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さて、真夏を避けて三か月ぶりの東海道ウォーク。令和6年9月24日
専属契約をしてから基本的に私自身の休みは無くなったのですが、この日は急遽予定が無くなったのでこれはチャンスと思い歩いてきました。
こだま号始発に乗って静岡駅までそこから東海道線で藤枝駅に到着。時間は8時20分
改札を出て右側にプラスチック製のベンチがあったのでリュックを置いて準備をしようとしたところ、突然後ろの列に座って朝からパックの日本酒を飲んで泥酔しているご老人が「うるせえ静かにやれ!」と怒鳴りつけてきました。
朝から公共の場で飲酒をし管を巻いている人間がまともな訳がありません、関わってもしかたないのですぐに退散。
私がリュックを置いた音よりもお前の叫び声のがうるせえと思いましたが、私も良い年齢なのでそれなりの対応をします。
去り際に耳元で丁重に謝罪をしたら静かになりましたが、エスカレーターに乗り下るとまた何やら叫んでいます。
他人の人生なので好きにすればよいとは思いますが、通勤通学で駅を利用している方々の迷惑になりますし場所を選んでもらいたいものです。
ああいう方にも手厚い社会保障費が使われていると思うと何とも暗い気持ちになりました。
とても良い天気です。
藤枝駅は旧宿場町から離れた場所にあります。
静岡県ももう真ん中を過ぎたと思われます、ちなみに東海道の日本橋~京都の真ん中はこの先の袋井市だそうです。先は長い…
住宅街を抜けると
旧東海道に復帰。道は相変わらず歩道がない…現在メインに使われている県道島田岡部線は北側を併走しますが、こちらもまあまあ交通量がありますので車に注意して歩きます。
次は大井川の手前の宿場町、駿河の国の西の玄関島田宿になります。
この駐車場の向こうに見えるのが現在のメインの県道。この先で合流することになります、あちらは歩道が整備されております。
古い倉庫があります。何が入っているのか…
この辺りの家に限らず地方の家には古い蔵があったりしますね。
東海道追分 江戸時代以前は南側に流れる大井川の氾濫を避け、瀬戸の山越えというルートを使っていたそうでその道の分岐点となります。
さらにあるきます、他と同じで松並木は恐らく後年植えられたものだと思います。
染飯茶屋跡、クチナシでそめたご飯を売っていたそうです。サフランライスみたいなものだったようで旅人には好評だったそう。
関東では見かけない杏林堂という本屋のような名前のドラッグストアでトイレを拝借。マスクを忘れたのでマスクと飲み物を購入。
生鮮食料品やお弁当も売っていてとても良いお店、店員さんもかなり親切。
近所に住んでいたら通ってしまいそうな素晴らしいお店。トイレも綺麗でしたのではみ出さないように使いました。いつもはみ出さないように使ってはいますが…
酒蔵がありました。この先の島田宿にもあったのでこの辺りはお米がとれるのでしょう。
と思っていると素晴らしい稲穂。もうすぐ収穫でしょう。ほんと農家の方の努力の結晶ですね美しい。
東海道線の貨物列車が通ります。
昭和57年に発掘されたようです、それまでは忘れ去られていたんですね。
島田市との市境に到着、県道と合流します。
六合駅を通過、大津谷川雨が降っていたのか水が濁っています。この先で大井川と合流します。
左方面に向かうと大井川に架かる世界最長の木造橋、蓬莱橋がありますが今日は歩きがメインなので明日行くことにします。
街道沿いにあるクリニック、東海道を意識しているのか立派な門構え
島田宿には和菓子屋さんが多いということでこちらのお店で早速購入
島田宿は大井川を渡る旅人で賑わった宿ということで川越饅頭を購入。
島田の街道沿いにはいくつか和菓子屋さんがあるらしく、お茶の産地なので和菓子屋さんが多いのではという説もあります。
右側にあるのは本日宿泊予定のルートイン島田。今日は掛川まで行って電車で戻る予定です。
毎度おなじみのシャッター商店街。 先日栃木県の足利市に行ったスーツさんが「旧市街を町おこしをするのは無理、何故なら車を所有するようになった現代において郊外のイオンに人が集まり旧市街がさびれるのはある意味進化である」というようなことを言っていたのでなるほどと納得させられました。
ですのでこのシャッター商店街が再び栄える事はほぼないのでしょうね。
問屋場跡に小さいベンチがあったのでここで先ほど買ったお茶菓子を食べて休憩。
股関節のしつけも同時にします。時間は10:40
クリーム入りの抹茶大福は冷凍の状態なので川越まんじゅうを食べます。
おしゃれに作ってある商店街、床は木で作られていますが人が全然いません…
なかなかここに観光客が来ることはないのでしょうね…
駅近に住む人は電車で浜松や静岡に通勤通学はできそう。
街道一の名物のたい焼きや
本当にそうか確かめてみたかったですがまんじゅうをたべたのでやめておきました。
駅前通りに図書館があったのでトイレを拝借
図書館が休館日だったので4階の幼児が遊べるようなスペースの横にあるトイレを借りました。
安全な遊具が置いてあって安心して子供を遊ばせることができる立派な施設でした。
怪しまれるといけないので素早く退散、エレベーターホールからこれから越えていく牧之原台地、金谷峠、中山峠が見えます。
立派な神社を発見、いつもは大体こじんまりとした神社が多いのですが本日はこちらの立派な神社に参拝。
綺麗な参道
この石垣は人足達が大井川から運んできて作られたとのこと
色々なお宮があったので全て参拝。この辺りの方々が出兵し戦死された英霊たちを祀ったお宮もありました。
現代でも台湾有事の恐れやロシア軍機による領空侵犯、中国による領空領海侵犯、北朝鮮のミサイル発射と一歩間違えたら戦争になる可能性もありますが…
イマイチ危機感がない我々。
命をかけて日本を守った方々は現代日本をどうみているのか…
英霊達は日本の為に命を落としたのだから、これ以上日本の平和をお願いするわけにはいかないの…
ただ安らかに眠ってくださいとしか言いようがありません。
平和のためにがんばらなければいけないのは、現代に生きる我々なんだよな…何ができるのであろうか…と考えて参道に向かうと。
止まって地図を見ている高齢男性と私の間にものすごく大きい枝が落ちてきました。
当たったらケガをしていたであろうサイズの枝でとてもビックリしたので「ビックリしましたね」と高齢男性に話しかけるもこちらを見るだけで言葉を発しません。
「今この枝が上から落ちてきたんですよ」と言っても無言。
コミュニケーション苦手な人って男女問わずいるのであまり気にしないようにしてまた街道へ戻りました。
しかし、何故あそこで枝が落ちてきたのか気になります。平日にふらふら歩きに来ている普段から怠けている私を見て英霊達が怒ったのか…
あの枝が私の頭に当たっていたら恐らくケガをしていたと思うのでいつものプラス思考でお参りをしたから当たらずに済んだと考える事にしました。
話はそれましたが(笑)川越人足や役人たちが控えていた建物が保存もしくは再現されております。
これは素晴らしい。
平日にも関わらず戸が開け放たれており中を自由に見学できます、毎日開けて閉めてとしてくれている方がいるのだと思いました。
お金かかってるなぁ~
結構ダイナミックな川越えの浮世絵 一番安いのは自分で水に浸かって渡るスタイル、次が肩車、高級なのは神輿のようなもので4人以上の人足を使う物であったそう。
川越人足が待機する番宿、ここ島田は10番宿まであったらしくここは三番目の待機所
真っ黒に日焼けしてたくましい人足
川はいつでも渡れるわけではなく、雨が続いて増水しているといかにたくましい人足とはいえ向こう岸に渡る事はできなかったので旅人は川に近い宿場に足止めされることになります。
それが何日も続いてやっと渡れる日が来た場合は混雑するというのが常であったと説明されています。
大名行列がある日も忙しかったようです。
こちらは十番宿、キセルでたばこを吸ってくつろいでる人足がおります。結構リアル
草履や臼など昔の物が展示されております。
こちらは札場、旅人は川を渡る為にチケットとなる川札を買い渡る時にそれを人足に渡します。これが人足達のお給料になるわけです。
一日何往復もして集まった川札をこちらの札場にもっていき現金に換えてもらったそうです。
この方は事務員みたいな感じでしょうね、少し賢そうな感じがします。(笑)
さらに川に近い場所に川会所(かわかいしょ)があります。ここの川役人と呼ばれる人々が毎日川の深さを測り、川越しの料金を決定し、旅人に川札を販売など川越人足の運営を担っていた場所です。
川の深さによって料金が変わっていたんですね、この時代からダイナミックプライシングのようなものが導入されていたようです。
増水していると渡るのも命がけですからね、水の抵抗で時間もかかったのでしょう。MAXで一番安いプランの倍近い価格になります。
中には連台が置いてあります。これは屋根付きでブラインドまでついているかなり上等なものでしょう。しかし昔の人は小柄ですね、私は入れないでしょう。
将軍クラスになるとこのようになるみたいです、宿場総出だったのでしょう。
将軍くらいになると海路を行くのかと思いましたが、その時の状況で違ったんですかね。
ここの外のベンチでストレッチをしていると、先ほど神社で会った高齢男性がおりました。
挨拶でもしようと思いましたが、絶対にこちらを見ないようにしているのが見え見えだったので脇をすり抜け先に進みます。
こういう人割とよくいますよね、少し挨拶すればよいものを意地でも見ないようにする人。
何でも海外に倣えとは思いませんが、欧米人に比べて日本人は赤の他人とのコミュニケーションが下手な人が多い。
土手のすぐそばにある立派な博物館の駐車場わきにある人足モニュメント。
ワタクシがのって写真をとりたかったのですが、スマホを置けるような場所がなく断念…
私が乗ったら「旦那はちょっと重すぎるので酒手(チップのようなもの)をはずんでもらわないと先には進めませんぜ」と言われてしまいそう。
実際川の中ほどまで来て金をせびる悪い人足もいたそうで…仕掛人藤枝梅安でも与力(警察官のような人)が乗った際に追加料金をもらわないと増水していて先には進めないと言われ「我は京都所司代の与力であるぞ」と肩車をしている人足の頭をポカンと殴る描写がありましたね。
観光客をだます悪い奴というのは今も昔も変わらずいたようです。
私を乗せずに命拾いした人足達。空の練台を担ぐ姿は横からみるとなかなかシュール
土手の上から見たいま歩いて来た寄せ場の風景。雰囲気があって中々良い場所でした。
堤に上がると目の前に牧之原台地が、その奥に静岡空港があるようで離発着する飛行機を見る事ができます。
橋までは少し距離があるので車の往来がある脇の歩道を歩いていきます。
土手側からみた博物館
牧之原台地
以外に多い離陸着陸する飛行機を見る事ができます。
静岡空港の下には新幹線が通っており、駅があれば便利なのにという話を堀江貴文さんが言っておりました。
静岡県とJR東海はのぞみが県内に停車しない事によりあまり良くないようで…加えてリニアモーターカーは静岡県市街地に通らない事から折衝案として空港駅を作ればよいという事を言っておりましたが実現可能性は低そう。
大井川橋
この水位なら歩いても渡れそう。渡りませんが…
東海道24番目の宿場町金谷宿に到着です。駿河の国が終わりこれから遠江の国に入りました。ちなみに金谷宿は自治体で言うと島田市になるそうです。
旧街道を歩いていると踏切が…八潮近辺にはもうあまり踏切を見る事がなくなりました。
ここは機関車トーマスの機関車を走らせている有名な大井川鉄道です。
踏切を渡ると新金谷駅があります。平日なのでトーマス号は走っておらず、閑散としております。
トーマスとゆかりがあるわけではなく、2011年の東日本大震災の際に観光需要の低下や2012年の関越自動車道ツアーバス事故により高速バス規制が強化されSL利用者が激減しました。そしてトーマス走らせたらお客さん沢山くるんじゃね?ってことで始めたようで大成功でしたね。まさにピンチをチャンスに変えた出来事だったようです。よくピンチはチャンスといいますがピンチにボーっとしていたら状況は悪くなるだけなのでピンチをチャンスに変える人たちの努力なしには起こらない事だと思っております。今や大井川鉄道と言えばトーマス機関車というくらい有名になりました。
トーマスと日本の碑感謝ヒロ、トップハムハット卿がおります。
恐らく右側のシルバーの車両は東急電鉄でつかわれていたもの、その左側の青ラインが南海鉄道、黄緑色のも古い南海の車両だと思います。
ちょうどホームに入ってきたのは近鉄だと、そこまでマニアでもない私でもわかります。
大きいベンチがあったので休憩時間は13時過ぎ
秋とはいえまだ陽ざしがさんさんとしております。
旧街道をはずれて住宅街を歩いていきます。のどかでよいところ
坂道がきつい
グーグルマップで見ると平面ですが坂道がきつい、大井川鉄道の線路にでました、ここはJR東海道線と併走、この先の金谷駅で乗り換えができます。
住宅街をくだっていくと旧東海道に復帰
問屋場あと
この辺りが本陣などがあり中心だったようです。
ちょうど先ほど新金谷駅に止まっていたであろう電車が通過
旧東海道はこのトンネルをくぐります。
線路をくぐります結構古そう
金谷大橋、西入り口土橋と言ったそうで京側の宿場の入り口であったようです。
金谷坂石畳入り口 右側におしゃれなカフェのようなものがありましたが時間がないのでスルー
途中、革靴のご婦人が降りてきましたがこの石畳はせめてスニーカーじゃないときついのではないかと思います。
お地蔵様はその名もすべらず地蔵尊、昔からすべって転ぶ人が沢山いたのだと思われます。
登り切りました
武田勝頼が家臣に命じて作らせた諏訪城跡、諏訪というと長野のイメージですが場内に諏訪大明神を祀った事から諏訪城の名をつけたそう。
東海道の要衝とあり、国取りの拠点となったそうな。徳川家康に攻め落とされ牧野城として使用されましたが今はただ土台が残るのみで奥に行くと神社があるそうですが、時間が無いのでスルー
綺麗なトイレがあったので拝借
道路を渡ると再び石畳、茶畑が美しい
鬱蒼とした石畳を抜けると集落にでました。
ここは間の宿菊川、この先は小夜の中山峠、手前には今来た金谷坂と坂に挟まれた場所です。
菊川というと私は高校野球で有名な常葉菊川を思い出しますが、現在の中心はここから少し離れた海側になります。東海道線の菊川駅もそちらになります。
昔はこちらが街道筋だったので、交通機関の発展により中心が移り変わっていったのでしょう。
建設中の道路をくぐるといよいよ急坂のスタート。様々な峠を越えてきましたが勾配でいうと一番だったのではと思います。
舗装されておりますがその分、登るのがキツイ転んだら下まで行ってしまいそう。
キツイ分、景色はめちゃくちゃきれい。東海道の中でも見どころの一つではないでしょうか。観光地化されてないので穴場だと思います。
何度もシャッターを押してしまいますね。
茶畑の坂を歩いていくと、駐車場と思われる開けた場所に出ました。観光バスも止められそうな感じ、さすがにあの坂は上れないと思うので京側に向かった途中にある国道との連絡道を使ってくるのだと思われます。京側も普通の自動車もかなり厳しい坂なので…
ここが有名な久延寺。なんでも伝説があり、お石という妊婦の女性が菊川の里まで働きにでていたそうで帰りの道中おなかが痛くなり丸石の松の根本で苦しんでいたところ、通りかかった男が介抱していたそうな。ここまでは良い話なのですがお石がお金を持っている事を知ると刀で切り殺しお金を奪って逃げたそうな。胎児は奇跡的に無事でこのお寺の和尚に飴で育てられ立派な刀研ぎの職人に育ちました。
その後、刀研ぎにきたお客さんが母親を切り殺した男で復習を果たしたという。石に手を合わせてきましたが、写真を撮るのはためらわれたのでやめておきました。
並びに扇屋さんという御店がありますが、土日しか営業していないようで残念ながら昔ながらの飴を食べる事はできませんでした。
ここから北にある国道側にも夜泣き石があり、飴を売っているお店もあるようですので平日に行く方はそちらに食べに行くと良いかも。
美しい風景、峠といってもなだらかに延々と続く道を下っていきます。
途中から急坂になり民家が点々としているところを抜けると25番目の宿場町、日坂宿に到着です。
バイパスをくぐり集落に下っていきます。
バイパスの側道を渡ります。
各家の玄関に木札があり〇〇屋という屋号がついております。常夜灯、秋葉山詣での入り口だからか秋葉山の文字が…
ここの公園で股関節のしつけ、時間は16:30この辺りで切り上げたかったですが。ここは駅もなく、バスも一日何本も走っていないので仕方なく次の掛川宿まで頑張る事にしました。
日坂宿は小さい宿場ですが都市化されていないので宿場の風景が残されています。それでも小夜の中山の手前という事もありそれなりに栄えたそうです。
今やバイパスのおかげで宿場を通る人も少なくなりましたが…
ここからは県道沿いとその側道を歩くのでとても退屈です。都市化された部分はつらい
やっと掛川宿に到着、東海道26番目の宿場町です。
あちょうど写真の常夜灯があった橋だと思われます。奥は秋葉山ですね。
掛川駅は新幹線が停まる駅なので3回続いた静岡駅の利用はここで終わり。ですが今回は蓬莱橋を見学したかったのでここから東海道線で島田駅まで戻り、この度初めての宿泊をします。
電車で島田駅まで戻り、ルートインホテルにチェックイン、ここは無料の貸し出し自転車がありそれを借りて夕食へ。
静岡県民のソウルフードハンバーグのさわやか。
中が結構赤いので鉄板を温めなおしてもらいました。
おいしかったです。
翌日レンタルサイクルを使い蓬莱橋へ、ここは世界最長の木造橋。16代将軍になるはずであった徳川家達がかつての家臣達が作った茶畑に覆われた牧之原台地をみてまるで蓬莱(宝の山)のようだと褒めたたえたことによりこの名がつけられたそうな。
あその後自転車をホテルに返し帰宅しました。島田駅にあった地球上で最も緑茶を愛する街島田の文字。とても良いところなので是非おすすめです。
総距離30.89km 57,557歩
次回はいつになるかわかりませんがじっくり進めます。