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2024年6月11日火曜日
この日もつくばエクスプレス八潮駅始発で向かいます。こだま号は6:30が始発なのでもう少し遅くても良いのですが朝1、2番目の電車は始発なのでゆったり座って行けるので早起きして向かいました。途中で朝食も食べられるので。
人があまりいない秋葉原駅
こだま号自由席に座る為に先頭車両へ。いつみても美しい東海道新幹線。
新幹線には何度も乗っていますが、18番19番線ホームの先頭、大阪よりのところにあるレンガ造りのレリーフを発見。
この方、第4代国鉄総裁十河信二さんというそうで、新幹線開業に尽力された方なんですね。
右下の文字は一花開天下春「いっかひらいててんかはるなり」と書いてあります。なんでも昔の中国の高僧の言葉であるそうで、新幹線という花を咲かせた事により天下(日本)に春を訪れさせたという意味だそうです。
それぞれの開業日が記載されております。日本が誇る夢の超特急、東京大阪日帰り出張も簡単にできるようになりました。
この日はA席に座り海側の景色を見ながら行きました。時間は7時55分通勤通学の方が沢山。
前回の清見寺で幼い頃捕らえられていた、竹千代君(徳川家康)と近年再評価されている今川義元。
現代の日本人て戦国時代とか好きですよね、戦乱で大変な時は英雄が生まれる訳ですが…
戦争を知らない子供たちさ~♪という昔の歌がありましたが、現代では大人でもほとんど戦争を知りません。
知らないから戦いにロマンを感じてしまうのかも…
静岡駅の北側の国道一号線には横断歩道がないため、通勤の人々にまぎれ地下道を通ります。
さくらももこさんのイラスト。静岡は本当に良いです、南海トラフ地震だけが不安点ですが。
せっかくなので家康公が大御所として過ごした駿府城公園を見たいと思い歩きます。
繁華街です、とんでもない髪の色をした若者が地面でヨレています。博多の親不孝通りみたいな感じでしょうか。
昔は岡場所だったのかなぁと想像し歩きます。生ごみのにおいが…
石垣の中に県庁があり、職員と思われる方々が吸い込まれていきます。
申し遅れましたが、府中宿は19番目の宿場町になります。
この辺りはオフィス街ですね。
とてもレトロで重厚感がある静岡銀行、昭和6年の建物で現在も本店営業部として使われているそう。
都市部の旧街道を歩いていきます。
都市部の旧街道は相変わらずつまらない。
新通公園でトイレを拝借、ベンチで股関節のしつけ。
ここは小学校の校庭とつながっており、柵はなくチェーンで仕切られているのみ。
なかなか珍しい作り、不審者が入ってきたらどうするんだろうと思いましたが柵があったって入ろうと思えば入れるので防犯上は問題ないのかもと思いました。
近くの会社では外でラジオ体操をやっていました、皆さま気だるそう。お疲れ様です。
退屈な住宅街を抜けていくと開けた通りにでました。
ここは弥勒という地名。みろくと読みます。
由比の宿場に生家があった由比正雪の墓碑、ここに埋葬されているわけではなくこの先の安倍川で処刑されたからここにあるのでしょう。
その碑の裏にこちらの石碑が、明治天皇はこちらでも休まれたみたいですね。
安倍川のそばということで間の宿であったと思われます。
有名な安倍川餅屋、朝だったので諦めていましたが、あと5分で開店ということで待ちます。
安倍川餅屋は見たところ二つあり、手前のお店と橋に近いお店の間にこのような碑がありました。
なんでも、安倍川は歩いて渡れる川であったのですが身分が高い人などはお金を払って肩車をしてもらったりしながら渡ったのだそう。
その人夫が、自力で渡っている旅人が落としたお財布を拾い追いかけ、宇津ノ谷峠に向かっていた旅人が財布を探しに戻ってきたところで財布を返したそうで。
感激した旅人がお礼を渡そうとするも、人のものを返すのは当たり前の事だと受け取らなかったとのこと最終的には旅人は奉行所にとりもってもらい受け取ってもらえるように頼んだが頑として受け取らず。結局奉行所はその心意気に人夫に褒美を渡したそうです。
労働者にも矜持があり、人の道に外れた事はしない、困っている人は助けるのが当たり前という素晴らしいエピソードですね。
こういう心は持ち続けたい。
安倍川餅屋が9時にオープンしたのでお店で食べさせてもらいました、寡黙な店主ですが悪い感じではなく居心地よい店内。
餅は毎日ついているらしくとてもおいしい。
次回は隣の店にも行ってみたい。
食べ終わり安倍川橋を渡ります。安倍川は水量が少ないので徒歩渡しだったそうですが、大正12年にこのトラス橋が完成。
立派な橋です。歩いて渡れるとは言えずぶぬれになって渡っていた川が濡れずに渡れるというのは当時は物凄い進歩だったのだと思います。
国道一号線の駿河大橋、東海道線、東海道新幹線の橋梁が見えます。
安倍川を渡る人々 御神輿みたいなもので渡るのは高価であったのでしょうね4人も人を使っています。 屋根付き、江戸時代のファーストクラス。
反対側から府中宿を望みます。真ん中の高い建物は恐らく県庁だと思われます。
歩道を歩きます。
立派な松
ここで国道一号線に合流。このエリアはかみかわ陽子さんの選挙区。
県知事選の応援演説で、候補者を県知事にするという比喩表現で女性が産まずして何が女性でしょうかという発言を左翼やフェミニストたちが激怒。
炎上しました。まああまりいい表現とは言えないと思いますが(笑)
理解力があれば上川さんの真意は伝わるはずなんですね。
それを、子供を産めない女性だっているんだ!女性は出産する機械じゃないぞ!なんて事を騒いだという事が記憶に新しいです。
なんでも配慮配慮でそんなに息苦しい世の中にしたんですかね。ほんと謎。
野党は追及追及で予算委員会でも与党の足を引っ張るばかりで、肝心な予算が決められず政策が進まなくなっているという…
ただの揚げ足取りに見えてしまいますね…誰のための政治なのか。
国道一号線の側道に入り、少し進むと鞠子宿の江戸方の見附に到着。
20番目の宿場町鞠子宿(丸子宿)に到着です。
石垣があり神社があります。馬頭観音というそうです。
丸子宿は当時の物はあまり残っていないとのことで、歩道もない旧街道を避け併走する丸子川沿いの遊歩道を歩きます。とても良い雰囲気
こちらも地元の高齢者達が歩いています。
併走している旧街道
この道は海沿いの御前崎まで行けるそうで、たまにロードタイプの自転車に乗ったサイクリストが通ります。
遊歩道沿いに地元の方が作った野菜が置いてある箱がいくつかあり… じゃがいもを購入、とてもおいしかったです。
枝豆も買いたかったですが歩いているうちに熱されて腐ってしまいそうなのでやめておきました。
のどかでとてもよいところ
七里役所とあります、昔の飛脚の中継所だったそうです。
とろろ汁の名店丁子屋にあった石碑
まだ営業時間前だったので残念ながらスルー、あと30分ほどでオープンだったんですけどね… ただこの先でとろろ汁を食べられる場所があるのでそこまで我慢。
お店が現存しているなんてすごい
橋を渡ったところにある高札場跡
サイクリスト達は川沿いに向いますが私は旧街道を歩きます。今思えば川沿いに行ってもよかったです。
のどかな風景から一転、バイパスに近づくにつれいくつかラブホテルがあります。
静岡市近辺の方々は地元じゃ目立ってしまうのでここで逢引きをするんでしょうね、中々地元のラブホテルは入りづらいでしょうし。
唐突ですが私は不倫てアリだと思っています、夫婦間が冷え切っているけど様々な理由で離婚できない人もいるからです。
どうせ冷え切っているなら愛してくれる人がいれば、癒されるし精神的にも安定すると思います。
もちろん家庭をかえりみず生活費も入れず不倫相手に入れ込んでしまうのは考え物ですが…
なぜ民法で禁止されているのか、チャットGPTに聞いてもきれいごとを並べるだけで私を納得させてくれません。
バレるような不倫はやめた方がよいと思いますが他人の不倫を叩く風潮は謎です。
当事者が怒るのはわかりますが…
もちろん不倫をしないで夫婦仲睦まじく人生を送るのが理想だとは思います。でもストレスで具合が悪くなるくらい仲が悪い、でも事情があって離婚できないそんな人は不倫しても仕方ないという話です。
こんな事言っても理解できない人はいると思いますが、私のように声高に言えないだけで思っている人は少なくないと思います。
夫婦といっても所詮他人ですからね。
書いても私の商売上では損しかない事を思っているとバイパスにでました。
まあ、これを理解できないで怒るような人は来てくれないでいたほうが楽なので来なくて良いです。
見えている山が宇津ノ谷峠です。
ものすごい高いところに足場がありそこをトラックが出入りしています。
なんだろうと思っていると
地すべり対策の工事をしているようです。安全な道路を保つためにものすごくお金と労力をかけているんですね。
日本のインフラはすごい。
旧東海道を歩くために歩道橋を渡り反対側に渡ります。ものすごい交通量
道の駅宇津ノ谷峠静岡側が見えてきました。
宇津ノ谷峠は平安時代からあるつたの細道、戦国時代に豊臣秀吉が切り開いた旧東海道、明治時代のトンネル、大正時代のトンネル、昭和時代のトンネル、平成時代のトンネルと各時代のルートが現存する珍しい場所です。
この度は基本的に江戸時代の道を歩くようにしているのですが、明治時代のトンネルを見てみたかった為、明治時代ルートを選びました。
ワクワクしますね
道の駅でとろろ汁と静岡おでんを食します。時間は11時44分
全部で2,000円もしなかったと思います、リーズナブルだけどしっかりおいしい。藤枝側の道の駅は売店しかないので食事はこちらでとった方がよいです。
食後は隣に飲食禁止の休憩所があったので、1畳くらいの畳のような台の上でストレッチ&仮眠をさせてもらいました。
暑いからか少しフラフラしていたんですよね。
1時間ほど休憩し出発
この静岡側の下り線側の道の駅に平安時代のつたの細道の入り口があります。
今度は装備を整えてこちらを歩いてみたい。
江戸時代、明治、大正ルートは歩道橋を渡って反対側にでます。
この下り側のバイパスのトンネルが平成のトンネル、とても立派。これをくぐればあっという間に宇津ノ谷峠をスルーできるのでしょう。
反対側に渡ると旧街道らしい集落。
左の陸橋の下には自転車乗りの方々が駐車して出発していました。
宇津ノ谷の集落に到着
平日だという事もあり人が全然いません、今は円高の影響もあり各地で外国人観光客があふれていますが…
ここはまだ知られていないのか外国人が全然いません、旅行はこういうところを選んでいくのが良いと思います。
オーバーツーリズムでうっとおしいですからね。
素敵な集落
見た目は綺麗だけど、住むとなると結構大変そう。昔は鞠子宿と岡部宿の間の宿だったのでしょう。
あー良いところだ、この区間がこの日一番楽しかったですね。
右に行くと戦国時代江戸時代の旧東海道、左に行くと明治のトンネル。
今日は少し楽をします。
上から見た宇津ノ谷の集落
若い世代がどれくらいいるんでしょう?いつまでも残してほしいですが…
宇津ノ谷峠のジオラマ 近くにトイレがあったので拝借、本当に人っ子一人いません。
いよいよ明治のトンネルです。車一台くらいなら通れそうですがここは歩行者専用になります。恐らく自転車は大丈夫そう。
夕方には電気も消えてしまうそうです。
iPhoneのカメラの性能のおかげでとても明るく見えますが実際はものすごく薄暗いです。
滅茶苦茶怖い、ガタイの割に怖がりなワタクシは後ろを振り返る事もできず早歩きで歩きます。
13時ですが人がいません。
トンネルを抜けるととても清々しい
岡部宿の浮世絵ということですが正確には岡部宿はもう少し先です。
苔の感じからジブリのラピュタをおもいだしました。
下に行くとつたの細道公園ということで行ってみます。
鬱蒼としています。サンダルなので枝を踏まないように進みます。
明治時代の東海道の説明
まだ車も一般的ではない時代、人力車が通ることができるトンネルができただけでもかなり便利になったんでしょうね。
さらに下るとバイパスにでました、こちらは上り線昭和のトンネル。たまたま車が写っていませんがかなりの交通量。
ここから岡部方面に下っていきます。
岡部側の道の駅に足つぼ施設が!結構荒くて痛いですがかなり疲れが取れました。
静岡側に比べると簡素な作り、お土産とパンなどが売っているだけでしたがアイスのクーリッシュを購入しベンチで食べます。
バイパスを外れ旧道へ なんとも退屈な道 時間は14時
のどかな景色 川の水もきれいですね。
右側の山の藪の奥からドッカンドッカン大砲を打つような音がしてました。
自衛隊の演習場でもあるのかと地図で見ましたがそのようなものは見当たらず…あの音はなんだったんだろ。
山の中にある新東名道路の騒音だったのかな?
住宅街を抜け歩道が狭い県道を歩いていると枡形跡がこの辺りが江戸側の見附みたいですね。
21番目の宿場町、岡部宿に到着です。
左の県道沿いに行く方が近道ですがここは旧東海道に倣って右側に進みます。
お灸をやるお寺がありました。調べてみると1594年に開山された専称寺では、江戸時代の学僧幡随意上人から伝授された灸療法を代々の住職が受け継ぎ、「一ト火灸(ひとひきゅう)」として施術していて「お灸のお寺」としても知られています。お灸をすえると旅の疲れが和らぐとして、参勤交代の大名や武士など多くの旅人が施療に立ち寄り、評判を集めたそうです。
鍼灸は古くから人々を身体を癒していたんですね、この令和の世にも受け継がれていると思うとなかなかロマンがあります。
こちらの本陣跡の隣にある江戸時代の宿を活用した郷土資料館へ
岡部宿は小さい宿場町ながら無事宇津ノ谷峠を越えた旅人の安息の地だったそうです。
京から江戸に向かう旅人も夕方についた人はここで宿をとったのでしょう。この辺りでまだ16kmくらいでしょうか、今日はいつもよりきつい。
お休み処になっており、中でスマホを充電させてもらいながらアイスコーヒーをいただきます。
ちょっと頭がクラクラするので20分ほど休憩。店員の方にあまり無理しないでくださいと心配していただきました。
横が本陣跡とても広いですね。時間は14時40分
中は芝生の広場ですが、入り口の門は再現されています。
県道から旧街道は住宅街に入ります。この幅でわかりますね。
消防小屋の横にサインが…次は藤枝宿 2009年から岡部宿は現在は藤枝市になっていますので市内には入っています。
藤枝はとても広いんですね。
小さい橋のたもとに何か書いてあります、なんでも晩年に小野小町が岡部宿に宿をとった時にこの橋から夕陽に染まる西山の風景にみとれていたところ、ふと水面に目を移すと長旅で疲れた自分の老いた姿がうつっていてそれにショックを受け嘆き悲しんだとのこと。そのエピソードから宿場の人々は小野小町の姿見の橋と名付けたそうです。
なんだかんだ平安時代もルッキズムに侵されていたんですね(笑)
形は変えているのでしょうが平安時代からあるというのはなかなかすごい。
ふと地元の神社があったので今日はまだお参りをしていなかったという事もあり参拝させていただきます。
関東平野の平地に生まれ育ったからか、斜面に作られた神社にとても惹かれるんですよね。(笑)佐護神社というそうです。
正面のにあるのが本殿かと思ったら物置らしかったので中腹にあるこちらにお参り。
賽銭箱が無かったので代わりにゴミを拾っていくことにしました。
ゴミはどこにでも落ちていますからね。
再び旧街道へ、道路が加工されております。しかし、暑いししんどい…
再び県道へ合流、交通量がある県道を歩くのは空気も悪いししんどいのでこちらの藤枝市役所岡部支所の横を抜け岡部川沿いを行くことにしました。
恐らく昔の町役場でしょう。帰宅途中の元気な小学生たちがおりました。
吊り橋のような橋があったので渡ってみましたが特に何もなかったです。
ここもサイクリングロードになっているようで、自転車乗りのおじさん達とすれ違います。
今日はほんとうにしんどい、ちょうどよい階段があったので股関節のしつけと水分補給。
この辺りから岡部川は朝比奈川と合流し朝比奈川になります。
どくだみの葉っぱがものすごく茂っています。先輩のお墓もどくだみすごかったなぁと思いだしました。
時間は15時20分
高速かと思っていたら国道一号線のバイパスでした。
宇津ノ谷峠の平成昭和のトンネルから続く道路ですね、こちらを車でいったらあっという間なんでしょうね~
横内橋に到着、旧東海道はこの橋を渡ってまっすぐに行きます。
旧東海道らしく松が植えてあります。
ここも下校途中の小学生たちがいます、挨拶をしてくる子としない子がいますが女の子は挨拶しないようです。
まあ、女の子はそれくらい警戒心が強い方が良いかもしれませんね。
この辺りは横内という間の宿だったのか掲示がされています。岩村領という場所だったそうです。
巨大な横断歩道を渡ります。
この先に小学校がある感じですね。
石碑があったので撮影。こちらは田中領というそうです。
細かい文字が書いてありましたが疲れていた為、スルー
葉梨川を渡ります、こちらも先ほどの朝比奈川と合流します。
この辺りの水質はあまり良くなさそう。
夕焼けではないですがこれはこれで良い雰囲気
ベンチがあったので股関節のしつけ、時間は16時。本当にしんどい
自転車の中学生が挨拶してくれます。
川沿いをいくと新しい公園がありました。
大きいスーパーもあり、新しめの家が並びこの辺りは新興住宅街な感じですね。水守中央公園というそうです。
ここにも足つぼが!もちろん二往復します。足裏がとても楽になります。
先日、27時間テレビのサバイバルマラソンのトレーナーの仕事をしてきましたが、この経験が役に立ちランナーの方の足裏のケアを重点的にやりました。
足根洞という部分を広げてあげると老廃物がながれやすいのです。
県道を渡り住宅街を歩いていくと商店街になります。さわやか通りからちとせ通りと名前を変えます。
お店にあったポスター、日本代表のキャプテンを長く勤め、最近引退しドイツでコーチをしている藤枝の英雄長谷部誠さん。
この近くに母校でもある名門藤枝東高校があります。ゴン中山さんの母校でもありますね。
藤枝MYFCというJ2のチームがあるようです。
さすが日本のブラジル
藤枝宿は日本橋を出て22番目の宿場町となります。
この辺りは問屋場跡 藤枝も都市化されているので昔の物はほんとんどないですね。
恐らく浮世絵の場所はこの辺り、人馬継立。ここで人馬を交換し荷物を受け渡していたとのこと。物流は飛脚もそうですがリレー形式だったんですね。
到着して荷物を降ろしているグループと出発しようとしているグループが描かれております。
綺麗な公園があったのでここでも股関節のしつけ。脚がとても痛い。
岡出山小路というそうです。
アクリルのサインがおしゃれ
時間は17時、もうひとふんばり。
上伝馬交番、おそらく地図で見るとこの辺りが本陣だったみたいです。
瀬戸川を渡ります。
疲れてなんも言えねえ(笑)
橋のたもとにある一里塚跡、公園になっています。
橋の手前が京側の見附っぽいですね、西木戸跡と書いてあります。
コロナ禍の聖火リレーの記念碑
その先に行くと岡野繁蔵さんという方の碑が… 明治時代にここで生まれ、インドネシアのスマトラ島でデパートや貿易で栄え南洋のデパート王の異名を誇ったそうです。
太平洋戦争で日本に引き揚げ、その後衆議院議員として地元に貢献したそうです。
「希望に起き感謝に眠れ」を信条としていたそうです。良い言葉ですね。
県道島田岡部線を越え、やっと駅に向かいます。
ここもご多聞に漏れず宿場からは離れた位置に駅があります。
駅周りは、スナックやキャバクラのようなお店が多かったです。地方都市あるあるですね、その他のお店はなんだか静かでした。南口はまた違うのかもしれませんが…
時間は18時、静岡駅まで在来線で向かい駅で食事をしてこだま号で帰宅しました。
約30km暑さもありかなり疲れました、熱中症対策として9月まで休もうと思います。
ゴールは来年以降になりそうですが、ゆっくりやっていきます。
2024年6月11日火曜日 府中宿~鞠子宿~岡部宿~藤枝宿
29.76km 10時間2分
八潮-秋葉原 往復 942円
秋葉原-東京 往復 292円
東京ー静岡 5,490円
藤枝-静岡 420円
静岡-東京 6,140円
飲食 3,000円くらい
合計 16,284円
総計 89,329円
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