改善や患者様ご自身がなりたい理想の状態になるまでには、ある程度の通院は必要です。しかし、いつまで経っても良くならない、症状が改善しているにも関わらず理由を並べて長期間通院させるようなことは一切いたしません。
患者様からいただいた情報を基に、しっかりと治療のゴールを設定し、そのゴールに向かって最短・最速で到達できるように最適な治療を提案・提供いたします。そして、ゴールに到達した際には「卒業」となります。
※卒業後もメンテナンスとして通院を希望される方は、大歓迎です。
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2024年5月14日火曜日
天気は朝は曇りですが晴れてくるという事で4月2日以来の東海道ウォーク
今日はこの☆印の新蒲原駅から静岡駅を目指します。
今回の旅からは新幹線を利用します、少しでも安くする為にJR東海のアプリEX予約を使います。
前もって予約をすれば安くなり、紐づいたsuicaやpasmoで切符要らずで乗車できるのでとても便利。当日で空きがあれば別の新幹線に変更する事もできるので予定が早く終わって早い新幹線で帰りたい、逆に遅れそうなので後の新幹線に変更したいという場合にも大変便利。
東京駅でこだま701号名古屋行き6:30発に乗車。こだま号は自由席が多く東京駅は始発なので久々に自由席に乗車。
東京駅ではさほど乗車率は高くありませんでしたが…新横浜駅ではA,C,E席は埋まっていました。三列シートの真ん中のB席って座りにくいですよね、あからさまに嫌な顔されそうだし… 皆さまビジネス利用の方がほとんどだと思います。ただ道楽で歩きに行くワタクシは少々肩身が狭い…トイレに行くとデッキで立っている方もチラホラ。
7:37新富士駅に到着、一時間ほどで着いてしまうんですね~これは楽でいい。普通列車で東海道線を下ると東京駅をこだま号より30分早い5:55の電車に乗っても7:30は小田原駅くらいですのでいかに新幹線が早いのかわかります。
この新富士駅、1964年昭和39年の新幹線開業時には無い駅でした。東海道新幹線では唯一、JR在来線、私鉄にも接続していない駅の為、関東や関西から行く一般の旅行者は中々行くことはない駅だと思います。私もこのような機会がないと降り立つ事もないと思ったので初めて利用してみました。
1988年周辺の自治体や企業、住民の要望でできたいわゆる請願駅という事になります。静岡第三の人口を有し、沢山の工場もありますから地元の悲願だったのでしょう。
前回も書いたように創価学会の力も大きかったようです。
源平合戦の水鳥が羽ばたく様子などが描かれた絵画。
JR東海に勤める友人に「我が社の最新式の券売機がある」と言われていたので色々遠隔でサポートしてくれる券売機を撮影。
よほどのことが無い限りもう二度と降り立つこともないでしょうから駅を撮影。
修学旅行なのか沢山の学生たちがおりました。
ここからJR富士駅までバスで向かいます。小さいタイプの富士急バスに乗ります、190円。
15分ほどで富士駅に到着、電車が遅れていたらしくホームにはすごい人…朝8時なので学生さんが沢山、静岡駅まで行くのでしょう。
新蒲原駅まで二駅なので満員電車でも我慢できます。
新蒲原駅に到着、ここで降りる人はあまりいませんでしたね。
左足首に鈍い痛みがあったのでベンチに座って自分でアライメントを整えます。まあ温まればなんとかなるでしょう。
住宅の間を抜け
素敵な水路、奥には神社が見えます。
西本陣平岡本陣跡、写真を撮った直後に住民の方がゴミを袋を持って出てきたのでビックリ。住まれている方がいるとは存じ上げませんでした、大変失礼いたしました。
大正三年に洋館風味に建てた五十嵐歯科医院さん、今は診療していないようです。ガラスが波打っています。
宿場町の両端は鍵型に折れ曲がっており、敵が攻めてきた時に宿場を見渡せないようになっておりその名残りですね。
地方あるあるなのですが、独特のにおいがします。恐らく下水道が整備されていないので浄化槽の家が多いのだと思います。
勝手に歩かせてもらっているので文句は言えません。
再び県道にでます。桜エビを売っている魚屋さん、次の由比宿は桜エビが有名。
前回蒲原宿の手前で橋を渡って交差した東名高速道路を今度はくぐります。
東海道16番目の宿場町 由比宿に到着です。 蒲原宿と由比宿の間は短く1時間ほどで到着しました。
一里塚のそばの電柱に日本一桜えびのまち由比と書いてあります。桜えびのかき揚げなんて最高でしょうが今はまだ朝九時。
そこまで古いものではないと思いますが、街道の雰囲気を残した木造家屋が良い感じ。
由比本陣公園 本陣があったところが資料館やレストラン、歌川広重の美術館となっておりぜひとも中を見たかったですが美術館は時間の関係で断念。
とてもきれいな庭が整備されており、ベンチがあったので股関節のしつけ。これをやるのとやらないのではだいぶ違います。
本陣公園の目の前には正雪紺屋という染め物などを扱っているお店が…
由比正雪とは3代将軍家光が亡くなった時に幕府政策の批判と浪人の救済として幕府転覆を図ろうと挙兵したが、密告され捕らえられそうになったところ自刃したそうな。
出自については諸説ありますがここが生家と言われているそうです。
まあ幕府からしたらテロリストということだったのでしょう。平和に見える江戸時代も色々あったんですね。
国の登録有形文化財に登録されている清水銀行の油井支店本町特別出張所
西洋風の立派な外観
前回の反省を踏まえ新幹線で日焼け止めをつけてきました。特に首がヒリヒリ痛くなってしまうんですよね。
海側は手前から東海道本線、国道一号線富士由比バイパス、東名高速道路が通っています。
あまり車が通らない旧街道に比べてあちらはビュンビュン車が走っております。
工場があったので何気に目をやると、あの有名ないなば食品さん。
シーチキンや様々な缶詰で有名。
生の桜えびやシラスが買いたかったですが今日は道中暑くなりそうなので、天日干しにされた桜えびを購入。
これなら腐らないですみそうです。レジのおじさんに行ってらっしゃいと言われました、ここからはさった峠になりますし歩く人も多いのでしょう。
すれ違った中学生~小学校高学年くらいの集団に大きな声で挨拶されました、とっさに私もおはようございます!と挨拶。
海なし県に生まれ育つと海を見ると近くに行きたくなるのです。
住宅のすぐそばを通る東海道本線、電車来ないかと思い諦めて進もうとすると。
柵もないし撮り鉄にはたまらないスポットではなかろうか…
撮り鉄は常軌を逸した行動をとる方もいますが…どんな趣味でも行き過ぎて頭がおかしい人って一定数いますよね…
ただ撮り鉄の場合は限定列車などが走る時は一か所に数が増えてしまうので余計に異様に見えます。
コロナ禍で観光客がいないと嘆いていた京都も、今は外国人だらけでオーバーツーリズム。キャパシティを超えた数になると嫌われちゃうんですよね。
どんなものにも適度な数というのはあるので、旅行は空いている時期と場所に行くのが大事。
楽しめなくなってしまうし、地元の人にも嫌われたくないですからね。日本人は他人に迷惑をかけない素晴らしい民族だと思うので心がけたいものです。
トンネルを抜けると、港があります。
漁港に食堂があるそうですが、残念ながら火曜日は定休日。
バイパスから出ようと思ったら、歩行者自転車立ち入り禁止なので仕方なく戻ります。
戻ろうとすると小さいトンネルが…これでバイパスをくぐれそうです。
由比駅は見えているのにこちらに入り口はありません。仕方なく来た道を戻って旧東海道に復帰します。
かなり時間をロスし、ベンチがあったのでここで水分補給&股関節のしつけ。
以外にも駅に向かう方々がおります。車社会とはいえ一定数電車を使う人もいるようです。
由比駅を通過、田舎の駅あるあるで歩行者が通る歩道とロータリーの間に柵がありません。
道路をそのまま横断しても行けそうでしたがここは歩道橋を使います。
この辺りで赤いaquaが横付けしてきて窓を開けて運転席の高齢男性が何か言ってきました、そちらを見ると無言。助手席の奥さんらしい人も無言。
そのまま通り過ぎました。なんだったんだ
この先の桜えび、磯料理くらさわやさんという料理屋の前にすごい数の人。皆、高齢者。11時開店を待っているようでした。
さっきのおじさんもここに来たくて道を聞きたかったのかな?名店らしく美味しそうでしたが今回は断念。
グーグルマップの口コミも4.0、さぞやおいしい料理が食べられるのでしょう。
今日のお参りはここにしよう。
すごい急な階段。先月金毘羅山に行った時に1,368段の階段を上り奥社まで行きましたが…
苦労しないとたどり着けない神社ってご利益がありそうな気がしてしまうんですよね(笑)
見返りを求めてはいけないのですが…おかげで奥社で会ったオランダ人の学生と仲良くなり連絡先交換しました。
とても良い景色。おそらく今、東名高速やバイパス、東海道本線が通っているところは海、もしくは海岸線だったんでしょうね。
この高台にないと津波で家々も流されてしまうのでしょう。
台風の時期なんかは東名高速道路も通行止めになり、ものすごい波が道路に打ち付けられている映像をニュースで見ることができます。
古い民家が立ち並び良い雰囲気。この辺りになるとさった峠を目指す人がちらほら。
軒先に甘夏が売られているのも静岡らしい光景。
さあいよいよさった峠に入ります。さった峠は薩埵峠と漢字で書くのですが、私のPCでは変換されません。面倒だし初見の方は読めないと思うのでひらがなのまま書きます。
富士川を渡った後の坂、岩淵以来の上り坂。
周りは果樹園になっており、盗んでしまう不届きものがいる為か、盗難防止の看板が設置されています。
びわや甘夏が沢山なっており、普通に枝からもぎ取れる距離にあります。モラルがない移民が沢山入ってきたらもっとひどい事になるでしょう。
買おうとするとビワって結構高いんですよね、それもそのはず虫よけの為かひとつひとつの果実に紙製のカバーがついています。手間暇かかるんでしょうね。
下は東海道本線、国道一号線バイパス、東名高速道路が通っております。
そちらを行けばあっという間に静岡市方面に抜けられると思いますが、みてわかるように高速道路は海の上に橋脚をかけて走っています。
当時は断崖絶壁で海沿いには人が歩ける状態ではなかったのでしょう。
新潟県と富山県の県境にある親不知子不知(おやしらずこしらず)と並び称されるほどの断崖絶壁。
一緒に歩いている親や子を心配する余裕もないくらいの険しい道だったようです。
戦国時代に武田信玄軍と今川氏真、北条氏政の軍勢がこのさった峠で合戦を行ったそうな。
室町幕府の時代にも合戦があったようです。
それだけ交通の要衝であったのでしょうねぇ。こんな崖で戦ったら刀で切られて死んでしまうより落ちて死んでしまった人の方が多そう。
逆光で何が書いてあるかわからないと思いますが、さった峠を示す石碑。
手すりもないし間違って落ちたら大変な事になりますね。
峠の休憩所に到着、車やバイクで来ている人がチラホラ。ウォーキングの高齢者達も座って休憩していました。
左端に富士山、今まで歩いて来た富士市、沼津市、三島市、箱根の山が一望できます。我ながら良く歩いて来たなぁと感慨深い。
本来であればこの先は歩行者しか行けないハイキングコースがあり、展望台まで行けるのですが。
残念ながら現在は崩落してしまっており、復旧は来年の3月になる見通しだそうです。
脇を通って行けてしまいそうですが、命も惜しいですしもういい大人なので皆様に迷惑をかけるわけにもいきませんのでおとなしく引き返します。
どうやら熊がでるようです、気をつけねば。
ハイキングコースをいけないので道路を歩いていきます。新緑がまぶしい。
下りきったところにコンクリート屋さんがあり、そのそばに興津川にかかる新浦安橋があります。
新浦安というとディズニーランドの近くのJR京葉線新浦安駅を思い出します。
結構流れが強いです。昔はこの川を渡るのも大変だったんでしょうね。
上は東名高速道路。
この辺りは住宅街。興津駅に向かう道路の道幅が旧街道くらいのサイズだったので調べてみると、やはり身延道という山梨に抜ける旧街道でした。
駅前のベンチで水分補給と股関節のしつけ。
時間は12時過ぎですがあまりお腹は空いていません。朝沢山食べましたからね。
こんなに抹茶が濃いのは初めて、ハーゲンダッツの抹茶を超える抹茶アイスがこの世にあったとは!
街道沿いは空気が悪いので海沿いの公園を歩きます。塀の向こうはバイパスの一号線、その向こうには物流倉庫があり巨大なクレーンがいくつもあります。
日本有数の港町清水港はもうすぐです。
これはいいとサンダルを脱いで歩くもめちゃくちゃ痛い。手すりにつかまりながらもなんとか踏破。
その時はとても痛いのですが、そのあとはものすごく軽くなります。ビルケンのサンダルで歩くことにより足底筋をかなり使っているので疲労がたまっていたのでしょう。
地元では恥ずかしくてできませんが、周りに誰もいなかったのもあり使わせてもらいました。
トイレットペーパーを持ち帰らないでという張り紙… こういうところのトイレットペーパーって硬い質が悪いものが多いと思うのですが…
それを持って帰ってしまう人もいるんですね。わずか何百円もケチりたいという人は一定数いるようです。
無料で使える施設って質が悪い人も来てしまうので往々にしてこういう事がおこりがちです。
私もケチですが人に迷惑をかけるケチはあかんです。ケチは正しく行いましょう。
再び歩いていると再度足つぼ設備を発見、しかも前回のものより大きい。
靴下ごしでもかなり痛い…
かなりスッキリしました。
すぐそばのイオンで伊藤園が販売している静岡茶を購入。恐らく静岡限定商品、とても安く買えてうれしい。
清見寺です。敷地内に踏切があります。
奈良時代に創建され、今川方の人質となった徳川家康幼少期を過ごした場所でもある歴史ある寺院がなぜこんなことになったのかというと…
文明開化の明治時代に鉄道を作る際にルートに入ってしまった清見寺に鉄道が通されてしまいました、国からお寺に謝礼金が支払われたのですが時の住職がそれを全額「どうぞ新しい日本国の為にお使いください」と返納したそうです。
今も昼夜、人や物品が行きかう日本の大動脈を担っていることを考えると、当時の住職さんはとても立派な方だったんだなと思います。
宗教人の鏡ですね。
現代日本では宗教というとネガティブにとらえられることが多いです。
ねずみ講のように人から金品を巻き上げるカルト宗教や一昔前にメディアにも出ていた高級外車を多数所有するようなお坊さん、税制的に優遇されている宗教法人への反感があるのだと思われますが…
世のため人の為に宗教活動している方もいるんですね。
あまり時間もなかったのですが、ここは見学したかったので寄り道。
東海道線は旅客電車、貨物列車がよく走っています。
豊臣秀吉が北条氏征伐の際に陣鐘として使用した梵鐘。
もっととっても良さそうな気がします。
写真を沢山とってくださいね~と係りの女性の方に言っていただきました。
確か、明治天皇がご休息された場所だったかと…うろ覚えですみません。
本堂裏にある家康の部屋。とても狭いですね…わずか六歳の子供を人質として差し出さなければいけないってどういう感覚だったんでしょうね。
昔は10代の娘を政略結婚させたりと今では信じられない事が行われていたようですが。
時代は違えど我が子をそのようにするのはとても辛い事であったと思います。
水は淀んでいますがきれいな庭園。手入れも大変でしょうね~雑草はすぐにはえてくるでしょうし。
とてもよい香りがお寺の中に漂っています、そのお線香が売られていたので購入。買っていく人がとても多いのだとか。
二階からの眺め、物流倉庫に阻まれていますが昔は港が一望できたのだと思われます。
先ほどの梵鐘。太平洋戦争時には多くの鐘が軍に接収されたのですが、こちらは歴史的な価値も高い事からそのような事はなかったようです。
長居し過ぎてしまいました。時刻は13時36分、先に向かいます。
階段の途中にも民家があり…道路にも面していない為、宅配の人は車を降りて台車で運んでと大変だろうなと思いました。
歩行者専用の踏切を渡り、東海道に復帰。一路府中を目指します。
何気なく撮った写真なのですが、実はここは昭和の大事件の現場だったのです。
この踏切を渡った左側に、空き家があるのですが…目の前に通った時、空き家があるなと妙に印象に残っておりました。
私はその事件のことは良く知らなかったのですが、この数日後のニュースで知ることになりました。
1966年昭和41年に起こった袴田事件の現場だったんですね。
味噌工場の専務一家4人がめった刺しにされた上、放火されたという大変凄惨な事件であったそうです。
従業員であった元ボクサーの袴田さんが逮捕され、先日死刑が再求刑されニュースにされていたんですね。
現在も鹿児島県警の不祥事のもみ消し問題などありますが、当時の警察の取り調べは今と比べ物にならないくらい大変杜撰なものも多く、検察が出した証拠の衣類が袴田さんのサイズと合わないなど冤罪説が信憑性をおびてきており…
現在でも論争が続いております。
ネットで見ると、家族の中で唯一被害に巻き込まれなかった長女がたまたま帰省して祖父母の家にいたなどありますが…真相は闇の中です。
今なら防犯カメラやDNA鑑定などでわかるのかもしれませんが…
今ある空き家は事件後に生き残った長女が再び建てて住んでいたそうですね。それはそれですごい話ですが…
再び国道に復帰。
ここからは都市化していき正直つまらない道のりになり、とてもつらかったです。
静岡県知事選の前だったので選挙ポスターが貼ってありました。
リニア早く通してほしい。
健康にはり、新幹線からもよく見える建物です。
行ってみるととても静かで扉もしまっておりました。
もう一つ建物があったのでそちらに行ってみるとこちらも営業はしていない様子。
ネットで調べると、内陸に新社屋を建てたのでそちらに移転してしまっているそうです…
運が良ければ見学させてもらいサンプルやリンちゃんグッズをもらおうと思っていましたがとても残念でした。(セコイw)
いつも使われている鍼がどのように作られているのかいつか見学に行ってみたいと思いました。
路線バスのベンチを借りて股関節のしつけ。
時間は14時30分
無縁さんの碑 街道で行き倒れた方を地域の方が近くの寺院に埋葬した歴史があるそうです。ここで埋葬されたわけではなさそうです。
この辺りは松並木があったそうです。
18番目の宿場町、江尻宿になります。
こちらは港があった為か駿河の国で府中宿に次ぐ二番目の宿場町として栄えたそうです。
スマホの充電が心もとなかった為、清水駅そばのマクドナルドで1時間ほど小休止。
20時台の新幹線を予約してあるので少しゆっくりします。
16時になったのでぼちぼち出発
宿場はやはり鉤型になっており宿場の中が遠くから見渡せなくなっております。
高度経済成長期からバブル期には栄えたと思われる商店街。頑張って営業しているお店もありますが少し寂しい雰囲気。
江戸時代にここに橋を架けた時に竣工式が行われた際に宿場の長老夫婦が渡ろうとしたところ、子供が先に渡ってしまったそうでなんでもそれが河童だったのではと言われ橋の名前が稚児橋となったそうです。河童の銅像が欄干の上に置かれていますね。
恐らく、戦後高度経済成長期に入り都市部や産業が活発化したところは急速に都市化され昔ながらのものは残せなかったのだと思います。
みんな貧乏だったわけですから、豊かになるのに一生懸命だったわけで歴史的な価値があるものなど保存しようという取り組みはある程度豊かになってからでないとできないのだと思いました。
由比や蒲原のようなイマイチ都市化できなかった場所の方が昔の物が残っているのはそういう事なんでしょうね。
ちびまる子ちゃんの作者さくらももこさんの出身小学校。静岡市立清水入江小学校。
平成の大合併前では清水市だったので、さくらももこさんが通学していた昭和の時代は清水市立だったんでしょうね。
写真はとりませんでしたが清水駅でもちびまる子ちゃんのイラストが貼ってあり、清水はちびまる子ちゃん推しなんですね。
海沿いのショッピングモールにはちびまる子ちゃんランドなるものがあるそうです。
作者が亡くなってもいまだにテレビ放送されていることから、サザエさんと共に国民的アニメになりましたね。
おじさんが小学校の写真を撮っていると通報されそうなのでさっさと先に進みます。
こちらは元追分、追分ようかんという江戸時代から愛されるようかん屋さんがあったそうなのですがこの時は知らずにスルーしてしまいました。
この辺りではかなり疲労困憊でした…
JR東海道線としずてつの愛称で地元に親しまれる静岡鉄道清水線を越えていきます。
軒先にそら豆が売っていたので購入、年季が入った回収箱に200円を入れます。
これが物凄く新鮮でおいしかったです。独特の臭みも全然なかった。
イオンモールのそばにあるベンチで股関節のしつけと水分補給、近くにはしずてつ狐ヶ崎駅があり学校帰りの高校生や買い物の主婦らしい方々が沢山通ります。
この金網の裏には上原堤、宗旦池というため池があり、農業用水として使われていたそうです。昭和の初めには小さい遊園地になり平成初期まで60年も営業されていたとか。
イオンモールはその跡地に建ったんでしょうね。蚊が沢山おりました。時間は17時
片側4車線の大きい県道にぶつかります。
地元で愛されているらしきローカル回転寿司のお店があったので少し早い夕飯。
100円すしと良いお値段の回転すしの中間くらいの味と価格。コスパ良くおいしかったです。
フードトラックなどがでていたので調べてみるとプロ野球の二軍戦が行われているようでした。
なんでも静岡にくふうはやてベンチャーズという新球団が発足し、今年から独立リーグではなくプロ野球の二軍ウエスタンリーグに参戦しているとのこと。
サッカーで有名な新潟アルビレックスの野球チームもイースタンリーグに参加しているそうです。
NPBって参入障壁が高そうでしたが近年は敷居も低くなってきているんですかね、とても良い事だと思います。
この日はヤクルトの二軍と試合をしていたみたいです。
県道から外れ旧街道は鉄道に分断されてしまった場所に向かいます。
歩道がなくとても怖い、かつてはコンテナがある場所を東海道が通っていたのでしょう。
一台しか通れない幅がある為、車で侵入する場合はクラクションを鳴らしながら通行します。
途中まで入って反対側からクラクションが聞こえたのでとてもビックリして走って逃げました(笑)
こちらから車が行くタイミングを見計らいダッシュでついていきます。
中ではすれ違える退避スペースがあります。自転車も普通に通っている事から地元の人は慣れているんでしょう。
それでも夜中だったら尚怖いだろうなぁ
歩行者通行禁止なのかと思いましたが、反対側には歩行者用の階段があったので大丈夫であったようです。
ここからが意外に長い、一時間ほどかかるんですね。
タワマンが立ち並ぶ光景を見て、やっと静岡駅だーと思いそうですが…ここは東静岡駅。貨物駅があった場所を再開発した場所で埼玉で言うと大宮の手前、さいたま新都心のような感じでしょうか。
しずてつ沿いを独り言をブツブツ言いながらひたすら歩きます。(笑)
ちょっとヤバイ奴です。
地方は外灯が少なく国道沿いでもかなり暗いんですよね。闇落ちを助長させます。
やっと府中宿の案内板が!徳川家康が将軍職を退いた後、大御所として君臨した府中です。
サラリーマン時代に静岡支店があったビル、懐かしいなぁまだあるのかな?当時お世話になった方々は元気ですかね。
向かいにあるホテルアソシア。JR東海系列のホテルだったと思います。スーツさんも動画で現代の静岡の本陣と言っていたように駅至近では一番良いホテルですね。
ペーペー社員だったのにも関わらずワタクシもここが定宿でした。
静岡駅に到着、休憩も挟みましたが12時間、40kmを歩きとおしました。
一本早い新幹線に乗れそうだったのでex予約アプリで変更。
これはとても便利、空き席があれば当日であれば差額なしで変更ができます。
帰りは私が12時間かけて歩いた距離を10分弱で通過してしまう新幹線に驚きました。
文明というのは素晴らしいですね。
2024年5月15日 蒲原宿~由比宿~興津宿~江尻宿~府中宿
40.3km 11時間45分
八潮-秋葉原 往復 942円
秋葉原-東京 往復 292円
東京-新富士 4,730円
新富士-富士駅 バス 190円
富士-新蒲原 200円
静岡-東京 6,140円
交通費計 12,494円
清見寺入場料 300円
飲食 2,500円くらい
お線香 800円くらいだったような
桜えび 1,080円
合計 17,174円
総計 73,045円
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